第5話 逃亡の終わり


 19:30 確保(侯爵令嬢視点)

 

 それから数時間、アリスとロベリアは二人でデンパーの町を歩き回った。

 ロベリアには楽しい時間だった…気の置けない友人と二人、海の見えるカフェでお茶をしたり、きれいな岬で二人夕日を眺めたり。

 第二王子と一緒に過ごしていたころにはありえないくらい、時が過ぎるのが速い時間だった。

 ロベリアとしては王国のしがらみから解放され、ティダ帝国でアリスの侍女になれば、主従という関係ではあっても友人に近い距離感でアリスと一緒にいられるのではないか、と考え始めていた。

 侯爵令嬢が侍女なんて、とお母さまがいいそうだなとは思ったものの、私は王家から国外追放になった身。

 平民として一人、生きていかないといけない。

 そのための勤め先として、令嬢の侍女なんて最高の待遇ではないか。

 優しい雇い主…上司である執事やメイド長がどんな人かはわからないけれど、少なくともアリスは優しい方だし、ティダ帝国についても、弟からの手紙には基本的には優しい人が多いというから、仕事も問題なくできそう、ロベリアはそう思い始めていた。

 

「…すいません、アリス様、夕飯ご馳走していただいて」

「ああ、いや、このくらい問題ない。

 君の身の上を聞いて、少しでも力になりたくてな」

 そういえば、この方は婚約していた相手に、ほかに結婚したい相手ができたと婚約解消をされたといっていた…いやそれはロベリアもだが。

 ロベリアのようにキツめの外見で、契約結婚なのだからとすべてをあきらめていたならともかく、アリスのような優しい美人を振るとか、相手が信じられない、と言ったら目を涙ぐませて「ありがとう」と言われた小さな声をロベリアは忘れられない。

「さて…それでもあと一時間半か。

 そういえば、温泉があるらしいなこの街には」

「…温泉!?」

 なんと美しい響きだろう…旅行が趣味とはいえ、鉄道時刻表で空想旅行するしかできなかった私の、あこがれの一つが『温泉』だった。

 そういえばデンパーには温泉があったと思いだす。

 その時だった。

 

「やっと見つけたぞ、バカ娘」

 

 

 8:00 マッカード中央駅 (アンジェリカ侯爵視点)

 

 遡ってロベリアがデンパーに到着した日の朝…。

 

「本当に行かれるのですか、旦那様」

 ロマンスグレーの執事とともにマッカード中央駅にやってきたアンジェリカ侯爵は、その質問にただ一つうなずいた。

「しかし本当にお嬢様がデンパーに行かれるという確証は…」

「ロベリアが国外追放といわれて向かうのはおそらくティダ帝国…そして昨日の『インターアーバン』にロベリアはいなかった。

 『インタースイフト』に乗ったなら今日の夜ナーハ港に来る船を調査すればいいし、そちらは王家の近衛騎士団に行ってもらっている。

 もし今日の国際連絡急行に乗ろうとするならこの駅に我が家の軍隊を数名駐在させる。

 そして、我が侯爵家のタウンハウスから徒歩で行ける南アオゲニアからシローナ行最終に乗れば『インターラビット』にムラーシで間に合う。

 マッカード中央駅に現れなかったロベリアが昨日のうちに王国から出るとすれば、南アオゲニア~ムラーシ経由で『インターラビット』を使うしかないだろう」

 それは侯爵の確証に近かった。

 『マッカード中央駅で張ればロベリアが来る』としか考えなかった第二王子と違うのは、一度ロベリアが侯爵家に戻ったという情報から、南アオゲニアルートの『インターラビット』を思いついたことであろう。

 そしてそのルート、実は以前はティダ帝国への連絡手段として有効だったのだが、当時は2便あった連絡船が1便に減らされ、利用率の低迷した『インターラビット』から接続する昼行連絡船がなくなってしまったため、翌日昼行の特急『インターアクティ』を利用してデンパーに到着しても間に合う…これはロベリアにとっては痛手だが、追う側にとっては好都合だった。

 さらに今回、第二王子独断による国外追放処分・・・・・・を受けていたロベリアは、気を急いて夜行にこだわってしまったため、『インターラビット』しか選択肢がなくなり、結果としてアンジェリカ侯爵はデンパー行の昼行特急『インターアクティ』で追いかけることが可能になった。

 このルートを思いついたアンジェリカ侯爵はこのマッカード中央駅で翌日の『インターアクティ』の二等車を予約し、侯爵家で体制を整え、満を持して翌日『インターアクティ』に乗った。

 

