ガチャガチャガチャ
琵琶こと
ガチャガチャガチャ
──夏。
じっとしていても肌の表面に自然と湧き出る汗と、防災無線から鳴り響くサイレンのような蝉の声を聞かされる日常生活の中で、井戸水で冷やされていた緑と黒の縞模様の西瓜が、包丁で鋭く切られ赤い果実をさらけ出す姿を見ると思い出してしまう出来事──それは中学一年生になった何十年も前の話。
私の実家は琵琶湖まで徒歩一分の場所にポツンと一軒たっていて、夏休みになると田舎によくある自宅と空き地の様に広い敷地内で駐車番をするのが恒例の行事となっていた。
今はもう寂れてなくなったのだけど、近畿地方にある琵琶湖沿いの水泳場では、毎年七月中旬から八月末まで水泳場が開かれて、地元のみならず他府県から遊びにくる程の賑わいだった。
その頃の娯楽は少ないもので、今では考えられないぐらい琵琶湖に泳ぎにくる人が結構いて、駐車代一日、1000円の値段でも平日で10〜20台。土日なら満車で30台なんて日もよくあった。
内容は両親から用意されたハンコを押された駐車券を、お金と交換するだけの仕事で、一日の売り上げによって臨時のおこづかいを貰える。
田舎ではアルバイトできる場所も年齢もない12歳の私と15歳の兄は、自宅でできる駐車場の番は貴重な小遣い稼ぎであったため、二人で旗を振って他の駐車場に行かさないようにしたものだ。
遊びに来たお客さんが琵琶湖を見て声を上げる。
「波がキラキラして綺麗。最高のロケーションだね」
「自然が近くて最高。こんな所に住みたいわ」
「毎日、泳ぎ放題でいいな」
琵琶湖が褒められて、私はただ住んでいるだけだったが、何故か身内が褒められた様で嬉しかった。
だけど──琵琶湖の水泳場は、楽しい事や綺麗な事だけではない。
遠浅で有名な水泳場で比較的安全な場所なのだが、何故か水難事故や事件が多かったし、シーズンオフは、さらに寂しい場所なのを余所者は知らないのだ。
そう──遊びに来た人がゴザを引いて座っている場所は、実は冬に焼身自殺をしていた場所だって事を知らずに遊んでいることを──。
一番鮮明に覚えていることがある。
早朝にドザエモン(水死体)があがったと言われて、行きたくなかったが無理やり兄に連れられていったことだ。多分、兄も怖いから一人で見る恐怖を和らげようとしたのだろう。
腕を引っ張られ琵琶湖に出ると、すでに砂浜にはゴザが敷かれて、その上にのる遺体には、白い布が掛けられて小さな膨らみができていた。
それを見ながら、周りの大人達が輪になる様にして誰かれ問わずヒソヒソ話をしている。
「対岸から何日も漂い、流されて来たって!」
「不倫して産まれた子だろう」
「男の子、女の子どっち?」
──異様な光景だと思った。
大人達は死体をネタにして楽しんでいる様に見えたからだ。
可哀想に、せめて私だけでも──と目を瞑り、心の中で何回もお経(南無阿弥陀仏)を唱えていると「うわぁぁぁ──!」と大人達の悲鳴が聞こえた。
どこかの不届ものが遺体にかけられた布をめくったと気付かず、どよめきに反応して一瞬だけど見てしまった事を後悔する。
赤ん坊の肌はベージュ色ではなく緑色になり、頭は膨れ上がり水分をずっと吸収していたのかと思えるぐらい体が何倍にも膨らんでいた姿をしていたのだ。
──まるで西瓜だ。
“ハッ”と我に返る(何考えてるんだ私は……これじゃ大人と一緒じゃないか)
「お兄ちゃん、もう帰ろう!」咄嗟に私は口を開いた。
「なんだ怖がりだな。まあ、お前が言うなら帰ってやってもええぞ」
そういった兄も明らかにショックを受けた顔をしていた。強がっているが相当、怖かったのだろう。
この出来事は私の中で今でもトラウマになって残っている。
それから数日がたった、八月中旬、時刻は午後四時。平日のせいか車は入ってこなかった。外を見渡せる部屋には私と兄の二人。
三時にジュースを飲み過ぎて、お腹が痛くなった私は二階のトイレに駆け込んで便座に座り用を足していると──。
「ガチャガチャ」
便器に座って右手のドアノブが軽く動き出す。
「ガチャガチャガチャ」
さらに左右に激しくドアノブが動く。
「ガチャガチャガチャガチャガチャ」
こじ開けるかのようなドアノブの動きに、直感で兄が驚かそうとしていると思った私は「やめて、入ってるよ!」と大きな声で答えると、音はぴたりと鳴り止んだ。
「まったく、暇人なんだから……一階のトイレがあるのに」と思いながら用を足し終え、一階に降り駐車場の見える部屋に入ると胡座をかきながら少年誌を読む兄に抗議をした。
「つまらないことせんといて!」
「は? 何が?」
「何がって、二階の便所開けようとしたやろ!」
「アホか、してへんわ!」
「嘘つき!ガチャガチャガチャって何回もドアノブ回したやん!」
「ずっと、この場所にいてたって! 見てみい、駐車場に一台入ってるやろ。お前がどっか行ってる間に俺が対応しとったんやぞ。そんな暇あるか!」
外を見てみると確かに車が一台止まっていた。
「いや……でも、確かにガチャガチャガチャって回されたんだって……」
確かに兄が二階に上がってくる足音や、降りていく足音はしなかった。
よく考えたら、そんなことをする意味がない。
動揺して震える私に兄は雑誌を閉じて、ちゃんと話しを聞いてくれた。
「風じゃないんか?」
「いや……風でそんなにガチャガチャならんやろ。それに風吹いてないやん」
「そやな……もしかして幽霊やったりしてな」
「ええっ! なぁ……二階上がって見て来てーな。兄貴やろ」
「アホか、お前がいけや。俺怖いから嫌や」
「お兄ちゃん、そのさ……ガチャガチャ鳴ってた時、直ぐその扉開けたらどうなってたんやろ」
「ほら……なんかおるやろ」
「なんかって何よ」
「今日から盆が始まっとるから、なんかが間違えて入ってきたんかもしれんな」
「そ、そんな怖がらせんといて!」
「わからへんぞー」と兄が、ふざけて言った時、駐車場に車がニ台入ってきた。
「おい、いくぞ!」
「わかった」
怖くなって急いで外に出ると二人で駐車代を取りに行く。
戻って兄と耳を澄ませて聞いてみるが、「ガチャガチャガチャ」という現象や音は、それ以来まったく起こらなかった。
今でも考える。
あの時、ドアを開けていたらどうなっていたのだろうと。
お盆になって死者が何かを訴えに来たのだろうか。それとも亡くなった、あの赤ん坊を周りの大人達のように好奇の目で見たからだろうか。
もしかすると、ただ嘘をつかれていただけかも知れないが、兄が琵琶湖で亡くなった今では、もう何もわからない──。
ガチャガチャガチャ 琵琶こと @biwakonomo
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