黒き天使

大根初華

黒き天使

「眠れない夜は空を見上げてごらん。そうすれば心が落ち着いて眠れるようになるから」

 母の言葉を思い出して、野営のテントから這い出た。夏だというのに少し冷たい空気が身体にまとわりつく。内陸の盆地なのに、その空気を感じるのは僕の心の中の不安を映し出しているかのようだった。

 辺りは既に真っ暗で、野営のテントがどこまでも立ち並んでいる。いくつかのテントからは灯りが漏れているが、影の動きが無いことから、どうやら皆眠っているようだ。

 遠くに焚き火のような炎が見える。見張りの人達だろう。その姿に少し安心感を覚えた。

 夜空を見上げるものの、場所が悪いのか単に天気が悪いのか星の瞬きすら見ることが出来なかった。

 空にも見放されてしまったか。

 大きくため息をはく。

 どうやら今夜はどう足掻いても眠れそうにない。

 明日は、また戦場に赴くことになる。

 戦場に何度も出ているが、この前夜だけは何度経験しても眠れない。恐怖が全身を冷たい鎖で縛り付けるように感じ、呼吸が浅くなる。寝袋に入ってまた起きて。ずっとその繰り返しだった。

 上官からは「じきに慣れるさ」と、ことある事に言われるが、何度経験しても慣れることが出来なかった。


 ※※※


 帝国対王国の戦争は長期に渡っていた。僕たち帝国軍と隣国の王国との戦争はもう百年以上にも及び、戦っている兵士たちは何がきっかけで戦っているのかも分からない。ただ学校で教えられるのは王国への憎さのみだった。

 最初は帝国軍がやや優勢だったものの時が経つにつれて疲弊していき、ここ数十年はかなりの劣勢だった。人口はもちろん技術的にも上な王国に勝てるはずもない。帝国全てをこの戦争につぎ込む法律が制定されても劣勢は変わらなかった。だが、十数年前に突如として帝国軍が優勢になる出来事が起こった。


 【黒き悪魔】


 のちに、そう呼ばれる女性型人造人間の誕生であった。

 彼女の外見は、ショートカットの十四~五歳の少女を模していたが、その無機質な姿は一目で人間ではないとわかるものだった。身体は漆黒の闇のようなどこまで吸い込まれるような色で、そこにはありとあらゆる武器が内蔵され、背中にも黒色の翼が取り付けられていた。

 武器は帝国の技術を遥かに超えた物が詰め込まれた、と言われていて、実際戦場では彼女が出撃すると壊滅、いや、殲滅と言っても良いぐらいまさしく塵一つ灰一つ残らない。しかも、一切の感情を見せることなくそれを行い、終わると何事も無かったかのようにすぐに戦場から離脱をする。

 なので、【黒き悪魔】と呼ばれるのも無理からぬことだと思う。


 そんな彼女に僕は命を救われたことがある。まだ四、五歳の頃、僕の住んでいた街の近くでぶつかり合いが勃発した。最初は小さないざこざと聞いたけど本当の所は分からない。その規模は日を増す事に大きくなり、街にも被害が及ぶかもしれないと避難するまでになった。

 幼い僕には、現状が理解できなかった。ただ楽しいことがあるかもしれないと、戦場へ駆け出してしまったのだ。大勢の大人が集まっているのを見て、お祭りか何かだと思い込んでいた。しかし、戦場に足を踏み入れた瞬間、その残酷さに凍りついた。

 斬り合い、突き合い、撃ち合い、殴り合い、そして、地面に吸い込まれるように倒れていく大人達。ただ僕は立ち尽くすことしかできなかった。汗が止まらず、僕の名前を呼ぶ母の声が聞こえても、足を動かすことが出来ない。

 遠くから爆音がなった。恐怖が全身から駆け上っていく。顔が固定されてしまい、目線を動かすことが出来なかった。

 視界外から降りてきたのは黒い翼を目一杯に広げた彼女の姿だった。その姿は当時読んでいた絵本に出てきた悪魔の姿の重なった。

 そこからは何があったかは分からない。悪魔が来た怖さ、と、戦場の怖さに一瞬目を閉じ、また目を開けると全てが終わっていた。彼女はまだそこにいるのに、戦場の方はもう何も残されていない。彼女は身体を反転して、僕の方を見た。それまで一文字にしていた口が少しほころんでいるように見えた。そして、そのまま彼女は去っていった。

