糖度××%のあなたへ

ねむ

糖度××%のあなたへ(一話完結)

 薄暗くて埃っぽい靴箱。いつもと同じように蓋を開けて自分の上履きを取ろうとすると、甘ったるい色のラッピング達が滑り落ちてきた。途端に周囲のけだるげな挨拶が黄色い声に変わる。背中に無数の視線が刺さる。それらがどの様な意味を持つのか、理解できないほど僕は愚かではなかった。

(気持ち悪…)

 胸の少し上の方に居座る黒くて重たいものが僕の気道を塞ごうとしていた。ように、感じたのでそれらのラッピングを通学カバンの中に詰め込んで早々に教室へと向かった。


 きっと、僕の性格はチョコレートによく似ている。舌にまとわりつくねっとりとしたあの甘さといつまでも口の中に残る不愉快な酸味。それと、安っぽいトッピング。どろり、とチョコレートが溶けてしまってもいつまでも口内でコロコロ転がり続けるアラザン。考えれば考える程、同じだ。だとすればこの感情は同族嫌悪か、

「…ぅおえ、」

 溶解したチョコが口から喉の奥にかけてべっとりと張り付く。この味はしばらく頭のどこかに残り続けるだろう。

(我慢我慢…)

 喉の奥から何かがせり上がる。酸っぱい唾液を何回も飲み込みながらそれを抑えようと試みるが、依然不快感はぬぐえない。このままでは──

「…ねえ、何してるの、ウツギ君」

 聞きなれた声に顔を上げると女子生徒が冷ややかな目でこちらを見ていた。


「クラスメイトが階段で泣きながらチョコ食べてたら、そりゃ心配になるよ」

 と、その女子生徒──タカナシは購買で買ったであろう菓子パンをほおばりながら言った。

「ごめん…」

 弁明のしようもないだろう。僕はただ彼女の言葉を受けて背中を丸めることしかできなかった。

「いや、それは別にいいんだけど、」

 彼女の視線は多分バックに詰め込まれたチョコたちに注がれている。──僕らの頭上では大きな鳥が鳴いていた。抜けるような青空。分厚い雲が一つ二つ流れている。いい天気だ。校庭で思い思いの時間を過ごす生徒たちの嬌声が屋上まで聞こえてくる。

 きっと今、僕はタカナシが抱いているであろう疑問や心配といった感情を払拭しないといけないだろう。そのために、口を開く。喉の奥では先ほどの甘みがまだ残っていた。口角を上げて、顔をわずかに傾ける。

「ちょっと体調が悪くって。でもこれはありがたくもらうつもりだよ」

 たいていこうすれば誰だって安心したような顔をして僕から興味を逸らすのだ。きっとタカナシだって例外ではないだろう。

が、彼女は眉間にしわを寄せた難しい顔を崩さなかった。

「あのさあ、」

 言いながらタカナシはその長い髪をぐしゃぐしゃとかき回すと、一度大きなため息を吐いた。

「君、多分チョコ苦手でしょ?」

「な、」

 彼女の言葉がアスファルトに大きな亀裂を入れ、がらがらと校舎が崩れ落ちた。ぐらり、と揺れる視界に耐え思考を巡らせる。そうだ、タカナシは今『多分』と言ったんだ。と言うことはまだ確証はないのだろう…

「そんなこと、ないよ」

 冬らしいすっきりとした快晴だと言うのに、日差しの温かみが感じられない。五感が僕の意識から遠ざかってゆく。

「別にそこまでしなくっても、他のチョコ好きな人とかにあげればいいじゃん」

 いや、聞けよ。必死の弁明を。

(それに、そんなんじゃないんだ)

 ただ、他人から向けられた好意を拒否することが、後の学校生活において何を示すのか。それを痛いほどわかっているだけだ。好意は憎悪へと変わり、多くの視線が僕を刺し殺そうとする。そうして最終的にはぼろぼろになった僕を置いて教室が回ることになるのだ。

