第26話

「ティア、もし誰かが入ってきたらすぐ隠れろ」

 ケイは言った。


「ラウルは?」

「俺達はボディガードだ。危険が仕事なんだから放っておいていい。まず自分の身の安全を優先させろ」

 ティアは不服そうだったが何も言わなかった。


 ケイは出来れば偵察にティアを連れて行きたかった。

 今回は残していくより連れて行く方が安全だ。


 しかしティアは疲労している。

 休ませなければ先へ進めない。


 拳銃を渡そうかとも思ったが、やってきたのがミールだったりしたら、かえって危険だ。

 拳銃を持ってるのを見られただけで殺される。


「いいか、逃げるんだぞ」

 念を押すとティアを残してホームから降りた。


 線路――と言ってもリニア式だから何もない、ただの床だが――の上を歩いて隣の駅へ向かう。

 ここも天井が崩れて床の上に土が積もっていた。


 ケイは土の山を乗り越えながら先に進んだ。


 隣の駅まで何キロだ?


 確か地下鉄は時速百キロは出ていたはずだ。

 それで隣の駅まではどれくらいだったろうか。


 各駅停車で一分弱か。

 多分、隣の駅まで数キロと言ったところだろう。

 往復十キロ。


 落ちてきた瓦礫や土砂で埋まった通路を進となると徒歩だと一時間に五キロ進めればいい方だろう。

 戻るまでに三時間はかかる。

 そんなに長い時間、ティアを実質一人にするのは心配だった。


 ミールやウィリディスはこんなところに入ってこないだろうが、盗賊は?


 ケイはきびすを返して引き返した。


「お帰りなさい。早かったのね」

「少しは休めたか?」

「うん」

 ティアは農作業や植林などの重労働をしているのだ。

 少々の重労働なら一晩休めばなんとかなるだろう。


 ケイは再びラウルを背負うとティアを連れてホームを降りた。

 線路を歩く利点の一つは天井が高いからエビルプラントの根が垂れ下がっていても触らずに通れると言うことだ。


 ケイは、ティアを気遣って休み休み進んだ。


 ケイ一人ならラウルを背負っていても一時間で二キロくらいは進めるが、ティアが一緒となるとそうはいかない。

 それでなくてもティアは三人分の荷物を持っているのだ。

 隣の駅に着く頃には夜になっているだろう。


 そこが荒野の下ならいいんだが……。


「ここで昼飯にしよう」

 ケイはそう言うとラウルを下ろした。


 ティアは携帯食を出すとボトルの水に浸して柔らかくしてラウルに食べさせた。

 ラウルは食欲がなさそうだったがティアは水で流し込むようにして強引に喉の奥に流し込んだ。


 自分も寝込んだとき、あれをやられたんだろうか。

 だとしたら覚えてなくて幸いだった。


 ラウルがひどい熱を出しているのは背負っている背中が熱いことからも分かる。

 ここなら火をおこしても人に見られる心配はない。


 ここで薬をせんじさせるか?


