メタ・コスモス

@kyugenshukyu9

序 混沌/怪獣/あるいは全てが始まった日

 友よ、貪の滅尽、瞋の滅尽、癡の滅尽、これを涅槃というのです。

                  パーリ仏典相応部ジャンブカーダカ相応



 この一戦で決着ケリをつけるつもりでいた、でもそれが過ちだった。

 決戦の地・モスクワの日中、二体の怪獣の死闘があった。



 超音速で《八咫烏ダーク・スター》が飛ぶ。

 八咫烏は未知の生体鉱物バイオミネラルで出来ていた。体長およそ一〇〇メートル、翼長およそ二〇〇メートル。その身は漆黒の外皮で覆われ、風さえ置き去りにする速度で宙を駆ける。最高速度はマッハ10であり、その飛行経路に齎す破壊は天災そのもの。武器は獰猛な牙と強靭な三本肢と長大な尻尾、特に飛行を可能とする分厚く幅広な黒翼で轢き逃げされてしまえば山岳すら砕け散る。破格の外皮硬度と途方もない速力と恐るべき破壊力を内包し、八咫烏はその圧倒的な暴力を惜しげもなく解放する。


《怪獣》という生物がいる。

 八洲が創造し発展させ量産した、人知を超えた完全生物である。

 夥しい数で創造された怪獣の中で、八咫烏は原初の個体――八洲初の飛行怪獣を模していた。東の宝が生み出した三大怪獣をなぞる八咫烏は、まさしく一騎当千の強者。その戦闘能力は戦略級であり、他の怪獣を圧倒的に上回る。


 最黒物質ベンタブラックに匹敵する闇黒で構成された翼は、巨体に驚異的な速度を与える。超音速の翼は雲を引き、急降下して高度を下げればモスクワの空っぽなビル群が、通過後に一瞬だけ遅れて来る激甚な衝撃波で滅茶苦茶に吹き飛ばされていく。一対の眼と赤外線で前後左右ほぼ全てに及ぶ八咫烏の視界は風圧で崩壊していく眼下の街並みを一顧だにせず、今はただひたすら一点に射止められていた。


 八咫烏が睨む一点、晴天のモスクワ中心部、クレムリンの背後に屹立する巨大な影。

 暗赤色の塊たる《始祖鳥ブラッド・キング》がいる。

 東の宝が創造した三大怪獣を模した一体、最強の怪獣だ。

 八咫烏は始祖鳥を照準する。血液を塗り固めたような暗赤の巨躯は直立した恐竜と呼ぶ他なく、死んだ魚のような眼からは如何なる感情も読み取れない。


 ただ視ている。

 正面から一直線に突っ込む八咫烏を、白目に比して小さい黒目で確かに視ている。

 怪獣の始祖にあたる始祖鳥は、今まで一度も飛翔能力を見せた事はないが有翼化すれば八咫烏すら凌駕する程の空戦能力を発揮するのではないかと目されている。現状の陸戦能力だけでも格闘技倆は、他の尋常の怪獣を遥かに超える八咫烏であってさえ追随できぬ程に絶望的な差があり、端的に言って勝てる見込みのない戦いだった。


 それでも、戦った。

 他の怪獣を歯牙にも掛けぬ存在だからと言って見過ごす訳にはいかない。何より世界を救う為に、始祖鳥を除けば三大怪獣を唯一模した八咫烏にしか果たせぬ使命だから。その使命感に突き動かされるように八咫烏は空を裂く。


 低空飛行のまま音など遥かに超える接近速度でクレムリンに突っ込む。緑屋根の大宮殿を真一文字にぶち抜き、巻き起こる衝撃波がモスクワ川を波立たせる。尽く破砕された窓ガラスが陽光を反射し、光るそれらの只中を突き抜けて始祖鳥に肉薄する。


