第23話 先生にも苦手なものはある
「ふふ、もう描けた?」
「いえ、まだ……」
彩子の補習が始まって一時間以上経ったので、拓雄にもう終わったのかと、彩子が訊くと、まだ描き終えておらず、筆を急ぐが、
「良いのよ、自分のペースで描いて。でも、どんな感じか見せてくれると嬉しいな」
「ふふ、もうこうやって座るのも飽きちゃったしねー。どれ、先生にも見せてごらん」
「はい」
恥ずかしかったが、スケッチブックを手渡し、三人に写生画を見せると、
「へえ、上手いじゃない」
「本当ね。思ったより、よく描けてるわ」
ユリアとすみれが拓雄の描いた自分たちの似顔絵を見ると、特徴を捉えて、自分に似た感じに描いており、素直に感心する。
「そうでしょう。拓雄君、絵が上手なの。だから、美術部に入って欲しいなあって思ってるんだけど、どう?」
「そんな事は……」
自分ではそこまで上手く描けてるとは思わなかったので、三人に褒められたのはお世辞だと思い、照れ臭そうに俯いていた。
「まだ終わってないみたいだけど、今日はここまでにしましょう。お疲れさま。今度は、絶対二人きりでやろうね」
「あのー、私達の前で、そういう事、堂々と言わないでくれます?」
「そうです。女性教師と男子生徒の二人だけの個人授業は、色々と風紀上、問題がありますから」
「二人だってやったじゃない! もう……でも、今日はここで終わりね。提出はいつでも構わないわ。別にコンクールや成績に関係がある課題じゃないし、納得の行く出来だと思ったら、そこで提出してね」
「はあ……」
それだと単なるお絵描きでしかないのだが、彩子からしてみれば、拓雄と二人きりになる口実の補習でしかないので、提出などしなくても良かったのだが、それでも拓雄には絵の才能があると見抜いていたので、どうしても美術部に入れたかったのだ。
「じゃあ、そろそろ戻りましょうか」
「そうね。拓雄君、あなたは早く帰りなさい」
「はい。今日はありがとうございました」
「くす、良いのよ。またねー」
暗くなってきたので、三人は職員室に戻り、拓雄は下校していく。
「どうしようかな、これ……」
家に帰り、スケッチブックを開いて、描きかけの三人の写生画をぼんやりと眺める。
マンガやアニメたっちの絵になってしまい、自分としては、あまり人に見せられる出来ではないと思ったが、三人とも自分の絵を褒めてくれたので、完成させないのも悪いと思い、少しずつでも描き進めることにする。
とは言え、成績に関係ない以上、勉強をないがしろにしてまで、無理に進める事もないとし、今日は課題も多く出ていたので、そこそこ進めて終わりにしていった。
「あ、彩子先生から……はい」
『ヤッホー♪ 拓雄君、元気してるー?』
と、またも彩子から電話がかかってきたので、拓雄も苦笑しながら電話に出ると、いつもと同じような明るく朗らかな口調で彩子が声をかけていく。
『へへ、今日の補習、拓雄君と二人きりになれなかったの残念だけど、来てくれただけで嬉しいよ』
「ありがとうございます。あの課題はもう少し……」
『良いの、良いの。あれは本当にいつでも構わないから。別に成績を落としたりは絶対にないし、ね?』
「はあ……あの、先生、今日はどうして僕に補習を?」
『うーーん、拓雄君と一緒に絵を描きたかったからじゃ駄目?』
「僕とですか?」
『うん。まあ、それは口実。あなたと二人きりになりたかったの。先生、もっと仲良くしたいから、 遠慮なく電話かけてきて、学校でも話しかけてきて。ね?』
もう、教師と言う立場も忘れて、拓雄にガンガン迫ってくる彩子に、彼もやや引き始める。
好意を抱いている事を隠してもいない彼女に、どう接したら良いのかわからず、困惑するばかりであった。
『あ、もうすぐ期末試験だね。美術は、今、やってる油絵が試験代わりになるから、ちゃんとやるようにね』
そう告げると、彩子は他愛もない雑談をはじめ、拓雄はそれにひたすら頷いていく。
彼女の強引なアプローチはこの先も続き、拓雄を悩ませ続けていったのであった。
翌日――
「拓雄君、ちょっと良い?」
「はい?」
英語の授業が終わった後、担当のユリアから呼び出され、教壇に立っている彼女の方へ行くと、
「君、日直よね? ちょっと手伝って欲しい事があるから付いて来て」
「はい」
何だろうとユリアと一緒に教室を出て、廊下を歩いていると、人気のない階段の隅に連れて行かれ、
「今夜、暇?」
「は、はい?」
「だから、今日の夜、暇かと聞いてるの。イエスかノーで答えなさい」
「予定はありませんけど……何です?」
「ちょっと、私の家に来て。プライベートな用事で悪いんだけど、どうしても手伝って欲しい事がある?」
「先生の家にですか?」
と、小声で耳打ちし、拓雄も何だろうと首を傾げる。
かなり深刻そうな顔をしていたので、よほどの事情があるのかと思ったが、ユリアは珍しく恥ずかしそうにしており、
「そう言う事だから。そうね……夜の八時くらいには来て。そのくらいに家に帰れると思うから」
そう告げた後、職員室にそそくさと戻っていく。
夜の八時に来いとは、何の用事だろうと、首を傾げていた。
「えっと、ここだよね?」
約束の時間の五分前にユリアのアパートに行き、緊張した面持ちで、インターホンを押す。
「拓雄君? 良くきたわね。入って来て」
「お邪魔します」
呼び鈴が鳴ると、すぐにユリアがブラウスとジーンズと言うラフな格好のまま、彼を出迎え、中に入る。
「その、今日は一体……」
「こっち」
「は、はい?」
神妙な面持ちで、拓雄の袖を引っ張ると、ユリアは台所へと彼を案内する。
「これを見て」
「これは……」
流しの下を指差すと、ゴキブリホイホイが置いてあり、
「中を見て欲しいの」
「はあ……んっ、これは……」
何事かと中を見てみると、ゴキブリが二匹捕まっており、粘着テープに張り付いて、もがいていた。
「あの、これは……」
「見せないでっ! 早く退治して欲しいの」
「いい? あ、はい……」
捕まっていたゴキブリを見せようとすると、ユリアは血相を変えてそう言い、拓雄も困った顔をして、近くにあったスリッパで叩き潰した後、ビニール袋に入れて、ゴミ袋に入れて処分する。
拓雄もゴキブリが苦手ではあったが、潔癖症のユリアはゴキブリを見るのも嫌なので、隅っこに固まって青い顔をして震えていた。
「終わりました。もう大丈夫ですよ」
「本当?」
「本当ですよ。スリッパと殺虫剤で殺しましたし。でも、また仲間が居るかもしれないので、気をつけた方が良いですね」
「うう……一匹見たら、三十匹だっけ……嫌な虫よね」
と、珍しく感情を露にして、グッタリしていたユリアを見て、新鮮な気持ちになり、拓雄も内心、ほほえましい気分になる。
「ごめんなさい。昨夜、念のため設置して、朝、見てみたら、かかっているのが見えて、どうしても捨てられなくて……ああ、恥ずかしいわ、生徒にこんな事を頼むなんて」
「いえ、いつでも言ってください」
「そ、そう。あの今日の事は皆には……」
「ええ、誰にも言いませんから」
「約束よ。絶対」
と、ユリアは彼の手を握って必死な目でそう訴える。
普段はクールなユリアにも苦手な物はあったのだと、意外に思ってしまい、何だか可愛らしく思えてしまったのであった。
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