恋花ーコイバナー
東雲いさき
第1章「結城湊斗はどこか世話焼き」
0
「わたし、おおきくなったらミナトとけっこんする!」
「ほんとに?うれしい!」
「うん!だからね、やくそく!やくそくだからね!ミナトはぜったいに―――」
1
「……?
「ん……」
肩をゆさゆさと揺すられてオレはゆっくりと目を覚ました。
車の助手席に座ったまま、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
「もうすぐ着くけど、大丈夫?」
「なにが?」
オレはまだはっきりとしていない意識のまま少し不機嫌そうに答える。
「心の準備とか色々よ」
「別に。大抵のことはもうやってくれたんだろ? あとは成り行きに任せる」
「楽しい高校生活になるといいわね」
「……そうだな」
「
「別に」
御伽橋町。
そこはオレがこれから暮らすことになる町であり、元々オレが暮らしていた町でもあった。
ここに帰ってくるのは小学生以来か。
あの頃は親の仕事の都合で色々な町を転々としていた。
でも、今は違う。
高校生になり、ようやく一人暮らしができる準備が整ったのだ。
「着いたわよ」
とあるマンションの前に車が停車すると運転手である姉がそう言った。
「ありがと」
オレはシートベルトを外すと車を降りてトランクの方に向かう。
中には荷物がいくつか入っており、それを取り出しながらふと空を見上げる。
すっかり夜になってしまったがおかげで星がよく見えるようになっていた。
「何かあったら絶対に連絡しなさいよ?お父さんでも良いから。夜更かしとかあんまりしちゃだめよ?」
「子供か。わかってるって」
「高校生なんて十分子供ですぅ」
姉貴は笑顔を浮かべると手を振ってそのまま車を走らせて去っていく。
車が見えなくなるまで見送り、オレは改めて目の前にあるマンションを見上げた。
『御伽橋ハイツ』。
それがこの建物の名前だ。
最近建てられたらしいこのマンションは親父の知り合いが経営しているらしく格安で借りることができた。
人脈ってのはこういう時に便利だよな。
オレには縁遠い言葉だが。
オートロック式のエントランスに入り、エレベーターに乗って自分の部屋がある三階へ上がる。
部屋の前まで行くと鞄の中から鍵を取り出し、それをドアの鍵穴に差し込んで回したのとほぼ同時。
隣の家の玄関から誰かが出てきた。
「……ぁ」
その人物はオレの顔を見るなりニコッと微笑む。
「こんばんは~」
「……どうも」
まさか挨拶されるとは思わず、唐突に出てきた言葉はそれだった。
今まで人とあまり関わってこなかったせいか、ちゃんとした挨拶が出てこなかった自分を少し責める。
隣人とはこれから何度も顔を合わせることになるであろう相手だ。
引っ越して来て早々マイナスのイメージを持たれるのは良くない。
「えっと……もしかしてこの間から引っ越してきた結城さんですか?」
少女からの急な問いにオレは愛想よく答える。
「ええ、そうです。これからよろしくお願いします」
「あー、やっぱり! 私は隣に住んでる萩元って言います。よろしくお願いします!」
元気の良い返事と共に萩元さんはすっと手を差し出してきた。
握手、ね。
今時珍しい人もいたもんだ。
ここで握手を拒否したらきっと印象は悪くなるだけだろう。
まあ、断る理由もないが。
オレは萩元さんの手をそっと握り返す。
「あっ、そうそう。結城さんって久しぶりにこの町に帰ってきたんですよね? 私、同じ高校に行くので良ければ明日一緒に行きませんか?」
突然出てきた個人情報にオレは目を丸くする。
「は? 誰からそんな話を」
「お姉さんから聞きましたよ。湊斗をよろしくって」
「なんであの人はいつも……」
「……?」
首を傾げる萩元さんを他所にオレは軽くため息をつくと手を振って別れを告げ、自分の家に入ろうとする。
だが、すぐに腕をガシッ!と掴まれて何故か止められた。
「ちょ、ちょっと待ってください! まだ話したいこといっぱいあるんですけど!?」
「は?オレは別にないけど」
「そ、そんなこと言わずに!ね?」
なんだコイツ。めちゃくちゃグイグイくるな。
必死に食い下がろうとする萩元さんにオレは再び溜息をつく。
「見たいテレビがあるんでまた明日にでもお願いします」
「え~。じゃあ、今から家にお邪魔してもいいですか?」
「いや、なんでそうなる……」
呆れたように呟くがそんなの関係なしに萩元さんは続ける。
「だって久しぶりに会ったんだから色々話したいじゃないですか!」
「久しぶりに?」
「そうだよ! 本当に忘れちゃったの? 私のこと」
「……」
全く記憶になかった。
知り合いにこんな騒がしいのがいたら絶対に忘れることはないだろうし、おそらくこの子の思い違いだろう。
そう思っていたのだが。
「酷い!! 昔はあんなに一緒に遊んだ仲なのに!!」
頬を膨らませてプンプン怒り始めた萩元さんは不意にスマホを取り出してある写真を見せてきた。
「これでも思い出せない?」
そこに映っていたのは砂浜で仲良くお山を作って遊んでいる小学生くらいの二人の子供だった。
一人は確実にオレだ。そしてもう一人は……。
「まさかお前、
「そうだよ! わざと他人のフリして意地悪してきてるのかと思ったら本当に忘れてたなんて。酷いなぁ、もう」
オレの記憶だと萩元はもっと大人しくて物静かなイメージだったが、たった数年でここまで明るい性格になっていたとは知らなかった。
だが、確かに言われてみると面影はある気がする。
それにしても、まさか萩元がまだこの町にいたなんて。
もうとっくに居ないものだと思ってたんだけどな。
都会に行きたいとかよく言ってたし。
「ね、良いでしょ? 家に上がっても」
有無を言わさぬその口調にオレは少し考える。
確かに赤の他人ならともかく、昔馴染みなら家に入れても問題ないか。
……いや、問題ないのか? 本当に?