 捉えた。

 始祖鳥の頚椎に噛みついた。鋭利な牙はそれでも外皮を食い破るには至らないが、それで良い。元より噛み砕けると思っていない。この一手先の策略こそ本命に他ならない。


 齧りついたまま飛行速度を維持してクレムリン中を引き摺り回す。始祖鳥の巨躯や尻尾が大聖堂や大統領官邸や二十ある尖塔をしっちゃかめっちゃかに砕き崩壊させ、無数の瓦礫となったそれらを八咫烏の風圧と衝撃波が小石の如く纏めて吹き飛ばしていく。


 速度のまま口を離し、急に支点を失くした始祖鳥が物凄い勢いで地面を削りながら滑走し庭園を抉りつつ塔に激突してようやく止まる。

 瓦礫に埋もれた始祖鳥の背びれを三本肢でしかと掴み、直上へ飛び上がる。総重量など物ともせずに急上昇し、みるみる内にモスクワ市街がミニチュア模型の如く小さく見える高度にまで達する。八咫烏が蒼天を衝く。


 成層圏にまで届かんと思える程の急上昇は、ふと終わりを告げた。

 八咫烏が三本足から力を抜き、始祖鳥を切り離す。


 ぞっとする程の自由落下が始まった。暗色の巨体が大気を裂いて凄まじい速度で急速落下していく。始祖鳥は有翼化して滞空し落下を止めようとするが――一向に翼は生えない。八咫烏が掴んだ時に予め目星をつけていた背びれの至る箇所に鋭利な爪で深い穴を穿ち、有翼化を阻止していたのだ。


 三大怪獣を模した二体ともなれば自己修復能力を持つが、肢体が損傷した場合は自動で修復を優先し、その間は他の能力の行使効率が極端に低下する。その傷跡が翼の生え際なら尚のこと修復機能と競合し合って、結果的に有翼化が後回しにされてしまう。


 自前の牙や爪や尻尾や翼で斃せぬならば、落下の衝撃で潰してしまえばいい。

 ――墜ちなさい。

 始祖鳥の眼に、逆光で真っ黒なシルエットとなった八咫烏が映る。

 地面までの彼我の距離はあっという間に消し飛ばされ、墜落の衝撃で行動不能レベルのダメージを与える――筈だった。

 あとほんの数十メートルで地面に激突する刹那、始祖鳥の躰が残像のようにブレたと思った次の瞬間にはブロック状のポリゴンとなって瓦解し消失した。

 八咫烏は高空から一部始終を目撃していた。

 ――ログアウトした……!?


 甘かった。何もかもが。

 飛び道具も使わず八咫烏に接近戦を許したのも、有翼化への妨害行為を死物狂いで阻止しなかったのも、最初から逃亡する気があった故に。

 それに気付いた時、望まない不戦勝を与えられた者への度し難い冒涜に呪いにも似た憤怒を覚える。

 ――この卑怯者ッ!!

 八咫烏が青空を飛び太陽を背負いながら、忽然と消えた始祖鳥へ届かぬ怨嗟の声を投げつけた。


 ピピピピ、と八咫烏のガワを被る少女の聴覚野に警告音が届く。視界中央に【カオス・リフレクション発生】の文字が表示される。少女の視覚野に直接流し込まれた警告文を見て、堪らず歯噛みした。

 ――ここまでね。ログアウトするしか……。


 その時、八咫烏の頭上に影が落ちた。

 新たな敵襲かと身構え、急旋回しながら旋転して目標を探す。それはすぐに見つけられた。

 太陽の中から黒い物体が飛来してくる。サイズは八咫烏が三本足で容易に摘める程に小さい。だがそれの正体に感づいた時、背筋も凍るような戦慄が走る。

 大陸間弾道ミサイル。

 ――本命はこっちなの!?


 八咫烏が飛翔軌道に割り込んで最高速で突撃し、飛翔体を衝撃波で撃ち落とそうとするのと、その飛翔体が爆発したのはほぼ同時だった。

 太陽を覆い隠す程の熱量を齎す叡智の炎が生まれた。



 西暦2124年、7日10日。

 その日、仮想ではない現実のモスクワが消滅した。

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