お教とお香の覚醒
森本 晃次
第1話 山之内研究室
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年9月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。かつて、映画で似たような話があったというのもありますが、今回は敢えて、逆の話にしています。
記憶というものと意識というものを考えたことがあったが、
「記憶というものは、元からあったものが、意識を介することで、リアルに思いだすという現象だ」
と思っていた。
そして、今度は意識というものは、
「自分の中に潜在している感覚が、記憶を作ったり、何か他の作用としての結果を導くためのものだ」
と考えるようになった。
そんな考えを持ったようになったのだのは、大学時代の教授の影響だった。
その教授は、
「山之内教授」
という人で、
「物理学の権威」
と呼ばれる人だったのだ。
物理学といっても、心理学的なところが絡んだものであり、よく心理学で聞くところの、
「〇〇症候群」
であったり、
「〇〇原理」
などと呼ばれるものと、物理学とを結び付けて考える人だった。
特に、最近では、
「タイムトラベル」
というものに興味を持っていて、山之内教授が、そういう研究をしているということを聞いたところで、それらのタイムトラベルと気にするようになったのだった。
「タイムトラベル」
というものに、坂巻助手が興味を持ったのは、中学生の頃だった。
ちょうどその頃に、アメリカ映画で、
「タイムスリップ」
というものを題材にした映画があり、
「これはよくできている」
というものがあった。
「過去、現在、未来」
という時系列において、
「何をすればまずいのか?」
ということもしっかり考えさせられるもので、3つのシリーズがあったのだが、実際に、一話目で、解決したはずのことを、二話目で、主人公が、
「未来に行って、自分の人生が、過去にそのタイムマシンのせいで狂ってしまったことを察したライバルが、今度はタイムマシンを使って、ばくちで大儲けをしたことで、過去が変わってしまった」
だから、タイムトラベルから戻ってきた
「現在は、悲惨なことになっていて、それこそ、やつらだけが、裕福で、それ以外の人は完全にスラム街での生活となっていた」
ということであった。
それを解決するには、
「過去のその時代に戻ってやり直すしかない」
ということなのだが、
実はその時代が、
「一話で解決した話の時代だったので、せっかくうまくいかせた時代を、もう一度、崩して、それを元通りにしないといけない」
ということだったのだ。
それが、歴史というものをいかに、うまく都立売ろうか?」
ということになるのだろうが、ここが難しいところで、
「小手先のテクニックだけで何とかしようとしても、それはうまくいくはずがない」
ということだ。
つまりは、
「時代」
あるいは、
「時間軸」
というものが、納得するだけの内容でなければ、辻褄を合わせることができない。
というような話に出来上がっていたのだった。
そんな話を見た時、
「よくできている」
と映画で思ったし、
「そのタイムマシンというものを、自分で開発してみたい」
という思いもあって、大学で、
「物理学」
というものを専攻することになったのだ。
そして、
「物理学を専攻し、そのまま大学人に進み、信頼できる教授の下で、研究を続けていきたい」
というものであったのだ。
その教授が、ちょうどいて、それが、
「山之内教授」
だったのだ。
有名な教授であるとともに。
「俺の考えとよく似ているところがあるな」
と感じたところだった。
博士は、年齢としては、そろそろ60歳に近いくらいで、博士号を取ってからも、取る前も、結構な論文を書いていて、その内容は、世界的にも、それなりに評価を受けていた。
特に、
「アインシュタインの相対性理論」
であったり、
「慣性の法則」
などというものには、興味があるようで、坂巻が学生の頃には、山之内教授の、一種異様な考え方に、陶酔したほどだった。
高校時代にも、そのあたりの物理の本を、自分なりに読んでいた時期があったが、何しろ専門的な知識もなかったので、ただ、
「何となく」
という程度の知識であったが、教授の話を聞いていると、
「その時に、なんとなく」
と思って見ていた本の内容を、少しずつでも思いだしていくと、
「気が付けば、その内容をほとんど覚えている」
というような錯覚に陥るのだった。
しかも、
「あの時にはまったく分からなかったはずの理屈が、教授の話を聞いていると、あの時から自分で理解していた」
というくらいに感じるのだった。
まるで、
「目からうろこが落ちる」
というのか、教授の話を聞いていると、
