第弐話 不死身

「ァあ~、ックソ……何なンだこの異様な喉の渇きはァ」


 清々しいと思った雲一つない快晴は、肌を焼くほど照りつける強い日差しに、一転して忌々いまいましさを感じていた。

 可能な限り日陰を選び歩いてきたが、補給できる水分が無ければ唯の消耗戦、耐えられるはずがない。

 

 朦朧もうろうとし始める意識の中で、先程のことを思い返す。

 『コチラノセカイヲ、ゾンブンニタノシムガイイ』

 確かにそう聞こえた。

 

 こちらの世界。

 

 まるで今まで生きてきたのとは別の世界と言わんばかりの物言いだ。

 普通なら一笑に付し幻聴だ何だと片付けていただろう。

 しかし現状が、目に映る景色が、それを許してくれない。

 

 生い茂る草花の周りを飛び交う、羽の生えた小さなヒト型の、有り体に言えば夢物語に登場する妖精のそれ。

 見上げれば遥か上空、太陽の周りを囲むように配置された、魔法陣としか形容できない青白く光を放つ紋様。

 そして、その視界を通り過ぎるように羽ばたき飛び去っていく――

 

「ドラゴン、だよなァ……」


 まだ自分をマトモだと思っていたかった頃。

 世界の在り様に嫌気がさし、現実逃避に読み漁ったファンタジー作品。

 あの日夢見た世界が、目の前に広がっている。

 

「あァ、言われなくテも」

 存分に満喫シてやろうじゃねェか。

 

 白蛇へのアンサーを胸に意気込み、しかし裏腹に身体は動きを鈍らせていく……。

 せめて日陰に入るか、可能であれば水を――

 

「ピギッ」


 霞み始めた視界で避暑地ひしょちを探していた時、何かの鳴き声のようなものが聞こえて。

 瞬間、左腕に痛みがはしる。


「――ッ!」


 眉間に皺を寄せながら痛むところを見ると、肘から先が無くなっていた。

 視線を周囲に向けると、近くで一匹の兎……? が腕のようなものを貪り、咀嚼していた。

 耳はあまり長くはなく、代わりに伸びた鋭い立派な前歯が輝いている。

 

 そう、ここはもう日本ではない。

 武道の達人だろうと、身一つでサバンナへ放り込まれれば苦難は必至だ。

 

「弱肉強食、上等じャねェかッ」


 今ここで意識の手綱を手放せば、その時点でゲームオーバーだ。

 気力を振り絞り敵を見据える。

 片腕は無い、身体の動きも悪い、武器はナイフが一本……。

 一方の兎は腹ごしらえを終え、まだまだヤル気と言わんばかりに対峙してくる。

 状況は圧倒的不利。

 

 だが、笑みがこぼれる。

 

 虚勢ではない、楽しいのだ。

 今まで経験することの出来なかった、命を賭けたヒリつきが。

 堪らなく、楽しい――。

 

 ポケットから取り出したナイフを握り、右肩を後ろへ引き半身に構えを取る。

 この際、奪われた左腕は捨てる。

 残った上腕を囮に右腕を死守、噛み付いて来たところを仕留める算段。

 兎が少し頭を下げて、左前足で地面を何度か掻き。

 

 ――来るッ!

 

 足元が淡く光ると同時、薄茶色の塊が頭部目掛け宙を駆ける。

 

 迅いッ!

 

 背を逸らすようにかわすが、僅かに右耳を削られた。

 その力を利用し首を旋回、視界の隅で捉え続ける。

 

 未だ空中にあるその足元が、先程と同じく光を放つのが見えた。

 

 空中で軌道変えられンのかよッ!

 

 その角度で来られれば右腕を守ることはかなり厳しい。

 ならば、他に手は無い。

 

 脱力していた右腕を、可能な限り素早く折りたたむ。

 狙ってくるのは右腕か、頭か。

 首元で構えたナイフでなら、どちらでも貫けるはず。

 

 空を蹴るように再度突進。

 

 狙い通りだッ。

 

 突き出される右腕。

 銀色の一閃――

 

 鈍い衝撃、生温かい感触。

 

 右腕は、奴の口から首の後ろへ突き抜けていた。

 

「――クソッたれ、が……」


 無事手にした勝利に、安堵からか膝の力が抜ける。

 ……いや、限界だったのだ。

 水分の欠乏で身体に力が入らない。

 

 仰向けでの転倒、忌々しい太陽が嗤っている気がする。

 

「せっかく、勝ッたッてノに……」


 右腕を僅かに持ち上げ、突き刺さったままの兎を見やる。

 

 ――ッ!

