招き猫

うさぎ赤瞳

第一話

 

     一

 マンションのエントランスからこぼれだす光が造り出した影がと感じた刹那、風に纏わり付かれた。


 柴咲こうが観たものは、恨みという想いが重なり合い、その想いが異形を形成しながら蠢いて、進化を遂げる瞬間であった。出来上がった想いが生命体として動く闇を造り出していた。こうの影が分離して、闇に取り込まれていた。その時、音の伴わないいかづちが蠢く影を撃ち貫いた。そして、破裂を起こす瞬間に、遅れて音がやって来た。人間の持つ感覚が錯覚を興すことは、そこいら中にあることを知っていたが、こうは音に反応して瞳を閉じて終い、不穏を感じながら恐る恐る瞳を開くと、神鳴りが落ちた形跡はなく、一匹の猫が毛繕いをしていた。想わず笑みを溢した背景は、飼い猫が居ることから、一匹増えることを困惑に想わなかったからである。


 こうが両手を拡げたのは、その猫の気持ちを優先したからで、逃げるならそれもと考えていた。猫は近寄って来たが、時計と反対回りに周回し、こうに催眠術を施していた。知らず知らずのうちに先導されながら、オートロックのビル内に消えて行った。


 玄関扉を解錠すると、その音が量子に反響して、こうに掛けられた催眠術が解かれた。

「にゃ~‼」

 我に返ったばかりのこうは、催促された感覚のまま扉を開け、猫は素知らぬままスタスタと入り込んで行った。

 こうはクビを斜にし

えにしなんてものは所詮、宿命的動向だもの、良好的に立ち振舞った方が幸運に開くもの』と云う具合に考えて、体感をなおした。すり寄られることで発生する静電気が起爆材になれば、花火の如く綺麗に咲き誇る? というのは、こうの唄う曲を手掛ける、福山雅治氏が口ずさんだ詞を甦らせただけであった。

 視線を先に向けると、部屋の空気が澱むことで気を滅入らすだろう? と考えて開けている扉の隙間を広げていた猫が、冒険家が徘徊しているかの様相で、ツカツカと入って行った。

 度々訪れる諸外国への旅行で、外国の作法になれていたこうは、脚を拭くことを断念し、つられる形で居間に入った。猫は来客であることを弁えて? 家主の足下に陣取り、待ち構えていた。


 こうはソファーに腰を降ろし、猫を抱き上げ脚を確認したが、野良とは想えぬほど綺麗だった。絨毯で拭った形跡はなく、『めて綺麗にしたのかしら』と想うこうを、猫が冷静沈着に見つめ返していた。

 猫招きにつられて顔を近付けると、猫は当然の展開に、こうの鼻頭をひと舐めした。なんだか嬉しくなり、こうはあらわになっている猫の腹に顔を埋め、モフモフを堪能した瞬間、猫の腹模様の丸い部分を押して終った。


 カチカチと一定間隔に鳴る小さめの周期音(量子が組み替えられる音)は、低周波であった。何回か聴こえた後、猫が現れた時に観た光景が拡がり、こうの目の前に大きな穴が空いた。

 猫が玄関から、こうの履き物を咥えてやって来て、一別くれてから穴に跳び込んだ。こうは猫を止めるために立ち上がり、身を乗り出していた。

 穴の淵を抑えていた量子がその時、時計回りに動き出した。ギシギシと軋むような音は、破裂音まで奏でると、こうの背中を衝撃波が押して、穴の中に倒れ込んで終った。


 猫は穴の中で待っていて、

「ようこそ時間移動の世界へ」と、詞を話して、こうの手を取った。

 猫は、こうの指の間に肉球を押し込み、離れない手法を施してから、

あたしの名は、うさぎ マイ。貴女とツイッターでの知り合いが、前の飼い主よ」

「どういうことなの?」

「この世で面識に繋がらないえにしを憂いたことで、貴女の生誕を祝うための粗品プレゼントにするための装置を考案したのよ」

「誕生日プレゼント? 知人といっても、会ったこともないのに」

「すべて、貴女が決めることです? 科学者として出来ることは、遣り治せない過去に連れ戻り、選択肢を矯正できるようにすること? って考えたようだわね」

 こうは猫の話しに耳を傾け、今日の失敗を確認した。確かに今日、NG を出したが、それが心を蝕むほどの失敗ではなかった。

「一事が万事に考えないで。今日の今日、直す必要がないことは、誰もが承知しているわ。後学のためにするのなら、歪みの世界に慣れてもらうための学習とでも考えて欲しいわね」

