第壱話 ヒトならざりし

 命の重みには差がある。

 生きとし生けるもの皆平等なんてのは、ただの偽善に過ぎない。

 

 誰だって似たような経験はあるはずだ。


 列を成して進むアリの上で下手くそなタップダンスを踊ったり。

 トンボの羽を左右に引っ張りシーチキンを作ったり。

 ワラジムシを手のひらで丸めてダンゴムシにしようとしたり。

 

 ……では彼らと我々の命が、果たして本当に等価だと言い切れるか?

 野生の猪とペットの犬、どちらを尊重しているか?

 

 『平等な命』なんてのは、人間の偽善エゴだ――

 

 * * *

 

 事の始まりは幼い頃。

 俺の通っていた幼稚園ではニワトリの世話を皆ですることで、命について考える倫理教育が導入されていた。

 

 単なる、知的好奇心の発露。

 

 皆が運動場で遊具を、ボールを、砂場を思い思いに駆け回る休み時間。

 俺は、人馴れしていて暴れることのない老鶏ろうけいに近付くと――

 

 ゴリュン、と。

 

 その首をねじりきった。

 

 先生が様子を見に来た時、俺は無心でニワトリの羽を毟っていたらしい。

 

陽人はるとくん、なんでこんなことをしたのッ!?」

「あのね、にわとりさんのクビがね、どこまで曲げられるのかね、気になったの……。

 それでねそれでね、にわとりさんって本当にトリハダだったんだよ!」


 質問には興奮気味にそう答えた覚えがある。

 

 * * *

 

 大人たちは大事おおごとにしなかったが、人の口に戸は立てられない。

 それがして、子供の口ならば。

 

 小学校へ進学すると幼馴染達から話は伝播でんぱし、半年と経たずに大きく膨れ上がった噂話は『大衆的偽善正義』を振りかざす者たちの娯楽と成っていた。

 

 あの一件以来、家庭環境もすさんでいった。

 夫婦仲の険悪化けんあくか常態化じょうたいかした親からの叱責しっせき暴力ぼうりょく――

 中学へ上がる頃に両親は離婚、引き取り拒否された俺は地元から離れた養護施設へと送られた。

 

 問題を抱えた奴らが集められた施設内でも、俺は一際ひときわ異端だったと思う。

 奴らはどれだけ間違った方法で自分を表現しようとも、根底では正義・・を信仰し、執行しようとするのだ。

 俺はその姿に内心反吐へどが出そうになるのを感じつつ、しかし行く当てもないので表面上だけ取り繕って生活を送っていた。

 

 施設の仲間や養母さんが優しく接してくる度、冷え切っていく心が。

 その日、限界を迎えた。

 

「「わー、かわいー!」」


 誰かが学校の帰りに、一匹の子犬を拾ってきた。

 

養母おかあさん、この子飼ってもいい!?」

「おねがい! おねがいおねがいっ!」

「もう、仕方ないわねぇ。みんなでちゃんと世話をするのよ?」

「「「はーいっ!!」」」


 名前は何にしようか、ご飯を買ってこなくちゃ、まずはお風呂に入れてあげましょう……そんな会話を少し離れたところで聞き流しつつ……。


 俺の心は酷く高鳴っていた。

 

 * * *

 

 ――草木も眠る丑三つ時。

 

 皆が寝静まった頃、息を潜める一人の影。

 

 一片の迷いもなく廊下を進み、箱の中で寝息を立てる小さな命へと忍び寄る。

 

 二つの手のひらで事足りるほどのソレを持ち上げたの表情は、昂奮こうふんと狂気に酔いれている様だった。

 

 彼はゆっくりと、しかし着実にその手へ力を込めていき……。

 

 とろけきった笑みで、手折った――

 

 * * *

 

 翌朝。

 

「そんなぁ、どうじでぇ……」

「何か、病気してたのかも、しれないわね……」

「ぅわ~ん、ぐずっ」


 箱の中で息をしなくなっている小さな身体を抱き寄せ泣きじゃくる、拾ってきた彼女。

 寄り添い慰める養母と仲間たち。

 

 俺はその時、理解した。

 何故こんなにも、正義が嫌いなのか。

 何故これほどまでにも、死に興奮を憶えるのか。

 何故、人間の優しさに共感できないのか。

 

 俺は、ヒトでは無かっタのだ。

 

 * * *

 

 己の本質をわかってからは、気が楽だった。

 そもそもが違うのだ、周囲に合わせる必要もない。

 

