第52話 終わらない夏
ファンタとハンバーガーが無くなるまで、小熊と南海は会話を重ねた。
南海はカブC一二五で味わう、今まで乗った事のある電車やバス、父親の乗っているマツダ・ボンゴや母からよく借りる自転車と別物のスピードと、それらに乗っていると見過ごす事の多い街の風景を、カブでの移動ならしっかりと、それでいれ徒歩とは違う視点で見ることが出来る新鮮な経験を語った。
小熊はバイク便会社から業務用に貸し出されて乗っているハンターカブの、今まで乗り継いでいたカブには無い安定感について話す。
体験した物の瑞々しさに関しては、小熊は南海や昨日話した草薙に一歩譲ると思ったが、それは比べても意味なき物だとも思った。
全て自分のスピードで手に入れた自分だけの経験。それは何人のバイク好きに会っても変わらない。
南海はウールカーディガンのボタンを外し、その下に閉じ込められていた窮屈そうな胸部を解き放った。小熊もスイングトップ・ジャケットのジッパーを開ける。
店の冷房は弱冷房らしく、駅前の店舗のように客席を冷やしまくって長居する客を追っ払おうとはしない方針らしい。店を出た時に気温差で疲労させられる事の多い強い冷房を小熊は好んでいなかったが、それは南海も同じらしい。
小熊と南海の話は、主にカブに何を取り付けてどんな役に立ったかという話。きっとそれはしばらく変わらない。カブC125もハンターカブも納車されてまだ一か月も経っていないほぼ新車の状態。
小熊は南海との会話がいずれカブのどこが壊れてどこを直したという内容になるのかもしれないと思った。小熊の知る他車種に乗るバイク乗り、あるいは自動車オーナーはそうしていて、部品の融通や業者の仲介で仲を深めたりする。小熊が高校時代に乗っていたカブ50もそうだった。今自分のバイクとして所有しているカブ90もいずれそうなる。小熊は礼子と椎というカブ仲間と故障や修理についてあれこれと悩み、話し合った自分の高校時代を思い出した。きっと南海もこれからそうなるんだろう。
とりあえず直近の問題として、夏が終わり秋を経て冬が訪れた時の事についてはあまり頭に浮かばなかった。とはいえ買い足すのはハンドルカバーとウインドシールド、それから冬服くらい。小熊は亜寒帯の山梨で味わった経験から、カブと自分自身に取り付けなくてはならない防寒装備についてはある程度知っているし、それくらいの稼ぎはある。南海に関しても安全性の直結するカブの冬装備に必要な出費については親が出してくれるだろう。着る物に関しても南海が夏の間も着た切りの手編みウールのカーディガンが冬にこそ真価を発揮することは、小熊もよく知っている。小熊は高校時代に骨折で入院していた頃、後藤を外に連れ出した時に中村が貸してくれたアランセーターは、外出を終えて病院に戻るまで後藤に一度も「寒い」と言わせず、小熊自身も椎に素材を譲って貰い、高校の家庭科教師が編み機で作ってくれジャケットライナーで、ウールの温かさは身に染みてわかっている。
それでも小熊は、これから季節が変わっていき、小熊も南海も凍えながらカブに乗るような冬が訪れるという事実が実感できなかった。
窓の外は、もう一般家庭では夕食の時間になるというのに、太陽が沈むのを渋っていた。
心地いい弱冷房のせいか、向かいに座る南海のおかげか、バイクに乗っていると面倒事の多い夏が、小熊にとって得難く貴い物のように思える。
なんだか自分が南海と共に終わらない夏の中に居るような気がしていた。
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