彼女が、俺を潤す人魚だと気づくまで

絵名チル

第1話知らない女の子がウチにいる

12月の良く晴れた日だった。

この日の1限目は体育館にて、2年B組男子の体力テストが実施されていた。

種目は20メートルシャトルランである。

だんだん速度が上がる音楽の合図に合わせて、20メートル先の線まで走る。

この往復を限界まで繰り返す持久走である。


クラスメイトのほとんどが脱落して、今や俺と王子様系イケメン藤代要ふじしろかなめの一騎討ちというところだ。

いや、別に俺は競ってなどいない。

藤代要のプライドが、俺に負けるなどありえないというだけである。


「すごーい! 頑張ってー!」

女子の黄色い声援が飛ぶ。


「はぁはぁ」

藤代要の息遣いが荒くなり、フォームが崩れてアゴが上がって苦しそうだ。

そしてついに音楽の合図に遅れるようになり、その場に寝転んでしまった。


俺は、良いとこ見せるチャンスとばかりに張り切った。


「130を越えたぞ! りん、スゲー!」

親友の鳥飼優気とりがいゆうきの声援が耳に届く。

頑張った。俺は頑張った。

もう足がキツくなってきたところで、音楽が止まった。


豆田まめたぁ! もう次の授業始まるから、これくらいにしておこうか」

体育教師の野津先生が俺にこう告げた。

「はい! ふぅ」


俺はクラスメイトの羨望の眼差しに応えるべく、振り返った。

ところがそこには──

鳥飼優気のみが拍手で羨望の眼差しを向けてくれていた。


「臨、すごい記録じゃん!」

「あ、ありがとう。えーと、みんなは教室に帰っちゃったんだね。はは……」

「あー、(キョロキョロ)そう……みたいだね」

「テキトーなとこで空気よんでやめろよってかんじだよな。付き合ってくれてサンキューな」

「いやいや、そこがお前のイイトコ……ん、頭から湯気出てっぞ!!」

「え? まじ? どこ?」


(上? 後ろ? 斜め上? 湯気??)


どうやら藤代要が脱落した時に、木の葉高校2年B組のシャトルランは終了したのだろう。


俺は成績も運動も見た目も、自分で言うのも何だが、そこそこだと思う。

が、何故か集団の中で浮く。

この現象は中学から。

人にフランクに接することが出来ない俺に問題があるのか。

……わからない。

自覚はあるので言動に細心の注意を払い、平和に毎日を送り、無事に卒業することを目標にしている。

今日のシャトルランは完全に調子に乗ってしまった──反省。



俺達以外誰もいない男子更衣室で制服へと着替えて、教室に向かった。

教室のドアの隙間から、日本史の山口先生の声が聞こえる。


「やば、臨、もう2限目始まっちゃってるよ」

「俺が先に入るから、優気は俺に隠れて素早く自分の席に着くんだ」

「バカ言うな。堂々と2人でのり込もうぜ」

「ふふっ、了解」


ガラッ


教室の後ろの扉を控えめに開けると、一斉にみんなが振り返り視線を集めた。

あちこちでクスクスと冷笑が広がる。

ひとつの標的が決まると、集団ってやつは結束する。


山口先生がすぐに

「体力テストだったんだってな。早く席に着きなさい」

「「はい、遅れてすいませんでした!」」


俺と優気は微笑み合うと、それぞれの席に足を向けた。


 ◇


──舞台は変わって、人間界からはるか遠くの海の中。

人魚の女の子たちが暮らす、エデンとよばれる楽園がありました。

その中に、ひときわ愛らしい容姿の人魚、マリナがおりました。

マリナは人間の年齢で17才を迎え、優しく素直な女の子に育ちました。


「マリナよ。そろそろ外の世界の見識を拡げるために、人間界の高校へ留学をしてみてはどうじゃ? 期間は1年と3ヵ月間じゃ」


「はい! おばあさま」


「では、この度の留学先は日本! 人間の身体と共通理解、それとナビゲーション能力を授けよう。 さあ、お行きなさい! ……あぁいかんいかん忘れるとこじゃった。人間界では魔法が一度だけ使えるぞ。使い方は自由じゃ。そして、シルキーにはくれぐれも注意すること!」


「分かりました、おばあさま。ちゃんと学んで参りま……」


くらっとした次の瞬間、わたしの意識は遠のき──数秒後


チャプン!