「ダメだ。まだ引っ越しの荷物片付けてけてないし、そもそも今何時だと思ってるんだ?」
「え? 22時だけど?」
何か問題あるの?とでも言いたげな表情をする萩元にオレは頭を悩ませる。
いくらなんでも夜遅くに男の家に上がり込むとかありえんだろ。
「そういえばお前、もしかして今からどこかに行くつもりだったのか?」
「え?あー、うん。朝食のパンを買いにコンビニまで行こうかなって」
「……今何時だと思ってるんだ?」
「だから22時でしょ?え、もしかして私のスマホ時間間違ってる?」
「いや、そうじゃなくてだな……」
女の子がこんな時間に一人で出歩くな、というのはひょっとして野暮なんだろうか?
オレもコイツも既に高校生だ。そして、ここはちょっとした田舎。都会ではない。
余程のことがない限り危険な目に遭うことはまずない……と思う。
まあ、それでも。
もしここでオレが止めなかったことで萩元が何らかの事件に巻き込まれてしまったら流石に寝覚めが悪い。
ならば、一蓮托生だ。
「オレも行くよ、コンビニ。丁度行きたかったし」
「あれ? 見たいテレビあるんじゃないの?」
「そう言えば録画してあったの思い出したんだよ。荷物置いてくるからちょっとだけ待っててくれ」
「えー、流石に忘れっぽすぎない? 湊斗しばらく見ない間におじいちゃんになっちゃった?」
「うるせぇ、ほっとけ」
2
私立御伽橋高校。
そこは海と山に囲まれた町、御伽橋町にある唯一の高校である。
都会からはかなり離れた土地にあり、電車で約30分弱はかかるというそこそこ不便な場所なのだが、制服が可愛いという理由だけでこの高校に通おうとする女子は多い。
当然、そういった可愛い制服を着たがる女子が集まるならそれを見たがる男子も少なからずいる訳で。
毎年定員オーバーになるくらいには結構人気な学校だったりする。
オレも……そうだな。
そういった下心があったからこそ、御伽橋高校に通うことにしたのかもしれない。
でなきゃ一人暮らしなんて何処ででもできただろうしな。
「湊斗、聞いてる?」
一人で思い耽ていたところに萩元がにゅっと顔を覗かせてきた。
朝の通学路はまだ4月ということもあってか、少し肌寒い。学校指定のブレザーを着てはいるが、それでも風が吹く度にぶるりと身体が震えてしまうほどだ。
「悪い、聞いてなかった」
「も~! だから、同じクラスになれたら良いねって話!」
ぷくーっと頬を膨らませて怒ってますアピールをする萩元は、見た目は成長していてもやっぱり昔のままでなんだか懐かしい気持ちになった。
確かに同じクラスになれれば退屈せずに済みそうだが、現実はそう甘くはないだろう。
「そういえば昨日聞き忘れてたんだけどさ。湊斗って……その、彼女いるの?」
急な話題振りにオレは首を傾げる。
「んな事聞いてどうすんだ?」
「あっ、いや、ほら! もし彼女がいたとしたら私が沢山話しかけちゃうのって迷惑かなとか思ったり……」
顔を赤くしてわたわたと手を動かす萩元。
そんな彼女の様子に少しだけ笑みを浮かべた。
「いねえよ。いたこともない」
そう言って否定すると萩元はぱああっと表情を明るくし、ぐっと身を乗り出してきた。
その顔はまるで餌を待つ犬のように輝いている。
「本当に!? 嘘じゃないよね!?」
「なんでそんな嬉しそうなんだよ……」
明らかにテンションが上がった様子を見せる萩元にオレは肩をすくめる。
大方、抜け駆けされてなくてよかった!とかそんな感じに思っているんだろう。
これはチャンス!とでも言いたげに、ぐっと拳を握って気合いを入れる萩元を見てるとこっちまで応援したくなってくるから不思議だ。
それから程なくして学校に辿り着くと、校門を潜ったところで人だかりが見えた。
どうやらクラス分けの紙が掲示板に貼り出されているらしい。
「あっ、私は3組みたい。湊斗は?」
「オレは1組だな」
「えぇ……」
まるで世界が終わったみたいな顔をする萩元。
そんなに同じクラスが良かったか。
まぁ、でも話し相手がいないってのは退屈だしな。
とりあえず目的を果たし、落ち込む萩元と共に各々の教室へと向かおうとした時だった。
「やっと見つけた。何してたの、三結」
「え、織笠ちゃん!? いや、これは、その……」
突然現れた女子生徒に萩元は慌てふためく。
友達だろうか?と思って見ていると、一瞬ちらっとこっちに視線を向けた。
氷のように冷たく、まるでゴミを見るような目だった。
ナンパか何かとでも思われたようだ。
「いつものでしょ?私たち同じクラスみたいだから。ほら、行くわよ」
萩元の腕をぐいっと引っ張って校舎へと行ってしまう織笠と呼ばれた少女。
「ちょっと! 待って待って!」
「無理。待たない」
