対決! ぬらりひょん流婚約破棄道!

一章 新たなる邪悪

 星が泣いている。

 比類なき邪悪に冒されし我が身を嘆いている。

 我が身に巣くい、我と我が身のすべてをけがしつくし、奪いつくそうとするおぞましき病魔。その病魔に襲われし我が身の不運に絶望し、涙を流している。

 おお、我と我が身を食らう病魔に冒されし星。

 悲嘆に暮れる名もなき星よ。

 我に語れ、君のその悲しみのわけを。

 君をけがし、奪いつくそうとする邪悪なる病魔の名を。

 「コンヤ・クゥ・ハッキー!」

 「ハッキー!」

 その名、

 その声、

 その返答。

 そこに込められたる限りなき毒素。

 一声あげるごとに無限の毒素が大気中にあふれ出し、星の隅々にまで行きわたる。

 その毒素は星をけがし、純潔を奪い、究極の腐敗と完璧なる堕落へと星そのものを誘いつづける。

 おお、見えるだろう。

 星の涙が。

 おお、聞こえるだろう。

 星の泣き声が。

 そして、おお、感じるだろう。

 病魔の吐き出す毒素に冒され、刻一刻と我と我が身が究極の腐敗と完璧なる堕落へと堕とされようとしている星の嘆き、為すすべなく震えていることしかできないその悲しみを。

 誰が疑おう。

 『ソレ』は、決してこの世にあってはならない存在だということを。

 たとえ、世界の半分を失おうとも、なんとしても根絶せしめなければならない存在だということを。

 それこそが、コンヤ・クゥ・ハッキ。

 婚約破棄を世に広めることで人と人との信頼の絆を壊し、その混乱に乗じて世界を征服しようとする恐るべき悪の組織。

 邪悪の化身。

 宇宙最大の魔。

 究極の腐敗と完璧なる堕落。

 なぜ、なにゆえに、これほどのよこしまなるものがこの世に存在しつづけることが許されているのか。

 ――神など、この世にいないのだ。

 その思いを、計り知れない絶望と共に人々の心に植えつける。

 そのために、これほどまでに説得力のある光景が他にあるだろうか。

 ない。

 あるわけがない。

 唯一無二の果てしない邪悪。

 それこそが、コンヤ・クゥ・ハッキなのだから。

 「崩壊ほうかいどうJKはどうした⁉ 大口を叩いて出陣しておきながら任務を途中放棄! しかも、ヒーロー令嬢と共闘するとは! あまつさえその後、いっさいの連絡もなしとは!」

