第45話 チキン
まだ始発も動いていない時間なのに、早くも朝の太陽が照りつける黒川駅近くにある後藤のアパート前。
結局締め出されてしまった小熊は、アパートの駐輪場に駐めていたカブ90に跨ってエンジンをキック始動させた。
一応スマホで後藤にメッセージを送り「せっかく近くに住んでいるんだし何か困った事があったらLINEでも送ってくれれば顔を出す」と伝えると、後藤からすぐに返信が来る。
文面は「二度と来るな、それから草薙に絶対に余計な事をするな」という簡素極まりない内容。
もう一度メッセージの着信音が来る。内容は「二度と来るな」きっとその意味、後藤の真意は二度と来るなという意味なんだろうと思った小熊は、カブ90で後藤のアパートを後にする。
もう場所や道順は覚えたし、ドアがいざって時に簡単にブチ破れる物だという事は確認した。もしも三度目の「二度と来るな」というメッセージが来たならば、小熊は即座にそうする積もりだった。おそらく四度目は無く、代わりに後藤のアパートで何かを発見した地元の警察からのLINEが来る可能性のほうが高い。
原付でのオカルトスポットの探索という、草薙が中学生の頃から彼女を魅了し続けている趣味と、同じ趣味を愛好する集団で作ったオカルト研究会。
サークル内でのルールを設けず、メンバーは紫に塗装したバイクに乗るという、緩い繋がりと最低限の責任所在の明白化を行っているサークルは、外部の人間の干渉や詮索を受けることであっさり瓦解する事も考えられる脆弱な集団。
後藤はそうなる事を望んでいて、不正規雇用の身で生計を営んでいる人たちの慎ましく細やかな楽しみを奪い取って、生活における唯一の癒しを失った彼女たちが泣き叫ぶ様を見るのを楽しみにしていた。
そのきっかけになりうる可能性があるのは紫のバイクに興味を持った小熊と、それを論文にしたいと思っている南海。
後藤がそれを止めようとする理由は何なのかと、小熊は考えた。
いちおう電子部品流通センターの主任として、派遣社員であるオカルト研究会のメンバー達を正しくワークさせたいと思っているのかとも考えたが、後藤の性格を考えるにそれはない。
彼女が自分自身以外のものに責任や義務感を持つなど、ペンギンが空を飛ぶくらいありえない。
きっと壊すなら後藤の好むモンド映画に出てくる人たちのように最高に面白い壊し方をしろということだろう。
小熊は帰り道で少し寄り道して二四時間営業のスーパーに寄り、家に帰ってから食べる朝食の材料を買いこんだ。
後藤の影響かサラダチキンに手が伸びそうになったが、一人の部屋でそれの包装を剥いて齧る自分の姿を想像した小熊は頭を振り、精肉コーナーにあった鶏もも肉と、野菜や食パンなど細々とした物を買って店を出た。
近所とも言える後藤のアパートから、スーパーへの寄り道も含めてもをさほど長い時間走る事なく、夏の朝陽に充分に熱された自宅の木造平屋に到着した小熊は、カブ90を熱気のこもったカエル色のコンテナに運び込んで施錠し、家に入ってすぐにエアコンをつけた。
木造のおかげでスチールコンテナほど暑くない室内で、テーブルに買いこんだ物を広げた小熊は、とりあえず鶏肉のパックを剥いて、冷蔵庫上の調味料棚から出した粗挽きの岩塩と黒胡椒を鶏肉にすりこみ、高校時代に母の失踪で日野春駅前の集合住宅に移り住んだ時に買って以来ずっと使っている大同電鍋の炊飯器に鶏もも肉を放り込み、炊くだけでなく煮込みや蒸し料理も可能な炊飯器のスイッチを入れた小熊は、服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びた。
湯上りの小熊は短く切ったデニムパンツとTシャツを身に着け、蒸しあがった鶏で朝食の準備を始める。
最初はチキン・サンドイッチとサラダ、コーヒーにするつもりで、そのための食材も買ったが、結局小熊は塩蒸しの鶏もも肉を丸かじりし、タバスコを落としたトマトジュースで流し込んだ。
やっぱり鶏は自分で蒸したほうが美味い。でも、鶏肉に塩をすりこんで炊飯器に放り込むだけの調理時間と労力は、自分にとって有益な物だったのか小熊にはわからなかった。
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