楽しげに会話しながら遠ざかっていく二人に、オレはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「……突っ立ってても仕方ないか」
そんなこんなで自分のクラスへと向かい、黒板に張り出された座席表を確認して席に着く。
周りを見るとすでに何人かの生徒が集まって雑談をしていた。
まだ始業式まで時間もあるし、今のうちに友達を作っておくのも悪くはないかもしれない。
だがしかし、残念ながらオレは昔から「仲間に入れて」の一言が言えないような心の弱い奴だった。
だから、ある程度集まって会話をしているようなグループに自ら話しかけに行くなんてハードルが高すぎる。
そもそもどうやって話し掛ければいいのかわからんし。
だが、このままではマズいのもまた事実。
いつだって退屈を払拭するには自ら動かなければならないのだから。
さて、どうしたものか。
「コイツが同じ高校とかマジ?」
「超キモいんですけど」
ふと聞こえたそんな会話にオレは視線を移す。
そこにはチャラチャラしてそうな男女のグループが一人の少女を囲んで嘲笑っている姿があった。
イジメだろうか?
そう思っていた矢先、輪の中にいたリーダーであろうギャルっぽい不良女が座っている少女をいきなり蹴り飛ばしたのだ。
「……っ!」
蹴られた場所を抑えながら怯える少女を見下ろし、不良女は心底楽しそうに笑う。
「あんたさぁ、ちょ~っと顔が良いからって調子乗りすぎじゃない?髪も金髪だし」
「別に、そんなつもりは……」
「あ? 文句あんの?」
「も、もうやめて……。本当に痛いから……」
弱り切った様子でそう呟く少女に対し、不良女は笑いながら暴力を一向に止めようとしない。
「今日の蟻塚は荒れてんなぁ」
「そうか?いつも通りじゃね?」
「キモい奴とまた3年間一緒の学校ってなったらそりゃイライラもするだろ」
取り巻き達も他人事のようにゲラゲラと笑う中、少女は顔を俯かせながらただじっと耐えていた。
流石にマズイか。
オレはすぐに席を立ち、その輪の中に割って入った。
「その辺にしとけ、やりすぎだ」
そう言うと蟻塚と呼ばれている不良女がキッとこちらを睨みつけてきた。
「は?誰お前?」
「誰だっていいだろ。そんなことよりもう殴るのはやめとけ」
「なんで?コイツがムカつくから悪いのよ。私は別に悪くない」
「あのな……」
そんな理由で暴力が肯定されるならこの世は終わりだ。
蟻塚が一体何にムカついて少女を虐めるのかはわからないが、いかなる理由があれ手を出すのは良くない。
ただ、オレがそれを言ったところでコイツが暴力を止めることはないだろう。
むしろ、悪化する恐れすらある。
なら、一か八かだ。
「わかったよ。ムカついたって理由だけで相手を殴っても良いって言うなら」
「なによ」
「オレがお前を殴っても問題ないんだな?」
「……は?」
オレは間髪入れず思いっきり振りかぶると、握りしめた拳をただ一点に目掛けて容赦なく放った。
直後、ガシャーン!!という大きな音が教室内に響く。
オレが拳を振り上げた際に反射的に目を瞑っていた蟻塚だったが、恐る恐る瞼を開くとそこにあったのは無残に叩き割られた窓ガラスの破片だった。
唖然として言葉を失う他の生徒たちを他所にオレは割れた窓と蟻塚を交互に見て悪びれた様子もなく言う。
「悪い。外れた」
「何の音だ!?お前たち何をやってる!」
早くも騒ぎを聞き付けたらしい男性の教師が慌てた様子で教室に入ってきた。
「こ、こいつがいきなり窓ガラスを割ったんです!」
焦った顔でオレのことを指差す蟻塚。
そしてやばいだろあいつ、などと小声で話すクラスメイトたち。
教師は信じられないといった顔でオレに問う。
「自分が何をしたかわかっているのか?」
「はい」
素直に返事をすると、教師は大きくため息をついた。
そしてやれやれと首を横に振る。
「……とりあえず職員室に来い。詳しい事情はそこで聞かせてもらう」
3
職員室は怖いくらいの静寂で満ちていた。
何人もの教師たちがオレに鋭い視線を向けてくる中、オレの目の前に座っている筋肉質の男性教師は完全に頭を抱えてしまっている。
まあ、入学初日からこんな面倒事が起きたらどんな教師だってそうなるだろう。
前代未聞の出来事すぎて対応が難しいに違いない。
「まずはそうだな……。どうして窓ガラスを割ったのか説明してくれるか?」
「イジメられてる奴がいたからです」
「……は?」
何を言っているのかわからないと言った表情を見せる男性教師。
ちょっと端折りすぎたか。とはいえ、1から全て説明するのは骨が折れる。ここは簡潔にまとめるか。
「虐められてた奴を助けようって思って。でも、イジメをするような連中ってのは何を忠告しても聞かないじゃないですか。なら、いっそのこと意識外の出来事が起きれば有耶無耶になるかなぁ、と」