 

 目に映ったのは、腕を伝う鮮血。

 

 こんな早々に、ゲームオーバーするよかマシだ。

 

 身体を転がすようにして頭を血肉へ近付け、あふれ出るソレをすすり、飲み下す。

 喉奥へねっとりと絡み付く耽美たんびな刺激に、脳髄が痺れていく心地良さ。

 足りなかった水分を、果たして血液から補給できるのか甚だ疑問ではあるが、実際飲み下すほどに力が戻ってくる。

 

 痺れは全身へと広がり、気持ちよさが火照りへ変わっていく。

 ……左腕の断面が沸騰しそうなほど熱い。

 

 そうイえば片腕もがれてンだッた、止血シないとマズいな……。

 

 思い出し、熱を発する患部へ視線を向ける。

 血は、出ていなかった。

 

 ………………??

 

 太い動静脈どうじょうみゃくが通っているはずの腕をもがれて、出血していないのはいくらなんでもおかしい。

 そういう世界とするなら、この兎が血を流すのは矛盾して――

 

 ボコボコォッ!!

 

 思案を巡らすより早く、傷口の肉が泡のようにふくらんでいく。

 熱い、痒い、恐い……気持ちいい。

 

 瞬く間に頭の三倍ほどにまで膨れ上がった肉塊は、空気が抜けるように萎んでいき……。

 

「何が、どうなッてンだ」


 何の変哲もない左腕・・が、そこには在った。

 

 * * *

 

 結論からいこう。

 俺は心身ともにヒトでは無くなったようだ。

 裂傷、骨折、損壊……。

 限界に近い自傷行為によって付けられた傷は全て出血を伴わず、肉の膨張、収縮によって欠損部位ですら回復していく。

 ただし無制限ではないようで、回復部位が大きいほど喉の渇きが早くなり、最終的に回復しなくなった。

 また、渇きを潤すのは水分なら何でも良いが、回復するには血液を体内にストックしておく必要がある。

 

 その様はまるで、血肉を喰らう不死身ゾンビ――。

 

「……喉の渇キは気を付けねェとな」


 最後の一滴まで血を飲み干し、改めて歩を進め始める。

 太陽の熱だけでも水分が奪われてしまう、動くにしても日中は避けたい。

 日陰か建物か、休める場所を求め周囲を窺う。

 

 草原の向こうに白い模様の浮かぶ半球状の何かが見えた。

 

「まずは、向かッてミるか」


 * * *

 

 歩くこと約十五分でそれは見えてきた。

 高さ二メートル弱ほどの石レンガで組まれた簡素な塀。

 その外側には雨水か、少し濁った水が溜まった堀が設けられ。

 そして、

 

「見えてタのはコレだな」


 塀と堀の間、白い紋様……これも魔法陣の類だろうか? が塀を取り囲む巨大なドーム型に、規則的に配置されている。

 

「……こッから入るのは無理そうダな」


 メンテナンス用か、見つけた渡し板で堀を越え紋様に触れてみる。

 物理的な侵入を防ぐ結界的な役割なのか、多少力を込めてみるがビクともしなかった。

 

「入り口が無い訳ァねェよな」


 戻り、堀に沿って歩く。

 少し出てきた雲が日陰を作ってくれるため、先程までよりは身体が楽だった。

 

 五分経たないくらいだろうか、白に金色の模様が入った鎧を纏い、草原の方へ身体を向けて立つモノが見えた。

 片手には大きな槍斧ハルバードを握り、持ち手側の先を地面に突き刺している。

 

 この塀の守衛か何かか?

 あの兎が街の中に現れたら大変なことになるだろうしな、などと考えつつ近づいていく。

 

 予想通り、そこは入り口だった。

 塀がアーチ状にかれ、その向こうには洋風な街並みが窺い知れる。

 宿屋的な場所はあるのか……というかこの世界で日本円が使える訳無いよな、金を稼ぐ手段も――

 

「貴様、この街の住人では無いな? 聖印グラーヴァはどうした」


 二人の騎士がこちらの顔を認識すると、訝しむ表情を浮かべ武器を構える。

 

「オィオィやめろッて、殺り合う意思はねェよ」


 慌てて後ろへ下がりつつ両手を揚げ降参の構え。

 騎士の一人が塀の中へと入っていく。

 

