屋台夜噺

ウヅキサク

1

 おや、お客さんでしょうか? 珍しい。

 今晩は、いらっしゃいませ……ってどうされたんですか、そんなに酔っ払って。

 救急車……いえ、病院に連絡しましょうか。

 ――え、大丈夫、って。……本当にですか。

 ――ここですか? ここはただの、飲み屋台ですよ。

 ――はい?

 まだ飲むつもりなんですか? しかも一番強いのを出せ、と。

 そんなに酔っ払ってるのに。

 ――はいはい、分かりました。まったく、知りませんからね。

 それにしてもそのご様子、何か嫌な事でもあったんですか? 彼氏さんと喧嘩でも?

 ――旦那さん。おや、結婚してらしたんですね。随分お若いので、てっきり。ふふ、もしかしたら大学生でもおかしくないかもな、と。

 ――おやまあ、二十七歳の立派なおばさん、だなんて。二十七なんて、十分お若いじゃないですか。そんなに自分を卑下するものじゃないですよ。

 それにしても、どうされたんです。こんな時間に、こんな所で。

 私なんかで良ければ、いくらでも話をお聞きしますよ。

 ――ふふ、好きなだけ、どうぞ。愚痴でも、悪口でも、なんでも。なかなかそういったことを話せる場所ってないですもんねぇ。分かります。

 はあ、なるほど。夫の稼ぎが悪いと。特別貧乏な訳ではないけど全然出世しない。将来性……が、無いんですね。それは少しばかり……。ええ。

 ――ええ、ええ。勿論分かっていますよ。聞けば分かりますよ。貴女が稼ぎばかりを重視する酷い方じゃないことくらい。でも、そうは言っても。ええ。やっぱりお金は大事ですものねぇ。そこが頼りにならないのは……ああ、そうですよねぇ。

 ――なるほど、それでパートを始めたら、そこでは周りから意地悪をされるんですか。

 指示された事はきちんとこなしてるのに、遅いとか文句ばかり言われる。言われたことをちゃんとしていたら、今度は指示された事以外のこともなんでやらないんだ、と怒られる、と。

 ――周りを見ろって言われるんですか。でもやったらやったでやる事が違う、今やる事じゃないと言われる。小さな間違いなのに同僚の言い方がキツい。

 おやおや……。

 それは、まあ随分酷い話ですね。ええ。貴女は全然悪くないですよねぇ。

 言われたことはちゃんとしてるんですもんねぇ。

 ――ええ。それはそうだ。ゴミなんて気がついた人が捨てればいいのに。それを押しつけよう、だなんて。嫌がらせもいいとこです。

 苦労なさってるんですねぇ。お酒、もっと飲みますか?

 おや、いい飲みっぷり。お客さん、さてはかなりいける口ですね?

 そうだ、酒の肴に一つ、面白い話をしてあげましょうか。

 ――単なる気晴らしですよ。面白くなかったら……そうですね、うちで一番上等の美味しいお酒でも奢りましょう。ふふ。

 はい。とある女の子のお話。十年か……どうだったかな? まあ、それくらい、昔のお話です。

 ――実話かって? ふふ、どうでしょうねぇ。

 その女の子はね、特別お金持ちでもないし頭がいいわけではない。だけど可愛らしい顔立ちと社交的な性格で、当時クラスの中心的な存在でした。まあ、綺麗な薔薇にすら棘が在るのですから、当然可愛らしく魅力的な彼女にも欠点がありました。自分の欲しいものはなにが何でも手に入れないと気が済まない。ま、一言で分かりやすく言うと、要するに彼女は我儘な女の子だったんです。

 彼女の町にはとある噂がありました。雲のない満月の夜には不思議な屋台が現れる。その屋台で願い事をすると、代償と引き換えに必ず願いを叶えてくれるという噂です。

 ――おや、貴女の住んでいたところにも同じような噂があったんですか。やはりどこにも似たような噂というものはあるものなんですねぇ。

 貴女の所はどんな話だったんです?

 ――あまり変わらない?

 違うところは化け狐が願い事を叶えてくれるってところ、と。なるほど、微妙な違いはあっても根本部分にあまり大きな違いはないんですねぇ。

 この屋台にも狐面があるんですよ。ほら、あそこにかけてあるでしょう。

 まあ御守りみたいなものです。それに結構な年代物でしょ? 捨てると何だか祟りとかありそうで、捨てるに捨てられなくて……。

 ――なんか怖い、ですって?

 ふふ、そうでしょう。赤い模様もくすんで赤黒く汚れて、凄ーく雰囲気ありますもんね。

 あれ、実は喋るんですよ。お客さんがいなくなると、私にこう、ひそひそと……。

 ――あれ、酔っ払ったお客さんにこう言うと、結構みんな信じてくれるのになぁ。お客さん、手強いな。ふふふ。でも、見てると何だか喋りだしそうな、そんな気がしませんか?

 ……おっと、話がずれましたね。続きを話しましょう。

 そう、それでその我儘な彼女。その彼女に好きな人ができたんですよ。同じクラスの男子。運動神経がよくて顔もイケメン。

 ただその彼にはもうつきあっている人がいたんです。それで彼女は一度告白したのに振られてしまって。

 それが納得いかなかったようですよ。

 自分はこんなにも相手のことが好きなのに。彼女より絶対に自分の方が可愛いしいい女なのにって。

 ――我儘? ええ、その通りです。何事においても自分を中心にしか考えられない。

 とても我儘で、自分勝手で、どうしようもなく子供です。

 ――子供の癇癪で終われば、良かったんですけどね。

 彼女はね、噂の事を知ってしまったんですよ。

 それで、必死に屋台を探し回ったそうです。若いって凄いですよね。こんな、根も葉もない噂を本気で信じて、夜を徹して探し回るんですから。そして、ついに彼女は屋台を見つけ出しました。