我ながらなかなかの機転だと感心していると男性教師は今までに聞いたことのないくらい大きな溜息をつく。
相当呆れられてしまったらしい。故意に窓ガラスを割ったのだからそうなるのも当然か。
「あのな、そういう場合は俺たち教師を呼ぶのが普通だろう?わざわざ自分で解決しようとしなくても良いんだ。わかるか?」
「……それじゃ遅いだろ」
男性教師に聞こえないくらい小さな声で呟く。
まぁでも、確かにこの教師の意見もごもっともではある。
納得はできないけどな。
それにもしあのまま女子生徒が殴られ続けていたらそれこそ大怪我をしていた可能性もなくはない。
「肝に銘じておきます」
とはいえ、ここで反発したところで話が長引くだけだと判断したオレは頭を掻きつつ、頷くだけしておいた。
男性教師はそんなオレの言葉にホッとした様子で胸を撫で下ろす。
「とりあえず、今回だけは大目に見てやる。次は庇えないから覚えておけよ?」
「え……良いんすか?罰とかなしで」
てっきり反省文くらいは書かされるとばかり思っていたので正直驚いた。
いや、もしかしたら他に何かしら処分があるのかもしれないがそれでもラッキーであることに変わりはない。
「悪意があってやったわけじゃないんだろ?なんだ、嘘でもついたのか?」
「いや、嘘じゃないっすけど……。甘くないっすか?」
「それはやらかした側の台詞じゃないな。何にせよ、お前は行動しなきゃヤバいと思ったから行動したんだろう?良いじゃないか」
ニヤリと笑みを浮かべる男性教師。
「俺たち教師はな、大人に忠実なロボットを教育してるわけじゃないんだよ。大事な時やここぞって時に常識やルールに囚われて、道理や道徳を疎かにするくらいならまだ感情のままに動く子供の方が人として何倍もマシだ。まあ、お前は少しやりすぎだがな」
「……」
思わず言葉を失ってしまう。
そんな風に言われるとは思っていなかったからだ。
「その線引きを教えるのも俺たち教師の役割なんだろうが……とにかく、罰がないことは他の奴らには絶対言うなよ?俺がうるさく言われそうだからな」
「……緩い教師だな」
「何か言ったか?」
「いえ、別に」
ついうっかり本音が出てしまった。
余計なことは言うもんじゃないな。
「気が変わった。お前は在学中教師に頼まれ事をされたら積極的に手伝うこと。良いな?」
「マジかよ……」
「返事は?」
「はい」
これ以上面倒なことになるのは御免だったので仕方なく了承した。
話が終わると厄介祓いをするが如く、さっさと教室に戻れと促されたオレは足取り重いままに職員室を出た。
ただ。
「このまま戻ってもな」
職員室の扉の前でそんなことをボヤきながら廊下の壁にもたれ掛かる。
今頃、教室の空気は最悪だろう。
まあ、そんな空気にしてしまったのは紛れもなくオレなんだけどな。
……考えてても仕方ないか。
ここは潔く教室に戻って大人しく景色の一部になるしよう。
そんなことを考えていた時だった。
遠くから見覚えのある女子生徒が向かってくる。
さっきオレが庇った女子生徒だ。
「……、ぁ」
女子生徒はこちらの存在に気付くと申し訳なさそうに頭を下げた。
「助けてくれて……ありがと」
「別にお礼をされるようなことはしてねーよ。自分の為だ。それより大丈夫か?オレがいなくなった後も何かされたりとか」
「……大丈夫」
そう言う彼女の顔にはどこか陰りがあるように見えた。
本当に大丈夫ならそんな顔はしないと思うんだけどな。
「てか、わざわざお礼を言いにここまで来たのか?」
いちいち職員室まで来なくてもオレが教室に戻って来るのを待っていれば良かったものを。
「それもある、けど……」
と、少女は少し言いずらそうに口ごもる。そして。
「教室、居心地悪くて」
苦笑いをしつつ、彼女はそう言った。
大方、あのイジメ連中が教室からいなくなったオレに対してグチグチ文句を言っているのだろう。
柊も柊で怒りの矛先が自分に向く前に逃げてきたに違いない。
まあ、無理もない話だ。誰だってイジメをしてくるような連中と同じ空間にいたくはないだろうしな。
正直な話、オレも帰りたくはない。
このまま教室に戻っても間違いなく連中に絡まれるだろうし、なによりそうなった場合の場の収め方が何も思いついていない。面倒事は普通にパスだ。
それにこの子をまたあの教室に連れていくのも気が引ける。ただでさえ、今でもストレスを感じているだろうに更に追い打ちをかけるような真似はさせたくなかった。
かといってこのまま置いていくのも可哀想ではある。ここに彼女がきたのは他に頼れる奴がいないからだろうし、でなければお礼だけ言って去ればいいだけのこと。
わざわざオレの行動を待つ必要などないのだ。
どうしたものか。
そう頭を悩ませていると、不意に少女がオレに向かって突進をかましてきた。
いや、正確には抱き着いてきたというべきか?