「学習? ということは、私を生徒に観ていると云うことよね?」

「上とか下とか? なんて下らない自尊心に踊らされるのが人間なんだろうけれど、それだと真実を見詰められなくなるわよ。それも人生だけど、誰も経験したことの無い経験をすることに、意味があると想いなさい」

「・・・」

「科学が先行すると、車が空を飛ぶなんて妄想を、米国人がしたとしても、重力や量子を確認できない人間に、できないこともあるはずだよね。彼はその事実を知っているから、人間の欲に蹂躙された未來を見せたいんでしょうね」

「先の先? 私がそんな先まで生きている保証はないわ。観ることが幸せなんて、彼の傲慢でしかないよね」

「だったら、止めようか?」

「・・・」

「幸せかどうかなんて、貴女の勝手な判断だわ。取り敢えず経験してみて、嫌だったら、あたしを拒絶すれば良いだけなんだからね」

 こうは、『云われてみれば、そうだわね?』と考えて、試しに付き合うことを決断した。いつ死ぬか分からない世の中に、損な経験があったとしても、笑い飛ばせば良いだけである。興味本位かも知れないが、誰もしたことのない経験と云われたことで、優越感を持っていた。それは、魅る側の自尊心をくすぐったようだった。

 

 数回の瞬きの先にあったのは、若い男性の死の事実であった。


「彼の怨念が、初心者用の謎解きよ」

「謎解き?」

「彼は訳もなく殺されるんだけれど、その真相を突き止めて、地獄の浄化に向かわせることが、貴女の任務よ」

「そんなこと急に云われても、なんの情報もない以上、無理よ」

「だからこれから、彼に纏わり付き推理するのよ」

「情報収集をするのね。制限時間は?」

「再び、この道を通るまでとしましょう。何故なら、あたしが此処で待つからよ」

「私の推理が不正解だった時はどうなるの?」

「自動的に次に移行されるわ」

「正解するまで帰れない、ということなのね。いいわ、イッパツで当てて、帰宅しましょう」

 ということになり、この世界に存在を持たない? こうは、マイの呪文により、煙り(念)となった。こうは青年に纏わり付き、青年の日常に付き添う形で、スタートされた。



    二


 青年の名前は、熊坂クマサカ義男ヨシオ。スポーツマンタイプのイケ面で、早稲田大学の二回生だった。

 新入生勧誘イベントに強制参加させられた事実は、先輩連中の思惑でしかなかったが、活動を盛り上げるためには、人数(規模)を必要とすることを理解していたから、参加を拒まなかった。

 そこで出会った女子に好意を持たれるのだが、先輩たちの思惑が理不尽なものであったことは、こうにも予測出来た。歓迎会と称されたイベントで、犯罪に及んだから、痴情の縺れが引き起こした被害者となり、青年が殺される? と、こうは予想して、それをマイに告げた。

 マイは、???と頸を傾けた。

「痴情の縺れって、大まかすぎでしょう。彼女が受けた屈辱は、肉体的なものに留まらなかった理由が存在するし、自殺に及べば、親友の男子が躍り出て、復讐に発展するから、落第よ」

「落第? なにそれ? それって、人間失格って意味にも受け取れるよね」

「あたしは人間じゃないから、人間の性質は解らないけれど、推理を舐めているようだから、失格なの! 次に行くわよ」

 マイは云って、呪文を口ずさんでいた。それはどこか、嬉しそうであった。

 こうにとっては、マイが創った薄ら笑いが屈辱でしかなく、愚痴はあったものの、跳び込んでいた。マイにとってその行動は、決心として映っていたようだった。


「どう?」

「どう?って、なにがよ」

「人間は何でも当たり前にするけれど、物語って簡単に云うけれど、意外と複雑なものでしょう」

「何が云いたいのよ?」

「この通路と同じなんだよね」

『通路?』

 こうは云われ、洞窟のような空洞を見渡した。

 云われて観ると、初めは漏れる光と、暗闇の夜に対応したであろう?暗闇が、感性が造り出した想像でしかなかった。しかし今は、トンネル内に居るような視界があり、行き先が解らない不安感もない。それだけで、光の元に向かっているような錯覚さえ持っていた。