「自分が、どこまで記憶していたのか分かっていないのに、分かっていたかのように思わせるなんて、教授の理論のすばらしさと、その分かりやすさが、さすがに教授だと思わせる」
ということであった。
「記憶が意識というものに誘発された」
といってもいいだろう。
この、
「知識と記憶」
というカテゴリーも、教授の得意とするところで、
「俺が、このことに気づいたのも、教授の指導があったおかげなのかも知れないな」
と、坂巻は感じていた。
大学に入ると、一般教養の時間なので、教授の講義は聞くことはできない。
しかし、一般教養の時間割をうまく組むことで、ちょうど、教授の講義の時間を、
「空き時間」
ということにすることで、その時間に、
「教授の講義を聞きに行く」
ということにしたのだった。
席はもちろん、一番前のかぶりつきの席である。
大学の講義で、
「大きな講義室などで講義を行う場合は、ほとんどの学生は後ろの方に陣取っていて、一部の、学生だけが、前の方にいる」
という構図が大体できあがっている。
だから、前の方の学生も、そんなに多いわけではないので、
「最前列のかぶりつき」
ということになると、
「先生が顔を覚えてくれる」
ということも分かっているので、
「早いうちから覚えてもらおう」
という意気込みだったのだ。
だから、最前列の指定席というのは、前の席の人たちには決まっていて、誰もそこに座る人もいなければ、
「最初から、皆自然と空いているところに座ったのだから、それも当たり前というものである」
ということであった。
まだ、大学一年生であるが、最初から、
「目指す道は分かっている」
ということなので、大学生活の青写真は、できていたということである。
大学に入ってすぐにできた友達は、やはり、自分と同じく、山之内教授を慕う、山村という男だった。
彼は、まるで、
「口から先に生まれた」
といっていいほど、弁がたつといってもいい人で、ただ、理屈っぽさから、
「よほど話が合う相手」
ということでなければ、まず、皆すぐに彼から去ってしまうといってもいいだろう、
実際に、一度は、彼を中心に、輪ができかかったのだが、一人が抜けると、まるで、入試が抜け落ちるかのように、人が減っていって、気が付けば、坂巻だけになっていた。
だが、この山村という男は、そんなことでへこたれる男ではなかった。
「まあ、いつものことさ」
と言って、ショックは隠せないようだったが、言い訳をいうだけの、力は残っているようだった。
それでも、それが言い訳に聞こえないのは、堂々としているように見えるからで、それは、必死で、自分の性格を隠そうとしている感覚が見え隠れしているのだが、それが、彼のいいところなのか、言い訳をしているように見えないのだ。ただ、彼の悪いところは、
「いつも一言多い」
というだけであった。
「ここでやめておけばいいのに」
ということを本人がどうやら自覚をしていない。
一度、坂巻は、注意をしてことがあったのだが、山村はその時は、
「ありがとう。教えてくれて、俺もせいぜい気を付けるわ」
というのだが、結果は変わらない。
どうやら、
「言わないと気が済まない性格」
ということで、
「それなら、それでしょうがないか?」
と思うようになった。
坂巻は、山村のことは、
「分かっている」
と思っているだけに、必要以上のことは言わないように気を付けているのだった。
ただ、それは、
「気を遣っている」
というわけではない、
坂巻という男は、あまり人に気を遣うことはない。ただ、
「空気は読める男だった」
ということである。
空気が読めるから、言葉に出すことも、
「ここまでなら、大丈夫だろう」
ということを自然と分かるというもので、それだけに、普段は相手にしゃべらせておいて、肝心なところで、一言をいうと、その効果はてきめんであるということが分かっているので、意外とまわりが信頼してくれるようになった。
山村もその一人であった。
だからこそ、
「どういうしゃべり方をすれば、人から信頼を得られるか?」
ということは分かっていると思っているのに、なぜか、山村を見ていると、そんな都合のいいことはないかのように思えるのだった。
「要領が悪い」
といえば、それまでだった。
だからこそ、
「せっかくいいことを言っているのにな」
と思うようなことも、最後のたった余計な一言で台無しになってしまうというのは、実に勿体ないことだったのだ。
普段から、心がけておかないと、
「身につくはずのことも身につかない」
ということなのだろう。
それが、山村にはないのだ。
ただ、
「余計なことは気にしない」
というのが、山村のいいところで、
「気を付けなければいけないことは、ちゃんと心得ている」
というところは、間違いないのだった。
それは、
「意識して行う部分」
ということであって、
「無意識の行動」
となると、なかなか、自分でもうまくいかなかったりする。
それが、彼にとっての、