 罪ととがの暗闇を揺らす、大首領の怒りの声。

 おぞましきその声が、世界へと向けて放たれる。

 怒りはそのまま果てしない毒素へと変じて世界を覆う。そして、星に住むすべてを、星そのものさえをも腐敗と堕落の極みへと堕とそうとする。

 人が決して至ることのできない大地の内奥。

 太陽の光の届くことのない、まったき闇の深淵のなかでの出来事だった。

 毒素に覆われし闇は限りなく深く、くらく、一切の救いをもたぬ。

 『闇』とは『病み』なのだと、これほど説得力をもって見せる姿は他にはない。

 その闇のなか、一枚だけ浮かびあがる薄絹。

 この世で最大の邪悪の影を映せしその薄絹だけが、この闇の世界にあって純白の輝きを放っている。しかし――。

 その純白のなんとおぞましく、汚らわしいことか。

 もし、この世に『けがれだけで染められし純白』などと言うものがあるとすれば、その薄絹こそがまさにそれだった。

 薄絹の前には百万の処女の生き血を流して織りあげたかのように生々しい、あまりにも生々しすぎる深紅に輝く絨毯。

 その左右には無数の戦闘員たちが立ち並んでいる。その手には小さな燭台がもたれ、小さな炎がチロチロと揺れている。

 そのかすかな灯りの存在によって、罪ととがの暗闇がより一層、深く、濃いものとなっている。

 そのなかで、純白の薄絹に己が影だけを映す大首領は怒りに震えている。

 居並ぶ戦闘員たちの誰ひとりとして答えようとするものはいない。

 知っているからだ。

 答えようとして口を開こうものならその瞬間、吐き出される毒素が我が身に入り込み、己がすべてをけがしつくされてしまうと言うことを。

 おお、なんと言うことだろう。

 すでにしてこの世のけがれを集めて作られしその身が、さらにけがされ、おとしめられることに恐れおののくことがあろうとは。

 それが、大首領。

 決して、この世界にあってはならない邪悪。

 恐れおののく戦闘員たちを救ったもの。

 それは、暗闇の向こうから届いたたったひとつの言葉。

 「やれやれ。感心できませんな」

 「なに⁉」

 「八つ当たりで、大切な部下を萎縮させてしまうとは。組織のおさのすることではありませんぞ」

 罪ととがの闇の向こう。

 そこから聞こえるその声の、なんと頼もしく響いたことだろう。宇宙最大の魔にして史上最凶の邪悪、究極の腐敗と完璧なる堕落の化身たる深淵の病魔。

 その大首領に対し、正面から意見するものがいようとは。

 「誰だ⁉」

 大首領の叫び。

 怒りと毒素に満ちたその叫びに答えたものは、カランコロンという下駄の音。

 その音が赤い絨毯の上を渡ってくる。

 罪ととがの暗闇の向こうから姿を表わせしは、ひとりの小柄な人物。

 頭は奇妙に出っ張り、その頭部は僧侶のようにきれいに剃髪ていはつされている。

 その下の落ちくぼんだ目は、一切の殺生を行わず、かすみだけを食べて生きている仙人のように澄みわたっている。

 口もとはまっすぐに引き結ばれ、見事な口髭を蓄えている。枯れ木のように細い体を着流し姿に包み、下駄を履いている。

 両腕を袖に差し込む格好で胸の前で組み、舞踊の師範のような見事な姿勢で歩んでくる。

 なんとも落ちついた風情ふぜいの、端然たんぜんたる姿の老紳士。

 妖怪皇帝ぬらりひょん。

 「おお、そなたは」

 その姿を認めた瞬間、大首領の声から怒りの色が消えた。それは大首領の、その人物に対する敬意の深さを表わしていた。

 「ぬらりひょん流婚約破棄道第二四六代家元、那螺なーらOJではないか」

 そう語る口調には親しみすら籠もっている。

 誰が知ろう。この究極の腐敗と完璧なる堕落の申し子がこのように、他者に対して親しみを向けることがあるなどとは。

 「久しゅうございますな、大首領どの」

 「うむ。久方ぶりだ、那螺なーらOJよ」

 「お怒りはごもっともなれど、落ちつかれよ。大切な部下を害してしまっては叶えられる目的も叶えられなくなると言うもの」

 「むっ……」

 そう諭されて、大首領もバツが悪そうだった。

 「崩壊ほうかいどうJKならば、しばらくの間は戻りませんぞ。なんでも、異世界より魔法少女として召喚されたゆえ、しばらくはそちらに滞在するとのこと」

 「魔法少女だと⁉」

 大首領の叫びが、罪ととがの暗闇を震わせ、世界に毒素をまき散らした。

 「……むう。そういうことなら、致し方ない。魔法少女の任務は大切だからな」

 「さよう、さよう。幼き女児たちに夢と希望を与える、この上なく大切な役目ですからな」

 「そう。そのとおりだ。幼き少女たちに夢と希望を与え、健やかなる人生を……って、ちがう! 夢と希望をもって育った令嬢おとめたちこそ、婚約破棄の邪悪を受けて傷つき、闇落ちする! だからこそ、魔法少女の役割は大切だと言っているのであって、断じて、決して……」

 「わかっております。落ちつかれよ、大首領どの。強く主張するほど底の浅さを見透かされますぞ」

 「……むう」

 大首領は再び、バツが悪そうに沈黙した。

 どうやら、この老紳士に対してはよほど頭があがらないらしい。

 「……しかし、そうすると次なる一手はどうするか。崩壊ほうかいどうJK以外にヒーロー令嬢を倒せそうなものというと……」

 「ご心配には及びません。それがしがまいりましょう」

 「おおっ! 那螺なーらOJよ。第二四六代家元たるそなたが自ら出陣すると申すか⁉」

 「御意。そも婚約破棄道とは、仏教と起源を同じくする大願たいがん成就じょうじゅのための修練の道。成就じょうじゅのためには厳しい鍛錬が欠かせませぬ。それを忘れ、婚約破棄道のなんたるかも知らぬ素人に達成させようとするのがまちがい。この那螺なーらOJ自ら、立派な婚約破棄の同志に育てあげ見事、婚約破棄を成就じょうじゅさせてご覧に入れまする」

 「うむ。歴史と伝統のぬらりひょん流婚約破棄道。その奥義を受け継ぐそなたならばたしかに、ヒーロー令嬢を打倒し、婚約破棄を成就じょうじゅさせることができよう。よろしい。いけ、那螺なーらOJ! 世界に婚約破棄の嵐を吹きあらすのだ!」

 「御意」

 そして、今宵こよいもまた、比類なき邪悪の病魔が世界に放たれたのだ。

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