乙女的えっち世界で捨てら令嬢をなぐさめるヤバいお隣さん

花麒白

本編

1 乙女官能竿役転生。

 おれがこの世界に転生したと気づいたのは、六年前のこと。ラヴィエール王国王城での夜会の日だった。まだ一介の近衛騎士だった頃だ。


「やめてください! 手を離して!」


 会場の大広間の、庭園を望むことのできるバルコニー。そこで若い女性の甲高い声がかすかに聞こえた。とても好意的な様子には思えない。おおかた、酔ったバカボンボンが御令嬢に絡んでいるのだろう。


「レディが嫌がっているでしょう、どうかおやめくださいませ」


 王城で御令嬢が傷つく事件が起こってしまったら大事では済まない。急いでバルコニーに向かい、御令嬢の手を掴んでいるバカ野郎の腕を素早く捻りあげる。鍛えられていない貴族の甘ったれ令息など取るに足らない。殺気と共に、令息を言葉で威圧する。


「なんだ、貴様ァ! いいところを邪魔しやがって!」


 おれに腕を封じられていてもなお蹴りを放ってきたので、さすがに限度を超していると判断した。酔っていて鈍さしかない蹴りをもう片手で受け止めるとそのままバカのみぞおちに膝蹴りする。


「かは……っ!」


 バカは息の詰まったうめき声をあげてから、その場にくずおれた。


「おや、どうやら眠ってしまわれたようだ。……レディ、ご無事ですか?」


 知らない男に手を掴まれるなど、さぞかし怖かったろう。御令嬢の無事を問いかけると、暗闇の中で小刻みに震えている彼女の影がわずかにうなずいた。


「あの、助けていただきありがとうございます、騎士様」


 それは、鈴をふるわせたような涼やかでれいろうとした声だった。


「職務ですから」


 おれは軽く会釈をした。


「私は、シルフィア・クラウフェルトと申します。よろしければ騎士様のお名前を」


わたくしは……」


 名乗りかけたとき、後ろから慌てた足音が聞こえた。


「おい、シルフィア! どこにいたんだ!」


 どうやら御令嬢の婚約者らしい。


「お邪魔でしたね。……では」


 おれは何事もなかったようにその場を静かに立ち去った。


 ◇


──なぜ【きらばら】の世界に転生してるんだ!?


『嫌われ王太子は清い青薔薇を淫らにる』。略して【きらばら】。おれのお気に入りTL小説だ。


 TL小説──それは男女の恋愛を描いた性描写のある女性向け恋愛小説のこと。


 おれは少女漫画好きな姉の影響でTLに慣れ親しんでいた。特に好きなのは異世界もの。現実世界ではありえない美男美女が華麗なファンタジー世界で様々な恋愛を繰り広げ、そして愛を交わし合う様子は、ブラック勤め独り暮らしサラリーマンのおれの心に刺さる刺さる。美しいものを見ると心が癒される。ジャンルも軽快なラブコメから甘い溺愛もの、切ない悲恋ものと豊富だ。しかしどうやら過労死したようなのでTL小説だのTLコミックだののコレクションが部屋に山積しているはず。……まあ、忘れよう。


 おれが転生したのはアルベルト・ヴィッテフェーン。【きらばら】の舞台であるラヴィエール王国の近衛騎士団長だ。そしてこの物語におけるヒーロー。まあ平たく言ってしまえば竿役である。ただし男性向けの、官能シーン以外は存在感の乏しいことがままあるそれと違って、TLのヒーローはヒロインのれっきとした恋愛対象。女性が憧れるようなスペックが高い男性として描かれる場合がほとんどだ。アルベルトも当たり前のように一九〇センチはある高身長の美丈夫。


 しかしこの【きらばら】におけるヒロイン、令嬢アレクサンドラは性格に一癖二癖あり、アルベルトとの政略結婚を嫌がっている。しかし結局のところ結婚せざるをえなかったアルベルトとの初夜を迎えてしまい、何度も身体を重ねるうちに籠絡されていく……という快楽堕ち系の話なのだが、おれというかアルベルトを嫌っているヒロインを無理やり抱く気にはならない。一体どうしたものか。神よ、せめてこの世界のモブに転生させてほしかった。


──アレクサンドラとの政略結婚が迫ること、あと半年。


 アレクサンドラの尊厳のためにも、その前までになんとかして縁談を破談にしなければならない。


「ん……?」


 おれの住むアパートメントは最上階の角部屋なのだが、その手前の廊下でうずくまっている人影を見つけた。具合が悪いのだろうか。


「大丈夫ですか?」


 近寄って声をかけると、人影はぼんやりと顔を上げた。若い娘だ。最近引っ越してきた隣室の住人に違いない。だが彼女の視線はどこか焦点が合っておらず、瞳がもうろうと泳いでいる。


「どなた……?」


 そうたずねてそのままフラフラと立ち上がった娘が、突然よろめきながらこちらに寄りかかってきた。ほんのりと漂う甘い酒の匂いと共に彼女の体温が伝わってくる。突然に体重をかけられた驚きは、だがなんとか呑み込む。


「しっかりしてください」


 意外と軽い身体を支え、娘の肩を揺すりながら、その両目をじっと見つめた。彼女の瞳は、いくつかの感情が酔いと綯い交ぜになっているようだった。


「わたしね、捨てられたのぉ」


 彼女はふわふわとした声で呟きながら、おれの胸に額を乗せるようにしてきた。酔っ払いをこのまま放っておくのは危険だし、かといって、彼女の荷物を探って鍵を取り出し勝手に彼女の部屋に入るのも違うだろう。数瞬考えてから、おれの部屋に連れ込んで様子を見ることにした。


「えへへぇ……いい匂い……」


 引きずるようにして自室に連れ込んだときには、彼女はぴったりと身体を密着させて寄り添ってきた。意識がはっきりしてきたのか、だんだんと感情がこもった言葉を漏らし始める。おれは彼女の事情を訊いてみることにした。


 ◇


──何があったんだ、お嬢さん。


『わたし、こんやくひゃに捨てられたの。わたひは、いらない子なのぉぉぉ!』


──それは可哀想に。


『でもね、わたひはもう自由なの』


──なぜ、自由なのか?


『わたしは自由にいきて、自由に恋するのよぉ』


──それはいいな。


『おにいさん、すごくかっこいいれすね。おうじさまみたい』


──『王子様』か、きみもおれのことをそう呼ぶ?


『おうじさま、わたしを愛ひてくれませんか。お願い……抱いて! わたしを……!』


──お嬢さんが、おれの恋人になってくれるなら。

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