感情輸入

空洞蛍

僕と友人

「感情輸入?」


 なんだそれは、と僕は隣を歩く友人に尋ねる。

 感情移入の間違いじゃないのかと問うと、友人は首を横に振った。


「違うって。お前、本当にニュース見ねえのな」


 僕はニュースをあまり見ない。

 僕の生活範囲外でどんな出来事が起ころうと、僕には全く関係がないからだ。

 家とアルバイト先とコンビニを行き来する生活があれば、それでいい。

 友人は僕のスマートフォンを勝手に取り出すと、素早くニュース記事を開いて僕に返した。


「感情輸入法……やっぱり誤字じゃ」


「まだ言うかっ!」


 キレのいい手刀で頭を叩かれる。

 お笑い芸人を志望する彼には、時々ツッコミが過激になる悪癖があった。

 時々ネタも披露してくれるが、正直あまり面白くない。

 友人の喧しい声を右から左に聞き流しながら、僕はニュース記事にざっと目を通した。


「感情輸入法……」


 スマホアプリのアカウントと特殊な器具で、感情豊かな人間から感情を受け取れるようになる法律。

 具体的には、友人に何かサプライズをされても上手く喜べなかった場合、喜びの強い人間からそれを貰うことでその場をやり過ごすことができるのだ。


「何だか臓器移植に似ているな」


「でも、臓器と違ってなくならない」


 なるほど画期的だ、と僕は頷く。

 しかし画期的な法律ほど疑いの目は多い。

 そこで政府は一部の都市で実験的にこの法律を施行し、国民の反応を確かめることを決断した。

 そして実験台となった都市の一覧を見て、僕は目を丸くした。


「これは」


「お、今日初めて表情が変わったな。そうだよ。感情輸入法が施工される街に、俺たちの街が選ばれたんだ」


 自分たちの街が新しい法律の実験台になる。

 そんな漫画みたいな出来事を前にしても、僕はいまいち実感が湧かなかった。

 感情輸入の恩恵に預かれるような気がしなかったからだ。

 確かに、僕はあまり感情を表に出さない。

 周りにいる人たちも––隣にいる友人のような例外はあるにせよ––同類が多い。

 しかしただ表に出さないというだけで、喜怒哀楽はしっかり備わっていると僕は自認している。

 だからこの頃話題になっている『感情の希薄化』にも、僕はあまり関心を持っていなかった。

 いわんやその解決策をや。


「……で、君は登録するのか」


「登録だけはな。じゃ、また明日」


「ああ、また」


 僕は友人と別れて、下宿先のアパートの扉を開く。

 つけっぱなしにしていた冷房の涼しい風に包まれながら、僕は鞄を置いて手洗いうがいをした。

 そしてセミの鳴き声を聞きながらゲームのデイリーミッションを消化し、夜が訪れるのを待つ。

 やがて時計の短身が7を指すと、僕は汚れの目立ち始めたコンロにフライパンを置いた。

 サラダ油を多めに垂らし、特売品の豚肉と冷凍野菜をフライパンに放り込む。

 気が済むまで強火で炒めると、名もなき肉野菜炒めが完成した。


「いただきます」


 温めたパックご飯の上に肉野菜炒めを盛りつけ、割り箸を指の間に挟んで手を合わせる。

 何の味もしない食事を無心で頬張っていると、充電ケーブルに繋がれたスマートフォンが振動した。


「何だよ……」


 僕はケーブルからスマートフォンを外し、通知を確認する。

 それは少し前に別れた友人の彼からのメッセージだった。


『新ネタできた!』


 どうせつまらないのだろうと決めつけながら、僕は送られてきた動画のリンクを開く。

 すると毛の名前を叫びながら珍妙なポーズを取る友人の姿が再生されたので、僕はすぐさま動画を閉じて彼にメッセージを送った。


『つまらない』


『どこがだよ! 自信作だったのに』


『叫ぶ内容が野菜から毛に変わっただけで新鮮味がない。あと演技も不自然』


 僕が過去何度も指摘した改善点を改めて送信すると、友人のメッセージから露骨に感情が消える。

 それから僕たちは他愛のないやり取りを交わして、最後は友人の既読無視で会話を終えた。


「ごちそうさまでした」


 僕は食事を平らげ、空になったパックを捨てて浴場に向かう。

 そんな他愛のない日々を5日ほど繰り返して、僕たちは感情輸入法の施行日を迎えた。


 

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