「それが、貴女の潜在意識よ」

「本当の自分?」

「貴女は、女優というイメージ像の中の自分を繕うことしか、考えていなかったのよ」

「だとしても、私が本心を晒してしまったら、演じることはできなくなる。云われていることは解るけれど、社会人として当たり前でしょう」

「それが、貴女の当たり前だとしても、貴女の心が、それを望んでいるとは想えない」

「良い子ぶるなと云いたいのね」

「そんなことを云うつもりは、毛頭ない。けれども、幸せを掴むことが、人間の本性ならば、従わないことで目覚めるものは、悪なんじゃないかな」

「私に悪が芽生えた?として、あなたに迷惑は掛けてないよね」

「それが、貴女の云い訳なら、なにも云わない。あたしが想うのは、あたしが猫として失格だったならば、野良として生涯を終えるしかないよね。だとしたら、彷徨うことも無意味になるし、こどもを設けることも無意味だよね」

「何が云いたいのよ?」

「自分に正直になって欲しいだけよ」

「私が嘘つきと、云いたいのね」

「他人に迷惑を掛けているならば、あたしは貴女を、もっと下非するわ。云わない理由は、貴女を観ている人々に、幸福が舞い込むために必要なことを目指して欲しいだけよ」

「例えば?」

「貴女の性格上、教師や役人は苦手だろうけれども、推理の出来る女優さんという、新人類なんてのは、どうかしら?」

「それに導くために? 私を魅惑の渦の中に連れ込んだのね」

「理解出来たようね。彼にとって選択肢の中のひとりでしかない?貴女に、白羽の矢を立てた意味は、節目を大事にして欲しいからと想うけれども、あたしはメスという観点を持つから、云い方はきついかもしれないわね」

「同種と受け取ったら良いかしら?」

「あたしは猫だから、精一杯背伸びしても、天使にしか成れないわ。けれど貴女は、女神にだって成れるから、同じ秤に乗せない方が良いんじゃないかな」

「だったらもっと、謙虚な云い方を考えた方が良いんじゃないかな」

「あたしが、貴女の詞に合わせているんだよ。そこは無礼講にして貰わないとね」

「まぁ、良いわ? 私も猫語が解る訳もないし、妥協しておくわ。でも、随分遠いのね?次って」

「ついているわよ。だけれど今回は、死を目前にするから、疑念を持ったまま行かせる訳にはいかないのよ。説明が完了すれば行くことになるんだけれど、死んだ魂に憑依去れると、貴女も帰らぬ人となるから心して措いて」

「ならば、訊いておくけれど、行く場所は、私の知っている世界なの?」

「時間軸があるから、過去か現在のどちらか? なんだろうけれど、彼が繋いだものが想いだから、あたしには判りかねる」

「ならばどうやって、落第と及第を判断するのよ」

「貴女が持ち込む想いで、判断するのよ」

「・・・・」

「彼から内緒と云われているけれど、貴女の素直な心を感じたから、教えておくわ」

「私の心が、あなたには見えるのね」

「神の眼を継承した理由は、彼の心があたしに転生したからよ。そのお陰で彼は、植物人間に堕ちて要るわ。彼の物語を読めば解るけれど、魂が実体を離れると、疎通が切れるから、植物人間になるのよ」

「医学的知識はないから、取り敢えず信用しておく。だからといって、あなたを信用した訳ではないから、勘違いしないでよね」

「信用? 貴女にとって人生は、信憑性に添って要ると云うことなんだ?」

「誰だって、そうでしょう」

「それは、頭の隅に措いて措くけれど、貴女の記憶と、この装置が繋がっている意味は、足許を観れば解ると想うけど、練習だけれど今だけは、彼の記憶の中に居るのよ」

「なぜ?」

「貴女の記憶で練習すれば、貴女の感性が口を挟むからよ」

「当たり前でしょう」

「存在しない時空に居ることを忘れて、詞を発して終えば、亡くなる定めの魂だけでなく、彷徨っている魂に気付かれるのよ」

「気付かれることが、ダメな理由はなに?」

「さっき云ったじゃない。憑依去れることで、貴女の魂が、存在する時空に戻れなくなるのよ。その結果、彷徨うことに理由がないから、悪意という魔物に変化するしかなくなり、その時空から疎外去れるからよ」

