あるいは、都市伝説を追っていたあの頃の僕たち。

サトウ・レン

プロローグ

大人になった僕は廃校舎へと向かう。

「理解できないものを理解しよう、ってのは傲慢なんだよ。人間のね」

 ふいにそんな言葉が聞こえた気がしたのは、久し振りに実家に帰ってきた懐かしさのせいだろうか。まだ僕が小学生だった頃、とても仲の良かったクラスメートがいた。彼については分からないことがあまりに多く、理解が及ばないまま、僕の前から消えてしまった。会いたくないと思いつつも、どこかで再会を望んでいる自分がいることにも気付いている。だけど卒業以降、会うことは一度もなかった。まぁ当然の話なのだが。


 何年か前、一緒に暮らしていた恋人は、オカルトの話題が好きなひとだった。部屋の本棚には怪談本やオカルト本の類がぎっしり詰め込まれていて、テレビのオカルト番組なんかもよく観ていた。僕もそういう不可思議な出来事がもともと嫌いな性格だったわけではないが、過去の体験のせいで避けたいものになっていた。どういうタイミングだったかは忘れてしまったのだが、僕はつい、「だから都市伝説って嫌いなんだ」と呟いてしまって、彼女と喧嘩になってしまったことがある。確か彼女がテレビを観ている時だったはずだ。都市伝説、ってわざわざ言ってしまったくらいだから、都市伝説特集だったはずだ。怒りとともに彼女はびっくりしていたはずだ。僕はどちらかと言えば他者との口論は避ける、自己主張のできないタイプだったから。一度は仲直りしたものの、結局、この時の口論が尾を引いて、彼女とは別れてしまった。


 真夜中、僕は外に出る。明かりを持って。

 一ヶ月くらい前から、心がずっと落ち着かず、ちょっとはマシになるかも、と郷里へと帰ってきたのだが、心のざわつきは変わらないままだ。


 傘を持たずに出たのに、気まぐれな空は、そういう時に限って、雨を降り落としはじめる。小雨程度だから、気にするほどのものではないのだが、明日になれば、風邪を引いてしまうそうな気もする。


 十五分ほど歩けば、かつて僕の通っていた小学校が見えてくる。小学生の頃は、もっと遠く感じていたので、それだけ僕は大人になった、ということだろう。


 もう廃校になってしまった、と聞いている。僕が通っていた頃は、それなりの生徒数がいたのに。過疎化は、そのぐらいの速度で進んでいる、ということだろう。寂しい話だ、と思いながらも、こっちには住んでおらず、結婚もしていない、子どももいない僕に寂しがる資格もないよなぁ、と思わず心の中で笑ってしまう。


 校庭のグラウンドに足を踏み入れる。グラウンドから眺める夜の廃校舎は、不気味だ。彼だったら、この雰囲気に喜び、ためらう僕を置いてけぼりにして、校舎の中に入っていたことだろう。あの頃、彼のそんな姿に何度か憧れたものだ。


 正門の玄関口には、蜘蛛の巣が張っている。綺麗に掃除の行き届いていたかつての面影はもう、そこにはない。


 取っ手に触れる。鍵は掛かっていない。

 学校の中に忍び込むなんて、何年振りだろう。あの時は廃校舎ではなかったから、いまより罪深いわけだが、いまのほうが罪悪感を覚えてしまっている。それは僕が大人になったからなのだろうか。


 あの時と違うことがあるとしたら、隣に彼がいないことだろうか。


「きみは本当に怖がりだね」

 おそるおそると校舎に足を踏み入れながら、いまはいない彼にそう言われた気がした。


 たいして目的があったわけではないが、僕はあの日の行動に重ねるようにして、三階へと向かった。


 三階の女子トイレ、三番目のドアを、三回ノックする。花子さんを呼び出す儀式だ。


 当然、何も起こらない。もういないのだろう。学校としての機能を失い、そこに宿っていた者たちも消え去ってしまったのだろうか。推測したところで、確認できる相手がいない以上、結局は分からないままだ。


 僕は彼とクラスメートだった頃、一緒に過ごした教室へと向かう。机も椅子もそこには残っていない。本来置かれているはずの物が取り除かれた教室はこんなにも広かったのか、とすこし驚き、ぼんやりと黒板を眺めていると、


 がたん、と物音がした。

 誰かいるのだろうか。むかしの僕なら幽霊を怖がっていたかもしれないが、いまの僕は幽霊よりもひとの存在を怖がっている。たとえ廃校とはいえ、許可も取らずに母校に侵入してしまっているのだから、何を言われるか分かったもんじゃない。


 だけどひとの姿はなかった。物音の正体も分からなかった。

 というか、何があるわけでもないのに、なんでこんなところに来てしまったのか。自分から入っておきながら、僕は急に馬鹿馬鹿しくなってきて、校舎を出よう、と思った。


「その一貫性のなさが、きみ、らしいな」

 またふと声が聞こえた気がした。懐かしい笑い声だ。


 幻聴だ。きっと。そうに決まっている。

 だけどその声に耳をそばだてながら、僕は回想していた。回想の中の僕たちはどこか大人びている。たぶん実際の僕たちはもっと幼くて、ちっぽけだったはずだ。だけどそこまでリアルに思い出すには、僕はもう大人になり過ぎている。過ぎ去った過去はもう戻っては来ないのだ、と改めて実感するかのように。


 大人になった僕のまなざしは、

 ゆるやかに彼と過ごした頃の記憶をたどっていく。

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