わたしの体は温かい水の中に落ちた。

そこは丁度良い温度で、何だかとっても気持ちが良かった。

しかしすぐに息が出来なくて苦しくなり、必死にまだ慣れない足に力を込めて、エイッと立ち上がった。


ブクブク、ぷふぁぁっ!


ザバーッ!!


「はぁはぁ……人間って……水の中では……く、苦しいのね」


わたしは白いタイル張りの壁に囲まれた部屋の、お湯の張った箱の中に立っていた。

ぐるっと見回し、思念で脳内ナビに検索サーチをかけてみる。

すぐに頭に『風呂場』との結果が浮かんだ。


「なるほど。ここは体を洗って清潔にする場所ね。え? キャー! わたし裸一貫! もーおばあさまぁ!」


壁に掛けられた鏡にうつる自分を見て、あわてて胸を隠した。


マリナは人間の女性が裸の場合、隠す箇所がもうひとつあることにまで、まだ気が回らないのであった。

しかし、裸一貫との言葉のチョイスはセンスの塊である。


そして、この部屋でひとり暮らしの、高校2年生の豆田臨。

夕食の買い出しから帰って来て、今まさにこのアパートの玄関ドアを開けようとしていた。


 ◇


──舞台は戻る。

ガチャ、キーー、バタン。


「ふぅ、今日は寒っみぃな。シャトルランのせいで明日は筋肉痛確定だな」


長さ3歩程度の廊下には、トイレのドアと、風呂場の引き戸が向かい合う。

それらを過ぎ、ガラスの開き戸を開けるとダイニング。

その奥に、夕陽が射し込んでいる畳の6畳間が続く。


俺は小振りな冷蔵庫に、近所のスーパーで買った夕食の鍋の材料をしまった。

そして着ていたダッフルコートをハンガーに掛け、出かけに支度しておいた風呂が沸いていることをオートパネルで確認すると、風呂場に向かった。


「さてと、ゆっくり温まるか」


ガラッ。


「キャッ!」 

「あ、すいません!」


ガラガラ、パタン。


俺はとっさに引き戸を両手で押さえつけ、開かないようにし、頭の中で独り言を巡らせた。


(……え?え?えー! 脱衣所に女……びしょぬれだったな……スッポンポンだったぞ……あ! 水死した幽霊か!?)


心霊現象研究部所属の俺は『うんうんだったら仕方がない!』という突飛な方向で自分を納得させることに成功した。

だが幽霊はそんな俺の葛藤も露知らず、扉から衝撃が。


ガタガタッ!


(はっ! 頼むぅ、成仏してくれナンマイダーーー!)


「あの……すみません。タオルとここにあったパーカーをお借りしてしまいました」


(うひょー話しかけられた! ことなかれ主義発動だ。ここは穏便に……)


俺はすぅーっと静かに息を吸い込み、仏の表情で吐き出す勢いを利用して返事をした。


(オッケーです。 あげますから、どうかあの世で安らかに……)


「あの世? あ、無断でお邪魔してしまってごめんなさい。わたしマリナです。ちゃんと生きてますので、ここを開けてもらえませんか?」


「ではマリナさん。 俺は君のような巨乳の女性はたぶん忘れないと思うが、君のことは知らないし、だいたいどうやって部屋に入ったんですか?って話しですよね! 戸締まりは万全だし、鍵を壊された形跡もない。幽霊以外考えられないですよ!」


俺は無理やりに納得させた状況をひっくり返され、矢継ぎ早に感情的な言い方をしてしまった。


「見たんですね? わたしの胸……」


「違っ! それはっ!」


ガラッ!


「だから! これは不可抗力……」


俺は冷静を装いたいが、内心パニックで、つい扉を開けてしまった。

目の前には、白い素肌に俺のぶかぶかなグレーのパーカーを羽織った、可憐な女の子が立っていた。

前あきのジッパーは胸の谷間で留まっている。

フードの紐は、左側だけ全力で後ろにびゅんしていた。






 





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