陽人はるとくん、もっと協調性を持った方がいいわよ」

「ンなもん要らねェ」

「人間は一人では生きていけないのよ」

「るせェ、ヒトの常識を押し付けンな」


 先公は本気でこちらの将来を心配しているのだろう。

 高校入学から毎日のように何かしら問題を起こす俺を気にかけ注意してくる。

 

 ……あァ、わずらわしい。

 

 命を奪う快楽を覚えた俺は、しかし殺人にだけは手を染めなかった。

 良心の呵責かしゃくなんてモノではない。

 拘置こうちされてしまえば、この気持ちよさをしばらくは味わえなくなる。

 それが堪らなく怖かった。

 だから殺害衝動は昆虫や野生動物へと向け、叶わない日は自傷行為で誤魔化ごまかし、または絡んでくる不良共を半殺して発散していた。

 

 ある日、半ば庭と化した施設裏の雑木林で獲物を探していた時に。

 

「……こんなモン、今まであッたか?」


 ひっそりと佇む、小さなやしろを見つけた。

 興味を惹かれた俺は、いぶかしみつつも鳥居をくぐり敷地内へ入り込む。

 神なんてのはヒトがヒトの為に生み出した空想の産物だ、信仰を否定するつもりも無いが、存在するとも思っていない。

 本当に居るのなら、俺みたいなこの世のバグを許すはずがない。

 

 境内は深い林の中というのが嘘のように陽の光が差し込み、俺でも僅かながら神聖さを感じ取れる。

 

「……神を信ジたくなるンも頷けるなァ――」


 瞬間、何かが側方から飛び掛かってくる。

 舌打ちを漏らしつつ反射的にそいつを捕らえ、眼前に吊り下げる。

 

「また珍しいモンが出たな」


 それは、白銀とも言えるほどに真っ白なヘビだった。

 以前、何かで聞いたことがある。

 白いヘビは神の遣い、もしくは化身だと。

 

「ンだよ、ガチの神でも居るってかァ?」


 強がりつつも、冷や汗が頬を伝うのを感じる。

 喉元を押さえられ苦しそうに悶える白ヘビを横目に、周囲に異変がないか探る。

 

 ……異常はない。

 

 なれば、やることは一つだった。

 右手に込めた力を少しずつ強めていく。

 逃げ出そうと身体を絡み付け締め上げてくるのを、意にも介さずに。

 閉じることの出来ない口をパクパクさせ、大きな瞳をギョロギョロと剥き……

 

 一分ほどが経過したころ、その身体はクッタリと動かなくなった。

 

 先ほどまで感じていた神聖さは鳴りを潜め、ヒリついた空気感も消え失せている。

 ここで、いびつな好奇心が芽生えた。

 

「そうイや、ヘビって旨いらシいな?」


 ヘビの死体を持ち替え、右手で尻ポケットからナイフを引き抜き頭を落とす。

 断面からめくるように引っ張ると、ズルズルと面白いほど簡単に皮が向け綺麗な肉が姿を現した。

 本来であれば一旦持ち帰り、火を通した方が賢明だろう。

 しかし俺は、その美しい肉身にくみに眼を奪われ――

 

 衝動的に、貪りついていた。

 

 酷く芳醇ほうじゅんとろける程に痺れる香ばしく甘美かんびな肉。

 一口、また一口と食べ進めるにつれて、段々と身体の感覚が、意識が曖昧になっていき……。

 

 最後の一口を食べ終えた所で、世界が暗転した。


 右も左も上も下も、前後でさえも分からない微睡まどろみに落ちていくような感覚。

 眩暈めまいにも似た、吐き気をもよおす程の気持ちよさに包み込まれ――

 

「――…………。何処だ、ここは」


 光が戻ると、開けた平原のど真ん中に佇んでいた。

 先程まで居たボロい社も、歩き慣れた雑木林も、反吐を溜め込んだ養護施設も……全てが跡形もなく消え去っている。

 

 状況を把握するため辺りを見回していると、足元に転がっていたソレ《・・》と目が合った。

 

 コチラノセカイヲ、ゾンブンニタノシムガイイ。

 

 声が、聞こえた気がした。

 

「テメェの仕業かッ」


 握り潰す勢いで白ヘビのかしらに手を伸ばす。

 が、触れたと同時に塵となり、吹き抜けた風に運ばれ霧散した。

 

 セイゼイ、ガンバルコトダナ。

 

「クソッ」


 もてあそばれた胸糞悪さを吐き捨てて。

 しかしココロはどこか、この晴れ渡っている空のように清々しいのだった――

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