その勢いのまま、オレは後ろの壁に叩きつけられ、背中に鈍い痛みが走る。
「おい、何やってんだ」
突然のことに驚きながらも、とりあえず声をかける。
だが、反応は無い。
……なんなんだ一体。
流石にこのままでいるのは第三者に要らぬ勘違いをされかねないので、ひとまず彼女を引き剥がす為に肩を掴む。
と、そこで。
「アイツどこに行ったんだ?」
「知らね。早く連れてこうぜ。蟻塚に殺される」
聞き覚えのある男たちの声が聞こえ、背筋に冷たいものが走った。
どうやら彼女を探しに来たらしい。しかも、こちらに近付いてきている気配がある。
ちょっとマズイか?
咄嗟にそう思ったオレは、反射的に少女の体を抱きしめていた。
「てかさ、ここ職員室じゃね?」
「うわ、まさか職員室に逃げた?」
「有り得るわ。どーする?出てくるまで待つか?」
「えー、面倒くさくね?俺らもバックれようぜ。蟻塚には適当言っとけばいいだろ」
幸いな事に柱の影と重なって見えなかったのか、男たちはオレたちに気付くことなく踵を返す。
徐々に遠のいていく足音に安堵の息を漏らすと同時に、腕の中の少女がもぞもぞと動いたのを感じて慌てて解放してやると、頬を赤く染めた少女と目が合った。
一瞬の間を置いて、彼女は俯きがちに口を開く。
「ごめんなさい」
「……?なにが?」
「私なんかが……その、抱きつくとか。気持ち悪、かったよね」
そう言いつつ少し泣きそうな顔になる彼女に、オレは首を傾げる。
何故そこまで自分を悲観的に捉えているのだろうか?
控えめに言ってもこの子はかなり可愛い部類に入る容姿をしている。抱き着かれて嫌な気分になる男はほぼいないだろうし、むしろラッキーくらいには思うだろう。
いや、違うか。
それもこれもイジメという環境が彼女の自信を喪失させているのかもしれない。そう思うとなんだかやるせない気持ちになり、気付けば口が開いていた。
「サボるか、2人で」
「……、え?」
「嫌な思いをしてまで教室にいる必要なんかねーよ。適当にどっかブラついて時間を潰そう」
我ながら滅茶苦茶なことを言ってると思ったが、今の彼女にあの環境はキツすぎる。
少なくともこのまま教室に戻ったところで絶対にロクな目に遭わない。お互いに。
そんな訳で提案してみたものの、やはりというかなんというか、少女の反応はあまりよろしくないものだった。
まあ、当然と言えば当然だろう。いきなりこんな話を持ちかけられて素直に頷く方がどうかしてる。オレも逆の立場なら絶対に首を縦に振らない自信がある。
どう説得したものかと頭を悩ませていると、不意に少女が小さく笑ったような気がした。
不思議に思って彼女の顔を見ると、そこにはどこか吹っ切れたような笑みがあって。
少女はゆっくりと頷き、「……、うん」とだけ言った。
4
学校から無断で脱走し、その辺の公園のベンチに座ったオレたちは適当に時間を潰していた。
正直、サボるという行為を今まで一度もしてこなかった分、かなり罪悪感がある。
不良ってすげーよ。
メンタルお化けだろ。
「……」
オレの隣に座り、少し落ち着かない様子の少女。
彼女もまたサボるという行為には不慣れなのだろう。
どこからどう見ても優等生って感じだし。
「無理しなくても良かったんだぞ?」
一応、気を使って声をかけてみたが、少女は首を横に振った。
「私のせいで教室に戻りずらくなってるのに1人にさせちゃうのは違うかなって」
両手を胸の前でギュッと握りながら話す少女にオレは苦笑いするしかなかった。
まだ仲良くもないような奴に優しくしすぎだろ。
どうなってんだこの子。
「なら、人と話すのは苦手か?」
「……え?」
「退屈しのぎに話し相手になってくれ」
「うん」
少女の言葉に、オレは少し考える。
提案したのはいいものの、こういう時って具体的に何を話したらいいんだろうか?
好きなことでも聞いてみるか?
なんか狙ってるみたいで気持ち悪いな。
逆に嫌いなことでも聞くか?
嫌がらせでもするのかオレ?