 ――屋台はね、あったんです。本当に。

 彼女は彼の心を自分に向けてほしい。自分だけを見て、自分だけを愛するようにしてほしい、と願いました。その願いは叶えられ、次の日、彼は彼女に付き合ってほしいと言ってきました。

 もちろん、彼女はそれを受けました。

 彼に、なぜ急に心変わりをしたのかと聞く人は少なくありませんでしたが、『彼女を好きになったから』の一点張りだったそうです。

 ――代償? ふふ、いまはそのことは置いておきましょう。すぐに分かりますから。

 彼と彼女はとてもいいカップルだと評判だったようですよ。

 彼は絶対浮気なんかしなかったし、彼女の我儘も聞いてあげて、まるで彼女の人形みたいな。自分の意思が無いんですよ。彼女しか見えていないんじゃなくて、彼女以外見ることができない。

 彼女の言うがまま為すがまま。働けと言えば働くが、心は彼女に捕らわれ仕事は二の次。

 そりゃあ出世なんて、到底望めませんよね。

 おや、真っ赤だったお顔が真っ青に。お加減でも悪いんですか? お水を……。

 ――あの狐面に見覚えがある、ですか? おかしいな。アレは特注品、ですよ。二つと同じものはない筈、なんですが……。

 嫌だな、私は実話だとも、嘘だとも言ってませんよ。

 そういえば『彼女』が払うべき代償がなんだったか、お話ししていなかった。彼女のね、払うべき代償は……。

 ――あれ、聞かないんですか。え、帰る?

 こんな街灯も無い道を。危ないですよ。――ああ、でも今日は月明かりが冴えている。ほら。ご覧になってくださいな。

 本当に見事な満月だ。雲一つかかっていない。

 あぁ、ちょっと。そんなによろけて。走ったら危ないですよ、足元に気を付けて。

 ……ああ、行ってしまった。

 ……。

 ……さて。

 ねえ、あんなに酔って、我を忘れて、恐怖に怯えて。そんな人間が、無事家まで辿り着けると思うかい?

 そこで、ずっと話を聞いていたんでしょう。

 ――私のせい? 心外だな。私は何もしていないよ。ただ彼女の言うとおりにお酒を出して、ちょっとした昔話をしただけ。なんなら彼女に出したこのお酒、これ、水と大差ないほど薄いお酒だよ。

 だって、ここに来た時点であんなに酔っていたんだ。これ以上酔って、話すら聞けないほど酩酊されたら困るでしょう。

 ああ、救急車の音が聞こえてきたよ。ふふ、きちんと因果は巡ったようだ。

 ――悪質だって? 非道い言い草だ。むしろ十年も待ってあげたことに感謝してほしいくらいだというのに。もっと早く回収したって構わなかったのだから。十年、十年もの間願い通りの幸せを享受して、もしそれでも足りないというなら、それは私ではなく彼女の問題さ。欲の器が分不相応に大きかったか、自分の願いという名の勝手な欲望をきちんと見つめようとしなかったか。

 ま、そういう人でなきゃそもそも私の所には来ないのだろうけれどね。

 ――それでも十年の猶予があったんだ。それでも彼女は己を顧みることが出来なかった。だから、この結末を招いたのはやっぱり彼女自身だよ。

 それに、彼女は死なないよ。生き延びて、全身不随の大怪我を負って自分の意思で身体を動かすことすら儘ならなくなるんだ。……でも、もしかしたら彼女にとってはそちらの方がよほど地獄かな。

 ――ふふ、なんで、って。そんなの少し考えれば分かるでしょう。

 だって稼ぎが悪いうえに性能が悪いロボットみたいな夫に介護されて、しかも怪我のせいで何もかもが自分の思いどおりにならない。

 そんな環境に、あの我儘な彼女は耐えられると思う?

 無理だろうなぁ。ふふふ。

 もがいて苦しんで恨んで憎んで悲しんで後悔して。

 ここでぽっくり逝かれちゃうより、ずっとずっと面白いでしょう?

 ――悪趣味? それは、確かにそうかも知れないけれど。まったく随分と人間の価値観に染まったものだねぇ。

 ――なに? 割りに合わないんじゃないか、って?

 ふふ、言うに事欠いて、割りに合わないだなんて。そんなに勘定が下手だったっけ?

 あの男の子は彼女のせいで自分の意思を奪われ、人生を奪われ、好きでもないひとのお人形にされてしまった。

 この場で願いの代償に求められるものは、得たもの、奪ったものと同等のものだ。人の人生に釣り合うものがあるとするなら、それは同じく人の人生が一番相応しいだろうさ。

 彼女はお金かなんかで済むって思っていたみたいだけど。そんな訳ないのにね。

 私は常々不思議なんだけど、どうして人間達は自分達の通貨が私達にも通用すると思うのだろうね。あんな金属片や紙っ切れを貰ったって、私達にとっては何の役にも立たないというのに。

 それにね、こういう取引っていうのは人にとって大概理不尽になるものなんだよ。こういう人と人ならざる者とで交わす、歪んだ欲望を叶える為の取引は特に……ね。最初はね、彼女だってそれを分かっていた。分かった上で、それでも構わないと願い事をした。

 でもねぇ、幸せになるにつれて気持ちが揺らいで、得た幸せを手放したくなくなって。

 それで逃げようとしたけど、結局逃げられなくて。十年も溜め込んだ因果はさぞ重かったろうに。

 愚かだねぇ。ふふふ。だから私は好きなのだけれど。

 ――さあ、無駄話はこれくらいにしようか。そろそろ次の客が来るだろうから。

 あぁ、ほら。足音が聞こえてきたよ。

 ――今晩は、いらっしゃいませ。

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