 しかし、この狭い空間で火を熾したりしたら煙が充満するだろうし酸欠になる危険もある。

 このほこりっぽさから考えて空調が生きているとは思えない。

 そしてスプリンクラーが死んでいなければ火を点けた途端、辺りは水浸しになる。

 やはり、ここで火を焚くのは無理だと判断した。


 隣の駅に着いたときには夜になっていた。

 ティアを残して外に出てみると、そこは荒野だった。


 白い満月の明かりの下、辺りを見渡すと緑地帯からは大分離れているようだった。

 ここなら火を焚いても大丈夫だろう。


 ケイは下に戻るとラウルを背負って荒野に出た。

 ラウルは意識もなく、ぐったりしていた。


 動かさずにすめば、そしてあの場で火を焚くことが出来れば、ここまで悪くはならなかったかもしれない。

 ラウルには申し訳ないとは思ったが危険は犯せなかった。


 ラウルだけではなくティアの命にも関わることなのだ。

 火を熾すと、ティアは早速薬草を煎じ始めた。


 ひどい臭いが辺りに立ちこめた。


 地下鉄の中でやらせなくて良かった……。


 煎じられたどろどろの液体は恐ろしげで、とてもまともに見る勇気はなかった。


 夜で良かった……。


 自分が飲まされたのは、あれではなかったと信じたい。

 ティアは毒消しだと言っていたから、あれとは違うだろう。


 それでも、どんなものだったのか覚えてなくて良かったと思った。

 ラウルも自分が飲まされたものを見なくてすむのは不幸中の幸いだ。


 翌朝、ケイは強烈な日差しに叩き起こされた。

 既に起きていたティアはラウルの目にタオルを乗せて日差しが直接当たらないようにしていた。


 携帯食で簡単に朝食を済ませると、

「偵察に行ってくる」

 と言った。


「ミールとかがいないから荒野に来たんじゃないの?」

「備蓄庫を探してくる。内陸にもあるはずだ」

 ティアは分かったというように頷いた。


 辺りを見回してみると、やはりここは緑地帯からは大分離れている。

 ここにいれば見つかることはないだろう。


 荒野に人がいるなんて思わないから、わざわざ探そうともしないはずだ。

 ケイは備蓄庫を探して歩いた。


 最近行った備蓄庫の位置を頭に思い描いて、おおよその場所の見当をつけた。

 しばらくかかったものの荒野には標識を隠す草がないので簡単に見つかった。

 ケイはティア達の元へ戻るとラウルを連れて備蓄庫に向かった。


 備蓄庫の中は他と同じだった。

 ラウルを寝かせるとケイは置いてあるものをチェックした。

 それから風邪薬を見つけるとティアとラウルのところへ戻った。


「これが薬?」

 ティアは渡された箱を珍しそうに見ていた。

 ケイは箱を開けて中から錠剤のシートを出すと薬を一錠取りだした。

 それをラウルに飲ませる。


「薬草の方が効くのかもしれないが、ここでは採れないだろ」

 ケイはティアが気を悪くしなように言い訳した。


 しかし、あれを見せられるのは一度で十分だ。

 ある意味ミールより恐ろしい。


 ティアは特に気を悪くした様子はなかった。

 実際、薬草は夕辺一度煎じただけでなくなってしまっていたし、どちらにしろ備蓄庫の中では火は焚けないというのもあるからだろう。


  * *


 いきなり大地が大揺れに揺れた。

 真夜中だった。


 ベッドから放り出された和実は同じく落ちてきた一花を受け止めると、なんとかベッドの下に押し込んだ。

 一花に続いて自分もベッドの下に潜り込むと揺れが収まるのを待った。


「何が起きたの!」

「地形を変えてるんだ」

 自分も関わっているプロジェクトだったから何が起きたのかはすぐに分かった。


 しかし、誰が、何故、今、こんな事をしたのかは見当もつかなかった。

 大きな揺れが収まると和実は大急ぎで服を着て研究所へ急いだ。

 地面は小刻みに揺れていた。


 和実が辿りついたところで見たのは装置の前に立っているスパイドとジムだった。

 警報がうるさいほど大きな音で鳴っていた。

 ジムは笑っていた。


「これで戦争が終わる」

 繰り返しそう呟いていた。

 和実は何が起きたか一目で理解した。


 スパイドがジムをそそのかしたのだ。

 しかし、こんな事をしてスパイドにはどんな利益があるのかは皆目分からなかった。


 目の前のスクリーンには世界地図が映っていた。

 その地図がゆっくりと変化していく。


 大陸の各地に赤い点が点滅していた。

 赤い点は生物兵器や化学兵器を扱っている施設である。


 そこで扱われているのは戦争をしている国が開発している兵器だ。

 その威力は想像もつかないほど大きい。


 それらが流失したら……。


 地獄になる。

 今までの戦争が子供の口喧嘩に思えるくらい最悪の地獄。


 和実はただ立ちつくしたまま変化していく地形を見ていた。


 予想は当たった。

 いや、当たらなかったと言うべきか。


 想像以上の地獄が待っていた。


 ジムが引き起こした地形の変動は平地を高い山脈に、山があった場所を海に変えた。

 山脈は風の流れを遮るようにそびえ立った。


 綿密に計算されて今の地形にされたのは間違いない。

 大気の流れが変わり、季候が大きく変化した。


 高い山脈に遮られて内陸には雨が降らなくなった。いずれ内陸は荒野に変わる。


 壊れた生物兵器の研究施設から漏れだした細菌やウィルスによって複数の強力な伝染病が世界中に蔓延していた。


 薬品工場も破壊されたから薬もない。

 仮に無事なところがあったとしても物流が機能していないから必要な人に届けることは出来ない。


 化学兵器は水を汚染し飲んだものの命を次々に奪っていった。

 植物は枯れ食料はなくなった。


 宇宙港の発着場は破壊されて離着陸が出来なくなったため宇宙からの食料は届かなくなった。


 地形を変化させたことに伴う大地震で町は瓦礫の山と化し、国が引き裂かれたことで警察は機能しなくなり無法地帯となった。


 そんな中で有毒植物が産まれた。

 いや、もしかしたらどこかの研究施設で作られていたものが流出したのかもしれない。


 葉、茎、根の全てに毒があり、樹液も猛毒で、燃やしても有毒ガスが出ることから〝エビルプラント〟と呼ばれた。


 今のところはフィトンチッドに弱いという特性のせいで、ほとんど生えていないが今後はどうなるか分からない。

 もう安全な場所はどこにもない。


 最初の地形の変動による大地震で二十五億人の人口は一万分の一になった。

 今、蔓延している伝染病と食糧不足で最終的に生き残る人口は百万分の一だろうと言われている。

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