(そんなのはもう勘弁だ)

 楽し気な生徒の声が階下から聞こえてくる。音楽室からか、ピアノの音色が風に乗って僕らの間を流れて行った。

「そんなこと、ないから…」

 僕の脳はどろどろに溶けてしまったのか、思考は胡乱そのものだった。

 …彼女はやはり僕の顔をじっと見つめているのだろう。右側、タカナシの座る方向からの視線が痛いから。恐らく僕に対する疑念はまだ晴れていない。それどころかますます深まってしまったのかもしれない。それは、だめだ。良くないことだ。

(それならいっそ、行動で示すしかない)

 重い口角を何とか上げて、既に開封していた袋から一つチョコをつまんでみせた。淡いピンク色のチョコレート。体温で表面が溶け始めている。

「タカナシさんの誤解だよ。全部」

 そのハート形は指先の圧力と熱でゆるゆると崩れ始め、甘ったるい香りが漂ってきた。息を整えながら口元へ近づける。

「ばか!」

 どん、と肩に衝撃を感じ、僕の視界には真っ青な空と宙に投げ出されたピンク色が、

(花びらみたいだ)

 次の瞬間、それは真っ白なアスファルトの床に落下して、放射状に広がった。

「な、何を」

「ばかだ、馬鹿。君も皆も皆大バカ者だ」

 くだらないイベントに右往左往しちゃってさ。

言いながら激昂したのか、タカナシはさっきまで菓子パンが入っていたプラスチックを僕に向かって投げつけた。ポス、っと膝に当たり、風に飛ばされてくるくると回った後フェンスに引っかかって止まった。彼女はさらに続ける。

「たかがチョコが何だと言うんだ。君はただ人から嫌われたくないから本心がいえない弱虫だ!皆は相手の好き嫌いも考えずに自己満足で好意を押し付けるエゴイストだ!」

 その言葉で僕の中の何かが爆発した、音がした。その爆風が腹の底からこみ上げてきて、

 ──あっははははは、はっは…

 笑いが止まらなかった。滲む水彩画の景色を手の甲でしきりに拭う。そうか、僕らは皆大バカ者だったのか…

「え、大丈夫?」

 こちらをのぞき込むタカナシの表情もぐにゃり、と歪んでよく見えなかった。ただいつもより少しだけ近い日差しが暖かかった。

「うん、大丈夫だよ…」

 そう言ったウツギはおかしくってたまらない、というように破顔していた。喉がくつくつと音を立てている。

「君、絶対その方がいいよ」

 ぎこちなく笑って、顔を傾けるからくり人形よりは、よっぽど。

「ありがとう、小鳥遊」

 あ。

思わず漏れた言葉に慌てて彼女の方を見ると、ほんの少し怒ったように笑っていた。

(誰のものかもわからない甘ったるい感情よりも、目の前のひとの温かさのほうが、ずっといい)

 意を決して押し付けられた無数の好意を両手いっぱいに掴む。見た目に反してそれらはずっしりと重たかった。

「こんなの、クソくらえだ!」

そうして、力いっぱい放り投げた。目を丸くする小鳥遊と青空に広がったラッピングがゆっくりと見えた。

 フェンスを飛び出して地上へと落ちてゆく色とりどりのラッピングは爆撃機から落とされる爆弾のようだった。地上から悲鳴。破壊され、燃え盛る校庭を想像する。気道を塞ぎそうなほど肥大化していた重たいものが、いつの間にか無くなっていた。

「いくらなんでも、やりすぎじゃない?」

 そうかもね。二人はカラフルに彩られた地上を見下ろしている。フェンスが風に揺れてカシャカシャと音を立てていた。

「これからどうなるんだろうか、僕は」

「は、どうにもならないよ」

そう言うと空木は顔をくしゃくしゃにして笑った。

                                  終わり                                         

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

糖度××%のあなたへ ねむ @nemu-san

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る