「余計な一言」
だったのだ。
「言わないと気が済まない」
ということなのであろう。
だとすれば、下手に留めようものなら、喧嘩になってしまうのは必至で、
「軽く諫める程度」
が一番いいのだろう。
下手に注意の部分が大きいと、却って委縮してしまい、自分の殻に閉じこもってしまえば、それこそ本末転倒であり、相手を諭すどころか、自分の殻に閉じ込めてしまうということになりかねないのであった。
それを考えると、その時の坂巻の対応は、完璧に近かったのかも知れない。
おかげで、今でも、親友の一人として、同じ研究室で、研究が行えているというものであった。
そんな山村も、今では、
「余計な一言」
というものを言わなくなった。
それは、
「彼自身が自覚をした」
ということからであり、これ以上ないというくらいに自然に気が付いたのだった。
それは、恋愛感情というものが、彼に気づかせたのではないだろうか。
二人は大学二年生の頃、同時に恋をした。
しかも、その相手というのが、同じ人であり、
「これ以上、気まずいということはない」
という状況であった。
どちらの方が、気持ちが強かったのかということは、分からない。
お互いに、
「こいつには負けたくない」
という思いから、一触即発というくらいにまわりからは見えたかも知れない。
しかし、それは、坂巻の勝手な思い込みで、実際には、まわりが見ていると、
「三人は、親友にしか見えない」
というものだったようだ。
それだけ、彼女の態度は、二人に対して平等だったということであり、裏を返せば、
「二人のどちらにも、恋心は抱いていなかった」
ということであろう。
だが、それは、彼女がそう思わせていただけで、実際には、彼女が好きだったのは、坂巻の方だったのだ。
山村は、そのことを悟ったのだろう。
最初は、
「地団駄を踏むような気持だった」
と言ってもいいくらいだが、一定の期間が過ぎると、
「もういいや」
と思うようになったようだ。
実は、山村という男、
「あきらめも早い」
という性格のようで、一定期間、ムズムズした、悶々とした日々を送っていたようだが、一定期間を過ぎると、急に夢から覚めたかのように、彼女を見ても、何も感じなくなったようだ。
というのも、山村という男、
「自分から、女性を好きになる」
という性格ではなかった。
どちらかというと、
「好きになられたから、好きになる」
というタイプのようで、今までに女性を好きになったことはなく、今回が初めてだったということであった。
ただ、そんな彼が好きになったというのは、本当は勘違いだったようだ。
というのも、
「坂巻がどうやら、好きになった女性がいる」
ということが分かったので、
「それがどんな女性なのか?」
と感じたことで、自分も好きになったという錯覚に陥ったのだった。
まるで、
「ミイラ取りがミイラになった」
というようなことであり、
「俺が、女性を好きになるわけなんかないんだ」
と、我に返ったのだった。
その、
「我に返る期間」
というのが、一定期間というもので、坂巻にとっては、正直、よくわからないところでもあった。
坂巻は、山村のことを見ていると、
「実に興味深い性格だ」
ということで、
「親友だ」
という意識もさることながら、
「山村という男は、自分にとっての研究材料になる男だ」
という感覚もあったのだった。
そういう意味で、
「山村というのは、あきらめが早い男だ」
と思っていたが、実はそうではなく、
「我に返るまでに、一定の期間を要するが、その期間は、あきらめるよりも早いということ」
だったということである。
それは、山村に限ったことではなく、
「皆感じるのは、同じことだった」
と言ってもいいだろう。
それを考えると、
「山村という男が、他の人と合わないのは分かる気がした」
最初こそ、
「一言多いから、嫌われるのではないか?」
と思っていたが、それよりも、山村という男は、
「自分が勘違いをしていることに気づかないまま、人と仲良くなることが多い」
ということで、
「だから、つい余計な一言を言ってしまう」
ということであった。
その一言を言わないと、気が済まないのだ。
いってしまうと、嫌われると分かっていても言わないと気が済まない。
むしろ、
「そのひところを言って、自分から去っていくような相手であれば、こっちから願い下げだ」
ということまで感じているのかも知れない。
そう思うと、
「やっぱり、最後は、俺だけが残ってしまうんだろうな」
と思ったが、もう一つ、この山村には、
「負けん気の強さ」
というものがあった。
それが、彼にとって、
「いい面と悪い面の両方がある」
ということで、それが彼の、
「二重人格性」
というものを示しているようだった。
彼のまわりから、人が離れていくのは、むしろ、この、
「悪い方の二重人格性」
が見え隠れしたからではないだろうか?
