第23話

 ジムは再び以前のように暗くなっていった。

 無精ひげは伸び放題、服も薄汚れてしわだらけでズボンからはみ出している。

 毎日、ただ研究所に出てきて研究に没頭していた。


  * *


 スクリーンが明るくなって一花の姿が映し出された。


「こんにちは。和実の記憶を持つ人」

 一花が言った。


 和実の記憶が一花を思い出していた。


「あなたがこれを聞いてると言うことは、『最後の審判』から三十年以上たっているという事ね」


 一花……。


 かつて和実が心の底から大切に思っていた女性。魂を共有した相手。


 その記憶がありながらスクリーンの彼女を見ても何の感情も湧いてこない。

 和実の記憶は知識でしかなかった。


 一花との想い出の全てが、ただの知識としてしか認識できなかった。

 和実の記憶がそれを悲しんでいた。


 いつの間にか涙がこぼれていた。


 同時にケイとしての人格はそれを冷静に受け止めていた。

 ケイと和実は別の人間だ。


 ケイにはもう大事な人がいる。

 かつての和実に一花がいたように。


「これはスパイドという博士が引き起こした災害です。彼が何を企んでいたのか正確なことは分からない。分かっているのはパンドラの箱が……」

 そのとき、いきなり暗闇になった。照明もスクリーンも消えた。


「なに? どうしたの?」

「分からない」

 ケイがそう答えたとき、薄暗い照明とスクリーンが点滅しながらついた。


「……箱の中から出てきた悪魔達は今もこの世界を狙っています。あなただけが頼りです」


 一花はどこかよそを見ると、

「もう時間切れです。さようなら、和実の記憶を持つ人。あなたに幸せが訪れますように」

 そう言って映像は消えた。


 さようなら、愛した記憶のある人……。


 ケイは涙を拭った。


 それから我に返ると慌ててコントロールパネルを操作した。


「どうしたの?」

 ラウルが不思議そうに訊ねてきた。

「どうしたって、お前も聞いてただろうが」

 ケイが答える。


「うん」

 ラウルが頷いた。


「彼女は何も具体的なことを言わなかった。これじゃあ、なんのためにここへ来たんだか分からないだろうが」

「悪魔がどうとかって言ってなかった?」

 ティアが言った。


「その悪魔をどうすればいいのか分かるか?」

 ケイが訊ねるとティアとラウルが首を振る。


 祖父のデータディスク同様、一度観たら消去されるようになっていたのか二度と再生させることは出来なかった。


「どうするの?」

「どうしようもないな。ここにいてもしょうがない。戻ろう」

 ケイはそう言うと部屋を出た。


 三人はまたかつて地下鉄だったトンネルに入った。


「またここを通るの?」

 ティアは露骨に嫌そうな顔をした。


 確かにトンネルの中は暗く、床には土砂が積もっていて歩きづらい。

 しかし他に道はない。

 荒野は日差しがきついし、道もない。


 なにより荒野と緑地帯との間にはエビルプラントが生えていて生き物は通過出来ない。

 地下を通るより他にないのだ。


 ようやく緑地帯に戻ってきたときには三人ともほっとした。


「これからどうするの?」

「そうだな……」

 ケイもそれはずっと考えていた。


 祖父が言っていた〝緑の魔法使い〟というのが一花なのは間違いないだろう。

 他にクィエス研究所でそう呼ばれていた人間はいなかった。

 少なくとも和実の記憶にはない。


 あの停電の時、大事な部分が飛んでしまったのではないだろうか。

 しかし映像は再生出来ない。

 和実の記憶を辿ってみても、これから何をすればいいのか、さっぱり分からない。


「とりあえず今夜は備蓄庫に泊まろう」

 ケイは二人にそう言うと備蓄庫を目指した。

 以前来たことがあるところだからすぐに見つかった。


 翌朝、ラウルが偵察に出るとティアはケイのすぐ隣に座った。

 ティアの体温を腕に感じた。


 クィエス研究所の一件で、忘れていたわけではなかったが、きちんと考える暇がなかった。

 ティアとは、これから先どうなっていくのだろう。


 ラウルがいる前で大っぴらにいちゃつくなどとてもできない。


 それにエビルプラントのこともある。

 もし、このままエビルプラントが緑地帯に進出してきたら人類は――いや、今生き残っている生き物は――全滅する。


 しかし手がかりはクィエス研究所にはなかった。

 祖父はクィエス研究所へ行けとしか言わなかった。


 一花は肝心なことは何も言わなかった。

 完全に行き詰まった。


 ケイは祖父が残した地図を広げてみた。

 現在の大陸の形を思い浮かべながら現在地を探した。


 すると、もっと南に下ったところにクィエス第二研究所があった。

 審判前、海洋研究をしていたところだ。


