第63話 夜モノ
後藤は小熊など居ないかのようにダイニングの隣の寝室に入り、デスクトップPCが置かれた灰色の事務机の前にあるチェアに座った。
姿勢の悪い座り方が身についているらしく、あちこちダクトテープで補修されているゲーミングチェアに座った後藤は、PCとキムワイプの箱にたてかけたスマホのスイッチを入れた。
スマホで後藤の動きをキャプチャしてVtuberを動かすアプリが起動したらしく、デスクトップモニターの中で、髪も肌も色艶よろしくない少女が動き出す。
入院時の同室で、今は後藤のVtuber活動を支援している中村が後藤の魅力を最大限に生かすために相応の金を払って発注したバーチャルキャラらしいが、美少女バーチャルキャラによく見られる可愛らしく露出のきわどい衣装や、二次元キャラクターを好む人間に人気があるという動物の耳を模した装飾品の類は見当たらない。
ただ黒髪に後藤の着ている浴衣を色だけ替えた黒い着物を身に着けた陰気な少女は、後藤の動きに同調して空間にあぐらをかいている。
可動式のアームに取り付けられたマイクを一瞥した後藤は、キャラクターの動きのチェックもマイクテストもしないままマウスを操作し、モニターの画面は大手動画サイトの配信画面になる。
「今日は夜モノの話だ」
前回もそうだったが、前置きも挨拶も一切無いまま後藤は喋り出す。デスクトップの横に置かれたタブレットには、視聴しているらしき人間のコメントが流れ始めるが、後藤は一瞥もせずにデスクトップのマウスを操作した。
一瞬、保存画像のフォルダが写り、後藤がマウスを操作すると、VHSビデオ時代の映画ソフトらしきパッケージ画像が流れる、
時候の挨拶も近況についてのトークも、画像の説明さえ一切無いまま、後藤はデスクの隅に無造作に立ててあったノートを引き抜いてページを繰り、汚い手書きの文字を読み上げ始める。
紹介にも説明にもなっていない後藤のシネマレビューで話し始めたのは、夜モノと呼ばれる、かつて存在した映画ジャンルの話だった
モンド映画というショッキングな悪趣味映像を集めた映画の前身になった作品群で、世界各国の夜の街の風景を撮影したドキュメンタリー映画だが、その内容は主に性風俗に関する事で、あらゆる国のセックス産業と、その仕事中の姿が無駄に詳らかに映像化されていた。
小熊は後藤が映画を題材にした配信ながら、その配信動画の中で映画の本編映像を流さないのは、単に後藤の無精なのか、中村あたりの助言で版権侵害にならないように配慮しているのかと思っていたが、後藤がデスクの上にぶちまけた夜モノ映画のパンフレットや資料を見て理由がわかった。これは有害すぎてどんなに寛容なプラットフォームでも配信出来ない。
映像を流せない代わりに、後藤が作品を見た感想をただ喋り続ける。事前にノートに書いた内容を朗読しているだけと思いきや、小熊が盗み見たノートにはきっかけとなるワードしか書かれておらず、後藤はほぼ記憶頼りの即興で映画の内容を今見ながら話しているかのように喋っている。
トークの中身はといえば、二次元バーチャルキャラクターという穢れ無き少女に幻想を抱く人間が聞いたら泡を吹いて倒れるような話ばかり。
後藤は作中で取りあげられた旧東ドイツ時代のドレスデンに存在したSMクラブでの独特なプレイ映像について、体をのけぞらせながら笑っていた。
日本の大物政治家や政商がよく利用したという温泉街にある売春宿の映像についても話し。後藤はむせるほど笑いながら言った
「こんなクソみたいな奴らに何百億って税金を分捕られてたんだぜ! みんな馬鹿すぎるだろ!」
それから北欧のストリップショーとそれに集まって札ビラを切る男たちの映像について、後藤はゲラゲラ笑いながら話した。
「わざわざ金払ってこんな汚くて臭ぇもん見に来て、それが仕事の終わった後のお父さんだってこいつらカミさんや娘に見せられるのか!?」
まだ動物に関する条約が未整備で、荒稼ぎのためなら法規など無視する反社会勢力が多数いた時代に、あちこちの観光地で行われていた動物と少女のセックスショーの映像について話していた時の後藤は心底愉快そうに言う。
「夜モノの映画は全部見たけどこれが一番面白ぇな。宇宙人がこれ見たら一切躊躇せず人類を滅ぼしてんよ」
後藤が一切読まない動画コメントはかなりの数になっていて、合間に入る色付きの投げ銭コメントの額は既に後藤が流通センター勤務で得る日給を上回っていた。
後藤は今まで小熊と話している時には一度も見られないほど高揚している。
時刻表示を見た後藤は、前回同様コメントへの返答も投げ銭の礼も一切しないまま、「次は明日、いや明後日」とだけ言って配信を切った。
頬が紅潮し息を荒げている後藤を見た小熊は、中村が後藤に動画配信をやらせた理由が少しだけわかった。
目の前に居る後藤はあまりこまめに風呂には入っていないらしく、発汗に伴う体臭を発散させていたが、それは不快なものではない、フェロモンとも言えるような香気を振りまいていた。
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