ハクナジナの勇者
泉 和佳
第1話
雨季―――。
アフリカ大陸は生命の力が漲り、サバンナは草生しジャングルは鬱蒼と、獣は子を育み、人も浮足立つ。
そんな頃、夜明けに赤子が生まれた。
生まれた赤子は、村の呪い師が視ることになっていて、今しがた産声を上げた彼女も、産婆に抱かれ、占い師の老人の前に差し出された。
「なんとっ…………!」
老人は、喜色満面になった。
赤子には生まれつき、墨でも入れたかのような幾重にも枝分かれした縞模様が体の全身に至っていた。
「森の精霊がこの赤子に祝福をあ与えた! 誰よりも強い戦士となり、勇者として皆を守ってくれるだろう!!」
そして……、赤子の姿をよく見ようと、お包みを開けた瞬間、その顔は絶望に変わった。
「そんな…………、女だと!? しかし……この紋様は確かにっ!!」
「タザマンベレよ。どうしたのか?」
村長がすっかり動揺した占い師に訊ねると。
「クシンダ。見よ! 赤子の痣を!」
差し出された赤子をクシンダは抱き上げた。
これほど大きく、また、広い痣は見たことがない。
しかし、それがどうしたのか?
クシンダはタザマンベレを怪訝に見ると、彼は言った。
「それは、精霊が息を吹き込んだ勇者の証! じゃが、女じゃ……。
森は我等に滅びを与えたのだ。あぁ……。女が戦ったとて何になろう……。」
「そうか。」
クシンダは短く返事をし、赤子を抱きながら村人達に告げた。
「赤子を贄に出す!!」
こうして赤子は、森で一番の長老ゴリラに捧げられた。
「森の一部にしてください。」
赤子を頭より高く掲げ、クシンダは長老ゴリラの前に膝をついた。
「赤子はすでに森の一部じゃよ。」
そう言うと、ゴリラは泣きじゃくる赤子を、大事に抱え森の奥へと消えた。
この人語すら喋る年老いたゴリラは、普段言葉を発することはない。
“すでに森の一部じゃよ。”
これはどういう意味か―――?
しかし、もう赤子は戻ってくることはあるまい。
あのゴリラが、赤子を苦しまぬよう殺してから、食うのだろう……。
飢饉で育てられなくなった子を捧げた時、長老ゴリラは大事に抱いて、森に姿を消すのだが、それでも聞こえる赤子の泣き声が、パタリと静かになるのだ。
一息に殺してから……。
人語を操ろうとも所詮獣。それも獣なりの配慮なのだろう。残酷なことだ。
だが……
月日は流れた。
赤子は長老ゴリラに育てられ、ハクナジナ(名無し)と名付けられ13になった。
今は乾季。
人間達が子を捧げに来る。
そして、長老ゴリラはこの時期に捧げれた赤子は必ず食べた。
ハクナジナは長老ゴリラに問いかける。
「ミレレ。どうして私は食べなかった?」
「…………。どうして食うのか、ではないのか?」
「ミレレは無意味な事をしない。乾季に別の村に赤子を置いても、きっと殺される。それに、食うのは生かし様のない赤子だ。」
「……ハクナジナ。わしはお前にいずれ殺され食われるものと思っておった。
同胞殺しと……恨むだろうに。」
「他の時期に捨てられた子は、他所の人間に渡すだろ。……命を懸けて。
それにある程度大きい子は、森に置いてやるじゃないか。」
そして、その子供は、ミレレをただの化け物と罵り、人の村に逃げ帰るのだ……。
どんな末路になるかもわからないのに……。
「あぁ……。人の子と言えど、食べるなら生き延びる。生きるなら殺すこともあるまい。
それに、赤子は泣いて生きたいとせがむ。可愛いだろう?」
「可愛いのか?」
「あぁ。可愛い。」
今しがた、赤子を収めた腹をさする。
食うたものに対し可愛いなど、少々奇妙にも思うが。
思えば、人間の子が生まれたてのインパラを可愛いと言いながら、その親が捌き、家族で食べていたか…………。
「ハクナジナ。お前はいずれ森を出ていくだろう……。お前は精霊の息吹がかかっている。」
ミレレはため息を付くがごとく毎度呟く。
だが、そんなことは無い――。
人間は私を魔女と呼び、何を恐れるのか威嚇をする。
さっき、生贄の赤子を受け渡されたときなど、子供が石を投げてきたくらいだ。
「ふーん。」
ハクナジナは、生返事の後、スルスルと木に登り、小高い崖に登った。
そこからは延々と続く森が見渡せる―――。
「私は、ここ以外のどこにも行きたくないのに……。」
風がハクナジナの束ねた髪をフワフワと揺らす。
その時、血の匂いが鼻を突いた。
コレは、赤子のほうじゃない。
どんくさい足音が聞こえる。
枝を踏み、バタバタと走り、つまずきながら走ってゆく。
誰だ。
ハクナジナは目を凝らす。
すると、木陰から珍しい物を見た。
それは、見事なまでに真っ白な人間だった――――――――。
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