第壱弐話 敵か、味方か
陽の光が当たらない薄暗い部屋、血を抜かれていく感覚……。
目が覚めると同時、もう二度と感じたくなかった懐かしさに背筋が凍る。
* * *
私を護ると言ってくれた彼を見送った少し後。
「彼を信じましょう」
神樹さまとそんな話をしていた最中に、鼻を掠める焦げた臭い。
パチパチと樹木が焼け、弾ける音。
視界が薄ら白く染まり、強烈な熱気が全身を包み込もうとしてくる。
「リリちゃん、こっちに――」
名を呼ばれ振り返ると、神樹さま達の姿が消えた。
目の前で、忽然と、一瞬で。
「えっ……神樹、さま?」
見回そうにも姿は見付けられず、彷徨った私は次第に意識が遠退き――
* * *
一日振りの監禁。
身体は何一つ辛さを感じなく、むしろ慣れ親しんだ体勢に落ち着きさえ覚えてしまっている。
しかし、涙が止まらない。心が引き裂かれそうなほどに、辛い……。
ハルトお兄さんは確かに強かった。
素手で壁を壊し、研究員の方を簡単に倒し、神樹様の威圧にも動じないほどに。
――でも、騎士団相手には敵わなかった。
私が、彼の重荷になってしまったから。
私が、何の役にも立たないから。
私が、護られるだけの存在だから。
彼が死んでしまった……。
彼だけではない。
神樹さまやエルフの方達も、私と関わってしまったから住処を奪われ、消されてしまったのだ。
私はもう、幸せを望んじゃダメなのかな――。
「意気消沈、といった様子じゃの?」
いつからそこに居たのか、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている私を見下ろすように、一人の綺麗な女性が立っていた。
金色の長髪に朱い衣を身に纏い、頭部には動物を想起する大きな耳。
涙で視界が歪んでいるはずなのに、何故かその姿がハッキリと見える。
「お主……」
女性が顔を近付け、私の首回りの匂いを嗅ぐような仕草。
「やはりの! あの小娘、一丁前に子孫なぞ残しおって……」
私を見るその表情が懐旧の念で満ち溢れ、優しく、慈しむように抱き寄せられる。
「……安心せい、皆生きておるぞ。神樹もエルフどもも、お主が敬愛しておる青年もの」
身体を離した彼女は立ち上がると、そう告げた。
聞き間違いではない?
みんな生きてる……?
本当に?
「本当じゃ、妾は嘘を好かん。……して、ハルトとか言ったかの?
みんなが、生きてる……。
絶望の淵に舞い戻されて、これほどの快報を聞けるとは……。
先程までとは一転、喜びの涙が溢れ出して止まらなくなる。
「妾も出来れば、今すぐにお主を助けたいのじゃが……。もう少しだけ辛抱しておくれな」
もう一度、頭を撫でられる。
親切なこの人は誰なのだろう?
というか、さっきから心を読まれているような……。
「ほほ、人の心を読むなぞ簡単じゃ。故に声の出せぬお主とも会話出来ておる。して、質問の答えじゃが」
一呼吸置き、
「妾は九尾の妖狐、人間どもが崇拝する神じゃ」
* * *
薄暗い洞窟内に、巨体が沈む。
片眼を潰したまでは良かったが、まさに窮鼠猫を噛むと言うべきか。
無秩序に振るわれ続けるフィジカルの暴力に苦戦を強いられた。
最終的には、最低限の魔力が回復したカレンの
「はぁ、はぁ……アンタの体力も、化け物並ね。あれだけ長時間動きっぱなしで、息一つ切らさないなんて……」
「こン身体成ッてから、文字通り造りァ違うンだろォな」
疲れ知らずの身体、食事も必要とせず欲するのは血液……正しくは魔力なのだろうが、魔力塊を不味いと感じるあたり、血液の方が好ましいところだ。
「……ォ前ァ魔力飲まねェのか?」
「馬鹿言わないで……あんなの生き物の飲むべきものじゃ無いの」
俺には飲ませたくせに。
「暫く休めば回復するわ、だから、ちょっと……」
進むべき道へ近い位置で腰を下ろすと、そのまま寝息を立て始める。
倒した魔物はダンジョンに吸収され、また新たな魔物として生まれ落ちると言っていたが……。
把握しているカレンが緊張を解く程だ、きっと猶予はあるのだろう。
近くに腰を下ろし、これからの事を考える。
ダンジョンを踏破し、ドワーフの協力を確約出来たとして。
リリアーヌを無事に救えるのか。
また聖皇国に、ラインハルトに負ける未来が待ち構えているだけなのではないか。
俺が今している行為に、意味なんて無いのではないか。
思考が、悪い方向へ流れていく……。
しかし、ふと脳裏を過っていくのは、未だあどけなさの残った少女の、希望の欠片も感じられない程に虚ろだった瞳。
絶対に護ると誓った相手が、また囚われている現実。
たとえ幾度負けようと、この行為に意味が無い未来を迎えようと。
ここで
悩みも、苦しみもない生き方なんて御免だ。
悩み苦しんでこその人生だ。
唇を噛み締めろ、一人の少女を護るために――。
* * *
どれくらい経ったのだろう。
洞窟の中で気を失うように眠ってしまったようだ。
彼はどこだろう? と
「もう、不用心だなぁ……」
倒した魔物はダンジョンに還り、再び生れ落ちるまで半日には満たない程度の時間的猶予はある。
アタシが寝たことで、きっと彼もそのことを感じ取ったんだろう。
「……ほんと、綺麗な顔」
魔力切れのアタシを庇いながらのオークとの死闘、何度吹き飛ばされても無傷で迫ってくる様子は、敵にはしたく無かった。
だが、その実は二十年も生きていない人間族。
アタシ達エルフの生きる年数と比べれば微々たる時間しか生きていない。
そんな子供が、一人の少女を救わんとしている……。
「アタシも、頑張らなきゃ」
身体を少し寄せる。
目が覚めたら、また戦いが始まる。
どうか今だけは、いい夢を――。
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