 このデンパー経由の連絡船のルートは、現在三つのティダ帝国への主要ルートのうち一番最初に開業したルートであった。

 そのため開業当初、デンパーは連絡船の町として栄え、温泉も出たことから観光業も栄えることとなった。

 しかし、このルートは連絡船乗車時間こそ短いものの、ガバナーレ国の首都を通ることもなく、路盤も貧弱で高速化が難しい。

 そこで、もともと路盤を整備して開業した王国からガバナーレ国の首都に向かう現在の『インターアーバン』のルートが整備され、現在では王国とガバナーレ国の首都を結ぶ特急列車のほか、ティダ帝国へは昼行夜行各1本の2往復向かうことが可能になり、ティダ帝国内でも首都リバピーリに近いボシント港から向かうことができることもあり、非常に賑わいを見せることになる。

 ガバナーレ国としても、当初は首都からはデンパーに向かう鉄道があり、ティダ帝国へのメインルートであったものの、このガバナーレ国西のリスビーヌ港が整備され、ティダ帝国ボシント港への連絡船が就航すると、王国からの『インターアーバン』ルートの一角を担う首都~リスビーヌ線がティダ帝国へのメインになり、デンパーは温泉を利用した観光業と、ガバナーレ国首都やリスビーヌ港で有事の際にティダ帝国に船を出すための有事避難港として活用することになり、連絡船こそ減ったものの、王国や観光地に向かう列車として2本の優等列車(特急/急行各1本)を運転し、現在に至っているが、やはり観光業だけでは厳しいのか、オフシーズンは特急も急行(『インターラビット』)もガラガラで、寂しくなる。

 アンジェリカ侯爵領は王都から北にあり、侯爵も幼いころからこの路線の特急、急行には幾度となく乗車している。

 そしてガラガラの車内で、まだデンパーがティダ帝国へのメインルートだった時代を思い出し、寂寥感を感じながら外を眺める。

 そういえば…娘にも苦労をさせたな…侯爵はしみじみと思った。

 陛下の王命とはいえ、あの人の言うことを全く聞かない王子の婚約者として奮闘してくれていたし、自由もほとんどなかったらしい…らしいと言ってしまってはいけない、侯爵自身がそれを強いたのだから。

 王命を蹴散らすくらいの大きなやらかしで、婚約自体はなくなり、第二王子は離島にある王家の南の離宮、通称『王家の監獄』アルカトラズ病気療養幽閉とし、ついでに男爵令嬢マリーアジュはその『お世話係』としてついていかせることとなった。

 ちなみにマリアージュ男爵令嬢の実家である男爵家も、黒い噂が絶えなかったため、ついでに罪状を洗い出して爵位の没収…とまぁ、王家としては娘を出汁に、問題のあった第二王子と男爵家を一網打尽にし、ロベリアは一躍その立役者となった。

 ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てられながらナーハ港から離島へ連行されていった元男爵令嬢とは異なり、終始第二王子は静かにしており、時折マリアージュを諫めるといったところも見せていた。

 …なぜロベリアの婚約者のうちにその態度が取れなかったのか…。

 そうすれば彼は、大公位を賜って、幸せな一生を送れたというのに…。

 

 しかし、その場合、ロベリアには不自由な生活を強いてしまう可能性もあった。

 何しろあの第二王子だ…今回の元男爵令嬢のようなロベリアの努力も踏みにじるような愛人を囲い、一切の自由を奪って、その上仕事もすべてロベリア任せ…という将来も見えていた。

 …あの夜会で、急いで会場を後にしたロベリアを見た一部の貴族が「希望に満ち溢れた、せいせいした顔」をしていたという。

 それほどまでに第二王子との婚約生活に疲れ切っていたのか…。

 やはり王家からの打診とはいえ、あの第二王子は律してくれるロベリアのような娘よりも、すり寄ってすべてを肯定するようなマリアージュのような女性のほうが好みだったようだ。

 

 そんなことを考えながら、特急『インターアクティ』での数時間を過ごし、あたりが薄暗くなり始めていた17:30、列車は終点のデンパー駅に到着した。

 港までは徒歩で15分程度。

 駅から出た後まずは、直線距離で船の出る港の待合室まで行ってみた。

 道中、それとなく外から中が見えるレストランや外で紅茶を楽しめるカフェ等に、ロベリアがいないかどうかを見ながら待合室に向かうが、それらしき人影もなく、そして港の待合室にもいなかった。

 ということは、ロベリアはこの待合室で待っていればいつか来るはずだ。

 あの子は王国を追放されたと思っているし、そうなれば頼れるのはティダ帝国に留学中の長男だ。

 我が侯爵家の親類は確かにガバナーレ国やティダ帝国のボシント港付近にもいるが、王子妃教育で忙しかったロベリアは一度か二度あいさつした程度の親類よりも、弟の元へ行くのが自然だろう。

「…!」

 そんなことを考えていると、目の前に金髪の短い髪をした見覚えのある後姿が見えた。

 その姿にようやく私は安堵する…よかった、私はこの子を心配していたんだな。

 そして、それと同時に言い聞かせなければいけないという気持ちになり、出た言葉がこれだった。

 

「…やっと見つけたぞ、バカ娘」

 

 そういえば隣には軍服を着た髪の長い人物もいるが、ロベリアを発見した時にはその人物は特に気にならなかった。

 

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