だったらいっそ休日に何をしてるのかとか……だめだな。なんかストーカーっぽい。
あっ、そういえば。
「名前聞いてなかったな。オレは」
「
「へ?」
「結城湊斗くん、だよね?」
ちょっと自信なさげに聞いてくる少女。
だが、正解だった。
「よく知ってるな」
「……、クラス分けの紙で見たから」
「なるほど」
よほど記憶力が良いんだろう。
自慢じゃないがオレなんて誰一人覚えられてない。
「私は
「そっか。よろしくな、柊」
「うん」
微笑む柊を見て、オレも思わず笑顔になる。
「柊ってハーフなのか?」
「え?」
「その金髪って地毛だろ?染めてるようには見えないし」
染めた髪特有の違和感がないというか、ナチュラルすぎるというか。
純日本人には絶対に真似できないような明るい金色だった。
俺の質問に柊は少し考えるような仕草をすると、ふっと口元を緩めてこう言った。
「おばあちゃんがフランスの人だから」
「あぁ、そういうことか。綺麗だよな」
「え……、ありがと」
白く輝く金髪を指先で弄りながら、頬を赤くして俯く少女。
照れ隠しのつもりだろうか?
その仕草に俺は思わず見惚れてしまった。
「でも、駄目だよねやっぱり」
「……?なにが?」
「高校生なのに金髪なんて」
柊の顔に陰りが見え、声のトーンも落ちる。
言っている意味がわからなかったが、少し経ってようやくその言葉の意味を理解した。
「アイツらに言われたのか?」
「……」
返事はなし。
まあ、だいたいの予想は着く。
おそらくあの不良たちに何か吹き込まれたのだろう。
確かに染髪を禁止している高校は多い。派手な髪色の生徒が増えると風紀が乱れる、といった昔ながらの考えからきたものだろう。
しかし、それはあくまで他の高校の話だ。そもそもこの学校には染髪してはいけないなんて校則はないし、生徒の髪の色なんて教師は気にもしないだろう。
今の時代、子供の自由を縛る方がよほど問題だ。生徒が髪を染めて評価が落ちるのは学校側であって本人ではないし、それで成績が落ちるのなら本人の努力不足でしかない。
いつものオレならここで「そんなに気にしなくても良いんじゃないか?」などと無責任に言ってしまいそうなものだが、状況が状況だ。
柊にとっては何の慰めにもならないだろう。
せっかくの綺麗な金髪だ。
守ってやりたくはある。
「下手に抗って痛い思いするよりは良いかなって。言いなりになるのは……別に、慣れてるから」
「慣れるわけねーだろ」
「……、え?」
オレは小さく呟くと、空を仰ぎつつ続ける。
「今まで散々嫌な思いをしてきたってのにこれからもずっと同じ思いをしていかきゃならないなんて納得出来ないだろ?」
「……」
「気持ちは分かる。抗う為の勇気が一体どれほど必要で流されるままの方が一体どれほど楽かってことくらいは。オレも昔、太ってるって理由で虐められてたしな」
「そうなの?」
「まあ、結構思い出したくない記憶の1つではある。で、柊はどうしたいんだ?」
「私?」
「あぁ、誰かにああしろこうしろって言われたからやるんじゃなくて。ルールとか常識とか、そういうのなしで柊はどうしたい?」
答え次第ではオレも手助けしてやれるが、さて。
しばらく考えた後、柊は弱々しく小さな声で呟く。
「……、このままが良い」
「だよな」
オレは少し笑って見せる。
「なら、そのままでいれば良い。別に教師に言われたわけでもないんだし。また嫌な思いをしたら言えよ。オレがいくらでも励ましてやる」
「うん」
俯いて返事をする柊だったが、不意に顔を上げるとこちらを見つめてきた。
「どうした?何か顔についてるか?」
「格好良いよね。結城くんって」
「そうか?」
いきなり褒められたことに驚きつつ、オレは首を傾げて見せた。
「意外と普通の顔だぞ?まぁ、格好良く見せてるってのはあるけど」
「……、違う」
「ん?」
「なんでもない」
顔を逸らして拗ねる柊にオレはさらに首を傾げるしかなかった。
顔の話じゃなかったのか?
「結城くんは、どうやって変わったの?」
ふと、そんなことを聞いてくる柊。
どうと言われてもな。
「とりあえずオレは痩せることから始めたな」
「痩せる?」
「そ。言ったろ?昔太っててそのせいでイジメられてたって。見るか?」
そう言ってスマホを操作して画像フォルダを開く。
そこに写っているのは小学生の頃の自分だった。
今とは全然違う体型をしているが、それでも多少は面影がある。
「幻滅するだろ?」
笑いながら言うオレに、柊は小さく首を振ると真っ直ぐオレの目を見つつ答えた。
「可愛いね」
「は?可愛い?」
「うん、可愛い」
いやいやいや。ご冗談を。
自分で言うのも何だがこの頃のオレなんて可愛げの欠片もなかったぞ?