そして、この二重人格性というのは、
「結構分かりやすい」
といえるもので、
友達として、
「ちょうどいい人数」
というのはあるというもので、その人数を、坂巻は把握しているつもりだったが、友達が離れていくスピードが思ったよりも早いということで、坂巻が気づいた時には、
「すでに、その人数を通り越している」
ということになっているのであった。
「俺にとって、山村という男は、どうも、他人とは思えない」
と感じるところがあったのだ。
というのも、
「行動パターンが手に取るように分かるのだ」
ということであった。
今までは。ここまで相手のことが分かるというようなことはなかった。しかし、山村を見ていると、
「次の瞬間の行動」
というものまでわかる時があるのだ。
それは、大げさかも知れないが、
「俺は、山村になりたいと思っているのだろうか?」
と感じることがあるからであった。
大げさというよりも、
「いずれ、山村のようになる」
という予感があるからであり、それは、
「夢を見ているような感覚だ」
ということであるが、それは、正夢に思えてくるから不思議なのであった。
「大学時代だけが、彼との仲だ」
と思っていたが、三年生の途中から、
「俺は大学に残ろうと思うんだよな」
というのを山村から聞かされて、
「ああ、それは俺も思っていたんだよ。山之内博士と一緒に研究をしていきたいという気持ちが強くてね」
というと、
「そうそう、それを俺は言いたかったんだよ」
といって。二人は、十分に納得した感覚だったのだ。
すでに、この頃には、大学院の方で、
「山之内研究室」
というものがあり、そこで、いろいろな研究が行われているのは分かっていた。
大学のゼミでは味わえないことが、存在しているのが、大学院というところであった。
民間の企業への就職率が悪いというわけでは決してない。
実際に、民間会社の研究所というところは、
「慢性の人手不足」
ということであり。卒業後、
「山之内研究室にいました」
といえば、就職ということでは、引っ張りだこだというのは、間違いないようだった。
だから、山之内研究所出身の先輩が作っている、
「サークル」
のようなものがあり、卒業生においての、
「同窓会的なもの」
であり、悪いものではないとのことだった。
それだけ、
「教授が慕われている」
ということであり、
「山之内教授は、研究のすばらしさだけではなく、人間的なすばらしさも、十分に備え持っている」
といってもいいだろう。
そんな教授を慕う学生や、同窓生も少なくなく、同窓会は、いつも盛り上がっているという話を聞いた。
だが、研究室に、
「大学院生として残る」
という学生はそれほどたくさんはいないということであった。
研究にそこまでの興味がないわけではなく、単純に、
「民間で、自分がいずれ、研究所のトップに君臨したい」
という思いがあるからであった。
民間んお研究室も、大学に負けず劣らずの施設があるという。
むしろ、研究に金をかけているところも多いようで、目先のことだけを考えれば、坂巻も、山村も、一般企業に進んだかも知れない。
「民間に行ってしまうと、不景気になったりして、最初に首を切られるのは俺たちかも知れないな」
という思いがあり、それを危惧したというのが、大学院に進んだ理由の一つではあった。
意外と、クラスメイトの連中は、そのあたりのことが分からずというか、気づいていないというべきか、あっさりと、何も考えず、民間企業に行ったのだ。
就活などすることもなく、企業の方から、
「来てほしい」
という誘いがある。
ありがたいことで、
「就職率は、ほぼ100パーセントに近い」
といってもいいだろう。
「そんなに就職率がいいのなら」
と考えないわけでもなかったが、それも一瞬のことで、
「大学院に進むんだった」
とすぐに我に返るのだった。
大学院に進むと、新しい研究所を見ると、相当な施設がそろっているのが分かる。
「さすがに、大学院だ」
と思ったが、一緒に山村と研究できるのはうれしかった。
その頃には、山村は、だいぶ、
「人間が丸くなり、人から慕われるくらいになっていた」
といってもいい。
それを見ると、
「山村という男。これが、本来の姿ではないだろうか?」
と感じた。
つまりは、まだあの時も、成長期ということで、毎日のように性格が違ったのかも知れない。
要するに、成長期というのは、
「頭の成長」
ということで、
「大人がさらに成長する」
という時期のことで、人によっては、
「第二思春期」
といっている人もいた。
それがほかならぬ、山之内博士であり、
「博士には博士の、他の人にはない。突飛な発想が潜在しているのだ」
と言われるゆえんなのかも知れない。
さすがに、ずっと研究所にいる人には分かっていることで、
「博士って、本当に分かりやすい性格をしているんだよな」
ということであった。
もっとも、
「これだけ長く一緒にいれば、分かりにくいところでも、分かりやすいと思うものなのかも知れないな」
と感じたが、それを一種の、
「腐れ縁」
というのかも知れない。
この言葉を使うのは、院生というよりも、むしろ、
「山之内教授の方なのかも知れない」
ということになるのだった。
山之内教授というのは、
「お茶目なところがあり、人をリラックスさせられるところもあり、そのあたりが、学生や院生に好かれるところではないか?」
と、坂巻は分析していたのだ。
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