DEF trip 碧海のカノープス(水先案内人)

晁衡

第1話 


わたしは、有蓋貨車にのせられてマレー半島先端のジョホールバル陸軍病院に向かっていた。固い木の床に粗末な敷物。貨車の床の隙間から線路の砂利が見える。


昭和19年5月5日、わたしはガランジャール※西南方で負傷し、野戦病院を転々としていた。

マレー半島最南端、昭南島(シンガポール)の対岸にあるこの町の陸軍病院は徴用された建物で、八階建白亜の立派な病院であった。

私は最上階、8階の将校病室に入院していた。


昭和19年9月6日 の夜中の1時頃、突然に看護婦に起こされた。

「診断」という命令である。


看護婦付添いで、松葉杖をついて診断室に行くと、軍医はわたしの様子を、そこそこに見て、カルテになにやら書いた。


「内地帰還」と命じた。


そして今日、9月6日、大阪直行の船が出るから、すぐに支度をまとめろ、ということだった。


私の診断名は「左前胸部穿透性盲管迫撃砲弾破片創、左肺臓損傷」と書かれていた。


わたしの身の回り品は、軍刀と給与証明書だけである。

着の身着のまま、いつでも風呂敷代用の偽装網に巻き込み、腰に縛り付けていた。


朝、昭南島に向けて出発する。

担送患者は最後に出発した。

昭南島には、内地帰還の輸送船、護国丸が横付けされていた。一万トン級のそこそこ大きな船である。


 乗船も担送患者は最後となり、中央サロンが将校病室となり、備え付けのソファが寝台となった。


 やがて、日が暮れた。内地帰還で賑やかで騒々しかった船内も静かになり、患者輸送隊員がカルテをもって点呼に来た。

 その時に、日本赤十字社の看護婦が2人、3人と随行していた。

 聞くところによると27から28歳の彼女らは、タイ・バンコクの陸軍病院で勤務し、この船で内地帰還するという。

 任務期間が満期となり、非常に喜んでいた。部屋に顔を出して何もせずに下がるのは申し訳ないと、我々の部屋の掃除や食事の世話を申し出てくれた。

 

 9月6日、護国丸は昭南島を夕方出港した。

 灯が船外に漏れないように、厳重な灯火管制が敷かれる。

 窓は閉め切られ、暑苦しくてなかなか眠れない。窓を少し開けて海風を部屋に入れた。 

 波は静かである。空には秋の星空が輝いている。

 

 南国の空は午前3時頃には明るくなる。

 夜明けとともに灯火管制は解除され、窓を開け海原を見た。

 

 一隻、二隻、われわれの護国丸は真ん中の四隻目

 遠く右の彼方に護衛艦が二隻、駆逐艦であろうか、波間に小さくみえた。

 

 この船団は、輸送船七隻と四隻の護衛艦に航行していることがわかった。


 9月8日の夜、この船団はバシー海峡を航行していた。


 午後11時を回ったころ、


 ガーン!とドラム缶を大きく叩くような音が船内に鳴り響き、その衝撃の揺れで棚の花瓶や置物が転がり落ちた。


 船内では騒然となった。


 敵の魚雷が本船に命中した。装甲のない輸送船なので魚雷の信管は作動せず、船底を貫通し、途中で止まったようだ。

 

 魚雷は爆発はしていない。


※ガランジャールとは、インパール作戦(撤退戦)における第215連隊の激戦地

※バシー海峡とは、フィリピンと台湾の間の海峡で、「輸送船の墓場」と言われたほどアメリカ通商破壊戦が行われた場所でした。


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