 その後まもなく親からはギュッと抱きしめられ、誘導兵からは注意を受けた。

 胸の奥で何かがはじけるように、心臓がリズムを速めた。手のひらがじんわりと温かくなり、頬に自然と笑みが浮かんでくる。色んな人に早口で、彼女のことを伝えていた。

「悪魔が天使で、助けてくれたんだ!」

 色んな人にそう語ったらしい。我ながら意味不明だ。

 それでも、伝えずには居られなかった。

 そして、その出来事から、彼女が僕の光になった。


 ※※※


「うおおおおおお!!!」

 きっと恐怖を誤魔化すための悲鳴だと思う。僕は武器を突き立て、叫びながら相手に突撃をした。

 それが突撃兵という僕の役割だ。

 砲撃音が耳を突き刺し、なにかが弾ける音が足元に響き渡る。叫び声と泣き叫ぶ声が混じり合い、戦場全体が混沌と化していた。

 その音が響くたびに、体の奥底で何かが凍りつくような感覚に襲われる。視界が揺れ、周りの音が遠のいていく。

 だから、それを誤魔化すために声も一段と高くなる。

 突如痛みが走った。

 王国の銃撃隊がこちらに銃を構えていた。銃から白い煙が出ているところを見るとどうやら撃たれてしまったらしい。

 身体から何かが抜けていく感覚。力が入らない。

 脚が身体を支えきれず、そのまま地面に落ちていく。

 うつ伏せを必死であお向けの体勢に変えるが、とにかく身体が重く、そして、呼吸が荒くなる。

 空は蒼く、死ぬにはちょうど良い日かも知れない。曇りや晴れよりはずっと良い。静かな所よりはずっとずっと良い。いつかこんな日がくると思っていた。思ったよりもずっと早かっただけだ。

 別の戦場に出ているらしい彼女に会うことなく死んでしまうことだけが後悔だった。


 蒼い空に黒い点がぽつんと現れた。最初は単なる違和感だった。血が抜けて行くからそれに関するなにかだと。だが、黒点が徐々に大きくなる。彼女の姿が見え、翼が大きく広がり、戦場を恐怖が包み込み、伝播していく。悪魔が降臨したのだ。

 まさに黒い希望の光。

 彼女は空中を舞い、黒い翼を広げたまま、戦場を一瞬で静寂に変えた。無数の敵が彼女の前で消えていく様子は、まるで時間が止まったかのようだった。


 彼女は空中に留まり何かを探すようにキョロキョロしていた。僕の姿を見つけるとそばに来てくれたのだ。どうしてこんな日に限ってなのか。こんな情けない姿を僕は見せたくなかった。悔しさで一杯だった。

 僕のそばに屈んでくれた。

 顔に何かが落ちてきたような気がした。

 必死に顔を向けると、彼女が泪を流していたのだ。感情を持たないとされていた彼女がだ。

 彼女にとっておそらく名も知れぬ僕だけど、こんな僕の為に泣いてくれる。それだけでとても嬉しく幸福感に包まれた。

「あの時の少年だね。私の事天使だって言ってくれたんだってね。嬉しかったんだよ。でも、今度は守れなくて、ごめんね」

 覚えていてくれたのだ。死ぬ前にこんな幸福で良いのだろうか。もう本当にこのまま死んでいいと思えた。

 彼女のその言葉で、自然と笑顔になる。もう満足に力も入れることが出来ないからきっと歪な笑顔だろう。きっと酷い出来だと思う。それにつられるように彼女も笑顔になってくれたように見えた。


 小さい頃の僕を守ってくれ、今度は僕の為に泣いてくれている。

 これを天使と言わずなんというのだろう。

 何も成し遂げられていない僕だけど、貴女にこれだけは、伝えたい。

 力はもう入らない、目も満足に見えない。意識ももうすぐ途絶えそうだ。

 けれど、せめて貴女へ。この想いを。

 最期の力を本当に振り絞り、言葉を紡ぐ。

「あ、り、が……と、……う、く………ろ…………き……て…………ん………………し」

END

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