「ならばさっさと聖印グラーヴァを見せよ。第一、見える位置に付けていなければ不敬罪と見做みなすぞ」

「あァ~悪ィんだが、そのグラーヴァ? ッてのは何なンだ?」

「貴様、もしや――」


 塀の中へ向かった騎士がローブを纏った男を連れてきた。

 その男は取り出したレンズを掛け……

 

「な、なな、なんなんだお前はあああああ!!!!??」


 急に腰を抜かし座り込んだ。

 

「何ッて聞かれテも、なァ」

「奴は人間ではない! 近衛よ、手加減は要らん!!」

「こッちの事情は無視かよッ」


 すぐさま飛び掛かり来る一人の騎士、もう一人は後方で両手を突き出す姿勢を取り何かを呟いている。


 振り抜かれる一閃。

 後方に意識を割いている余裕は無さそうだ。

 もろにさえ喰らわなければ、傷の再生に時間はかからない。

 今は回避に専念して、隙があれば――

 

「喰らえ、麻痺毒魔法リーモネス!」


 相対していた騎士が飛び退き、後方のヤツが淡い黄色に光る紋様を放つ。

 直前の回避で地面から離れたところを狙われた、避けられないッ!

 

「クッ!!! ――…………ァあ??」


 紋様が身体を包み込み……しかし何も起こらなかった。

 何か異変がないか両腕を動かし、手のひらを握り、開きを繰り返す。

 なんの異常もない。

 

「……何故、麻痺毒魔法リーモネスが効かないのだッ!?」

「知るカよッ」


 驚き狼狽うろたえる後方騎士、狙うならここだッ。

 

 前傾姿勢で駆けつつ、ナイフを強く握る。

 

 全身を覆う鎧に幾つかある、その隙間。

 二撃目のチャンスがあるとは思えない。

 この一撃で、決める。

 

 次の魔法を撃つためか、将又はたまたこちらの動きを妨害するためか、突き出されていた両腕の下へ潜り、顎下から喉元目掛け――

 

「させぬッッ」


 完全に意識の外だった。

 こちらが懐へ潜り込むよりも一手早く、再びの一閃。

 容赦のない一撃が、俺の胴体を切り裂いた――

 

 * * *

 

「た、助かりました……」

「魔法が効かなかった程度で抜かるで無い」

「はい、すみません」

「それより、此奴は何なのだ。眼晶モノクル越しにはどう見えたのだ?」

「そ、それが初めてのパターンでして……!?」


 真っ二つにされた下身体が蠢き、切断面が合わさるようにして触れると、傷口の肉が膨れ上がり元に戻っていく。

 

「痛ッつつ……完ッ全に油断シた」


 半身を復活するには血が足りなかったが、断面くっつけて傷の再生だけなら間に合ったってとこだろうか。

 俺の意思とは関係なく動いた意味はわからないが……。


 どちらにしろデカい一撃を貰ってしまった。

 ストックは僅かだろう、渇いてきた。

 

「何故、生きている」

「さッきから質問ばッかだなァ、転校生か俺ァ?」

「一体何の話だ!」

「ンな事より、辞めにしねェか。殺り合う意思は無ェッて」

「大事な仲間を手に掛けようとしたではないか!」

「先に手ェ出したのはそッちだろ。身を守ンのに殺ろうとシて何が悪ィンだ?」

「死なぬ癖してほざくな!」


「何を、騒いでいる?」


 塀内から現れた新たな騎士。

 一際厳つい鎧を纏った男は、鋭い眼光を向けてくる。

 

「中隊長、奴は特異過ぎます……眼晶モノクルには人間として映るのですが」

「だが人間ではない、と」

「背後に巨大な蛇の影が見えるのです。亜人なのかも怪しいかと……」

「先程、奴の胴体を確かに両断致しましたが、あの通り元に戻っております。さらに麻痺毒魔法リーモネスを受けても痺れた様子もなく……」

「なるほど、わかった」


 中隊長と呼ばれた男は手に持っていた小さな何か・・を呑み込むと一本の剣を抜き、

 

「――ァ?」


 刹那、姿が消え――

 

 ぼとり、と。

 

 地面へと落ちた。

 

 視界の隅、首の無い身体がくずおれていく。

 

 何も、見えなかった。

 

「今のうちに拘束して研究所へ連れていけ」

「は、ハッ!」


 世界が、この日二度目の暗転を迎えた――。

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