無駄にひねくれてたし。
「初めてだな、そんなこと言われたの」
「そうなの?」
「あぁ、みんなオレを避けてキモイキモイ言われ続けたしな。友達だって1人もいなかった」
今もいないけどな。
なんて自虐的なことを考えている間にも彼女は画面を食い入るように見つめている様子だったので、そっとポケットに仕舞うことにした。さすがにこれ以上見続けられるのはむず痒い。
「友達って……どうやって作るのかな」
ぼそっと呟いた柊に思わず視線を向ける。その表情には不安の色が滲んでいたように見えた。
「さぁな。柊もいないのか?」
「うん。私も……ずっと1人だったから」
言葉にこそしなかったが、おそらく柊もまた今まで相当辛い思いをしてきたのだろう。
そして、今もなお苦しんでいる。
苦しんで、もがき続けている。
そんな子にオレがしてやれることは。
「……そろそろ学校も終わったみたいだな」
学校のチャイムが聞こえ、始業式が終わったらしくぞろぞろと生徒たちが下校していく。
今日は流石に午前中で学校は終わりらしい。
「鞄取りに行くか」
「……」
返事はない。
見ると柊は胸の前で手を握り、少しだけ心配そうな顔をしていた。
無断で学校を抜け出したのだ。心配もするだろう。
だが、運が良ければ教師に気付かれず、そのまま家に帰れるかもしれない。
問題はあの不良たちだ。大人しく帰ってくれていればいいんだが。
どちらにせよ、自分から乗り込んだ船だ。最後まで付き合ってやるさ。
そう思いながら立ち上がると、オレは柊と一緒に教室を目指した。
5
「おっ、やっと戻ってきたじゃん。初日からサボりとか終わってんねぇ」
悪い予感ほどよく当たる。
教室に戻ってきたオレたちを待っていたのは不良のイジメグループだった。
オレの陰に隠れて怯えている柊を庇うように前に出ると、そいつらに向かって口を開く。
「オレたちに何か用か?」
「用ってほどのことじゃないよ。たださ、調子に乗ってる馬鹿を放っておくとちょ~っと目障りじゃん?だから、痛い目を見てもらおうかなってね」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら教卓に座る蟻塚が言う。
まあ、確かにあんなことをされて黙っていられるような輩じゃないよな、コイツらは。
「悪い、見たいテレビがあるからまた今度にしてくれないか?」
「あ?良いわけねえだろ」
取り巻きの男たちがぞろぞろと前に出てきてパキパキと指を鳴らす。
どいつもこいつもガラの悪い連中ばかりだ。
「安心しな。顔だけはやめておいてやるからよ」
「なんだそれ。もしかして怖いのか?教師に目を付けられんのが。揃いも揃ってビビりかよ」
挑発するようにそう言ってやると、不良たちは額に青筋を立てながらオレを取り囲むようにして迫ってくる。
教室から柊を手で追い払い、オレ一人だけがこの場に残った。
「お前、今の状況をわかってねえみたいだな?」
「5対1のことを言ってんなら別に気にしなくても良いぞ。お前らと喧嘩する気なんてねーから」
「なんだと?」
両手を広げて戦う意思がないことを示してやると、目の前にいた厳つい男が苛立ったように睨みつけてくる。
「オレは弱い者いじめをする趣味はねーんだよ。お前らみたいにな」
「テメェ、喧嘩売ってんのか?」
「買ってんだよ。痛い目を見せてくれるんだろ?いくらでもこいよ。でも、その代わり柊にはもう二度と関わるな」
6
「先生、こっち!」
あれから数分後。
何も考えずただひたすら痛みに堪えていたオレの元に数人の教師たちを引き連れた柊が戻ってきた。
不良たちの顔には困惑の色がありありと浮かんでいる。
この場から逃げないように挑発しておいた甲斐があったな。
「お前たち、しっかりと話は聞かせてもらうぞ?」
「ち、違う!アイツが先に喧嘩を売ってきたの!」
蟻塚が慌てて言い訳を口にするがもう遅い。
完全に現行犯だ。それに、仮に嘘じゃなかったとしてもこの状況で信じられるような奴はいないだろう。
なにせ、オレはボコボコ。相手は無傷なのだから。
「……、大丈夫?」
倒れているオレの傍に駆け寄ってきて上半身を起こすと、心配そうな表情で顔を覗き込んでくる柊。
その手には可愛らしいハンカチが握られていた。
どうやら顔を殴られた際に口の中を切ってしまったらしく、それで唇の端から出ていた血を拭おうとしてくれているようだ。
だが。
「汚れるからやめとけ」
オレはその行為をすぐに止めさせた。
すると、柊はムッとした様子で威圧してくる。
その瞳は僅かに潤んでいた。
……そんな目で見られると困るんだけどなぁ。
「捨てるから大丈夫」
「はは、そうかよ」
結局押し切られてしまい、されるがままに拭われる。
あーあ、綺麗なハンカチが台無しだ。何が捨てるだよ。こんな高そうなハンカチそうそう簡単に捨てられるかっつーの。
そんなことを考えていると。
「……、どうして笑ってるの?」
「へ?」
言われて初めて気付いた。自分の頬が緩んでいることに。
「酷い目に遭ったのに……私のせいで」
目に涙を浮かべながら今にも決壊寸前の柊。
優しすぎた。この優しさが今オレだけに向けられているのが申し訳なくなるくらいには。
だが、そんな気持ちとは裏腹に。気が付けば無意識のうちに手が柊の頭に伸びていて。
ポンっと軽く撫でてやっていた。
突然の出来事に驚いたのか、ビクッとして固まってしまう柊。
しまった。思わず頭を撫でてしまったがこれは失敗だったかもしれない。
急いで手を離そうとするも、時すでに遅し。
柊はついに我慢しきれずポロポロと涙を流し始めた。
「あっ、いや、違う!これは……」
友達でもない奴に、ましてや男なんかに頭を触られたら泣くよな普通は……。
このままでは明日から後ろ指を指されながら高校生活を送ることになりかねん。
どうすればいい?どうすれば……!