 和実自身の研究とは全く関係ない施設で一回しか行ったことがないから忘れていた。


 しばらくするとラウルが偵察から帰ってきた。

 扉が開く音がするとケイは立ち上がってラウルを出迎えた。

 ティアと並んで座っているところを見られたくなかった。


「この辺りに怪しいやつはいないようだけど……、どうするか決めた?」

 ラウルが訊ねてきた。


「南に向かう」

 ケイの答えに、

「理由は?」

 ラウルが聞いた。


「南にクィエスの第二研究所がある」

 ケイが答えると、

「そこに何かあるの?」

「おじいさんが言ってたのは第二研究所のことだったってこと?」

 ラウルとティアが訊ねてきた。


「祖父が言っていたのはこの前行った方だと思う。第二研究所に何があるか分からない。しかし他に何かありそうな場所が思いつかないんだ」

「分かった」

 ラウルは自分の荷物を手に取った。


「ちょっと待ってくれ」

 ケイはラウルを止めた。

「どうかした?」

 ラウルが首を傾げた。


「ゴムボートを持っていきたい。川を渡るのに上流まで遡るのは大変だからな」

 ケイはそう言うとティアとラウルを待たせてボートを探した。

 しかしいくら探しても見つからなかった。


「どうやらこの備蓄庫にはないようだな」

 ケイは肩を落とした。

「それじゃあ、行こうか」

 ラウルが言った。


 三人は南に向かう。

 ケイは地図を見ながら歩いた。


「ね、ここから離れちゃうと研究所が遠くならない? また行かなきゃいけなくなるかもしれないんじゃない?」

 ティアが心配そうに言った。


「地下鉄の入り口なら他にも沢山あるから大丈夫だ」

「そうなの?」

 ティアは首を傾げた。


「瓦礫の山だと思って通り過ぎてたから気付かなかったんだろ」

「そう言われればそうかも」


 地下鉄の入り口は小さな建造物だ。

 二、三メートル四方の屋根が落ち、それを支えていた柱が折れて草に埋もれてしまえば岩の固まりがあるようにしか見えない。


 人工物だから屋根の固まりなどは自然物には見られない直線をしているが、そんなことを調査するようなものは今はいない。


 自分の生活で手一杯で、岩の固まりが人工物か自然物かなどどうでもいいことなのだ。

 自分達の邪魔にさえならなければ誰も興味を示さないだろう。


 そんなことを話している間に川にぶつかった。

 そこそこ広い。


 人間に危害を加えるような生き物がいるとは思えないが――ワニが生息するほど南へは来ていない――泳いで渡るとびしょぬれになる。

 もちろんバックパックに入ってる着替えもだ。


 火を焚いてミールや盗賊の注意は引きたくない。

 三人は渡れる場所を目指して川を遡り始めた。


 この辺りは山に近く、川を遡ることは山を登ることでもある。

 三人は大分高いところへ登ってきてしまった。


 西に山があるので日が暮れるのが早い。

 もう太陽は山の向こうへ沈んでしまった。

 そろそろ野宿する場所を探さなければならない。


 ティアの休憩もかねてラウルが偵察に行っていた。

 背後を流れる川は滝となって滝壺に落ちている。


 そのとき、銃声が響いた。

 ケイが銃を抜くのと茂みからミールの隊員二人が飛び出してくるのは同時だった。


 ミールが銃を向けてきた。

 ティアに被害が及ばないようにしながら二人を撃ち殺すことは出来るだろうか。


 背後でティアが後ずさる足音が聞こえた。


 次の瞬間、

「きゃっ!」

 ティアが足を踏み外して滝に落ちた。


「ティア!」

 ケイはためらうことなくティアを追って滝に飛び込んだ。


 ミールの放つ銃弾が頬をかすめる。

 滝壺に落ちると潜ったままティアを探した。


 今、顔を出せば撃たれるだろう。

 ケイは流れに押し出されるようにして滝壺から川に入った。


 数メートル先をティアの頭が浮き沈みしていた。


「ティア!」

 ミールが追いかけてきてるのかどうかは分からなかったが銃撃はない。

 ケイはなんとかしてティアに追いつこうとして泳いだ。


「ティア! 荷物を捨てろ!」

 ケイが叫んだ。


 しかしティアは聞こえないのか、そんな余裕はないのか、ただ川に流されるだけだった。

 ケイはようやく追いつくと背後からティアの首に手を回して顔が水の上に出るようにしてやった。


 なんとかして岸に辿り着いたときは二人とも肩で息をしていた。


 本来なら憔悴しょうすいしているティアのためにも、ここで火を焚いて休ませてやりたいところだがミールがいつ追いついてくるか分からない。

 ケイはティアに肩を貸して立ち上がると隠れられそうな場所を探して歩き出した。

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