「疎外去れるとどうなるのよ?」

「輪廻の対象から外れることは、地獄での回帰しかなくなることを意味するのよ」

「消滅するの?」

「彼が神々を使って検索するだろうけれども、数多ある時空を特定できない以上、回帰しかないでしょうね」

「だったら、止めておく」

「それもありだとは想うけれど、違う時空間を旅したことで、既に匂いが染み付いて終っているけれど、大丈夫?」

「匂い? 私は気にならないけれど?」

「匂いに敏感な魔物たちが、貴女の実体を奪うために、襲って来るわよ」

「なんで、それを先に云わないのよ?」

「その魔物たちの浄化が、最終目的なの。だから、多くの選択肢の中から、貴女を選んだみたいだからね」

「だったら続けるしかないけれど、私は永久に、此処から出られないことになるよね?」

「通常は今までとなにも変わらない。違う点は、匂いに吊られる悪魔たちを退治するために、女神様が、貴女の心に宿り護ることかな」

「私が護られることは解ったけれど、吊られた悪魔に魔法を掛けられたりしないの?」

「ミカエルと云う死に神が現れて、地獄に連れて行くから、悪魔を拝見することもないらしいわよ」

「悪魔が連れて行かれることも知らなくて済むのね?」

「ミカエルはオチャメさんだから、貴女の前に姿を顕すかも知れないけれど、人間の眼で、悪魔を確認できないはずだから、心配は要らないはずよ」

「なら良いわ」

 マイは、その詞を血に刻んでから、呪文を唱えていた。



     三


 こうは、煙りである自身を確認しようとしたが、念という陰である以上、確認出来るはずもなく、いち早く帰還すると決めた。

 今回の被害者となるのが女性だったことから、寸なり体内に取り込まれ、心に落ち着いた。だがそこは、臓器ではなく、狭い空間としか想えなかった。現実的に云うと、社会生活に馴染むことは、心を失うことであり、脳の支配下に納まることに尽きていた。

 神々が純真を好む理由がそこにあり、突き詰めれば、腸から運ばれる栄養と、遺伝子に刻まれた記憶を具現化して送る繋がり部分だから、狭く感じるのであった。

 非実体の神々は、存在を潜めるために縮小化するのだが、今は人間の? こうは、そんなまやかし術を使えるわけもなく、狭いという表現しか出来なかったのだ。


 こうが取り憑いた女性は、藤沢 真奈美と云い、元素殺人事件の被害者であった。身の回りに男っ気はなく、模倣犯ということさえ、こうは気付かないだろう。

 (猫のマイが知りたかったことは、模倣した者が、米国人なのか? という点であった。そのために、練習を装うこうが、取り憑かされたのである。)


「急に倒れ込み、死んじゃったわよ」

 こうは戻るなり云い、マイの査定を待っていた。

「貴女が物語を綴るとしたら、殺される被害者が、急に倒れて死んでいた? なんて書くかしら」

「だって、痴情が絡む相手もなく、急に倒れて死んだのよ。私に何を期待しているのよ?」

「そうよね。いきなり連れて来られて、あれこれ云われたら、逆切れしてもおかしくないわよね。練習はこれくらいにして措いて、今日は帰還しましょう」

 マイは云い、こうの身に纏わりつく怨念を飲み込んでいた。そして、表情を取り繕いもせず、寸なりと引き下がっていた。呪文が唱えられ、量子が行き先を定めた。


 空白の時間を永く感じるのが人間だが、こうは取分け疑心を抱くこともなかった。

 気の休まる居間に戻り、仕事の疲れを癒すためのワインを取りに席を立っていた。静かな空間が、こうの総てを受け入れていて、帳の出す子守唄はBGMとして流れるしか出来ないでいた。

 

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