「あっ、UFO!」
咄嵯に出た言葉がこれだった。
我ながら何を言っているんだと思うが仕方がない。これしか思いつかなかったのだから。
しかし、泣き止むどころか柊はぎゅっと顔をうずめる様にして抱きついてきた。
えぇ……。マジでなんなんだこの状況……。
どうしようもない居心地の悪さを感じながらもオレはそのままの状態でいるしかなかった。
「何イチャイチャしてんだ、お前ら!」
さっきまでオレをボコボコにしていた不良たちの一人が叫ぶ。
いや、なんでまだいるんだよ。
さっさと連れてけよ教師。
7
「いてて……」
保健室。不良集団にボコボコにされて疲弊したオレは平気だと伝えたにも関わらず、目に涙を浮かべながら頬を膨らませて怒る柊の健気さに抗えず、結局お世話になることになった。
「初日から怪我して保健室に来るだなんて。人生で2人目よ。あなたのような生徒は」
少し歳を感じさせる保健の女性教師が呆れた様子で言う。
「ははは……。すみません」
乾いた笑いしか出てこない。
てか、他にもいたのかそんな生徒。てっきりオレくらいなものだと思ってたが。
「……、迷惑でしたか?」
胸の前で両手を握りながらおずおずと柊は尋ねる。
その台詞普通はオレのなんだけどな。
「あら、迷惑だなんて思わないわ。それにね、例え迷惑があったとしても子供は大人に迷惑を掛けながら成長していくものなの。多少のことくらいは目を瞑りますとも。ね、五十嵐先生?」
そう言って優しく微笑む保健教師に筋肉教師五十嵐も深く頷く。
ちなみにこの五十嵐先生と呼ばれた教師は今朝オレが職員室で世話になった人だ。
どうやらオレを探してここまできたらしい。
「だからね、いつか貴方たちが大人になった時も多少のことは大目に見てあげてくれると嬉しいわ」
まるで我が子を諭すように優しい口調で語りかける保健教師。
なんだろう、この感覚。凄くムズムズする。
でも、決して悪い気分じゃない。
「結城、向こうは向こうで他の先生方が対応してくれているが、何があったのかお前の口からも説明してくれるか?」
五十嵐先生がいつにもなく真面目な顔つきになって尋ねてくる。
「えーっと……教室で急に絡まれてボコボコにされました」
「ほう、なるほど。だが、おかしいな?」
顎に手を当てて考え込むような素振りを見せる五十嵐先生。
何が? とオレが疑問を抱いていると五十嵐先生は言葉を続けた。
「俺の気のせいじゃなければだが、お前たちが2人して学校を出ていく姿を見かけた気がしてな?てっきり早退したもんだとばかり思っていたが」
「老眼なんじゃないですか?」
「確かにな。最近視力が落ちたのかぼやけて見えることが多いし……ってやかましいわ。後はそう、始業式でもお前たちの姿を見なかった気がしてな」
「……気のせいっすよ」
目を逸らしつつ真実を否定するオレ。
あのまま学校をサボったとか絶対に言えない。
確かこの学校は放課後まで無断で外に出ることは禁止されてた気がするし、なによりも今回は柊が一緒だ。
余計に言えるわけがなかった。
何かないか?良い感じに騙せそうなものは?
「……先生、ごめんなさい。サボりました」
オレが言い訳を模索している間に淡々と柊が事実を述べる。
いやいや、お前がバラすんかーい。
「……、私が無理やり結城くんを付き合わせたんです」
「は?」
何を言ってるんだ、コイツは?
もしかしてオレのことを庇おうとしてる?
「アホか」
痛くない程度に手加減した上でビシッと柊の額にチョップをお見舞いする。
「いたっ」
と、デコを押さえつつ恨めしげにこちらを上目遣いしてくる柊にオレは溜息をついた。
「オレが提案したんです。教室は居心地が悪いって柊が言ってたんで。なら、外で暇潰そうってオレが言って。嫌な奴と無理に同じ空間に居続けてもストレスが溜まるだけだと思って」
「……なるほど」
あまり詳しく説明はしなかったが、五十嵐先生は何かを察したように頷く。
「確かにお前の意見は一理ある。だが、放課後でもないのに無断で学校から出るのは校則違反だということは理解しているな?」
「勿論」
五十嵐先生の問いかけに対して素直に答える。
重々承知の上だった。
そして柊もまた、それを理解した上でオレに付き合ってくれたはずだ。
な、柊?
「……」
オレが振り向いた瞬間、なぜか顔を背けられてしまった。
おい、待て待て。なぜそこで目を逸らすんだ柊。
知らなかったとか言わないよな?
頼むから知っててくれ頼むから。
「反省文だ。今日書いて明日必ず持ってこい。持ってこなかった場合は……わかるな?」
五十嵐先生がそう言うとオレたちの前に原稿用紙が置かれる。
あれ?ちょっと待て。なんかオレの方が多くない?
なんでー?おかしくなーい?
心の中で抗議するも虚しく、結局オレは柊と共に職員室を後にしたのだった。
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