無銘の神剣

一十百千(いとうももち)

旅の始まり、世界終焉の序幕

 小さいころから、好きなものがあった。

 それはどれだけ求めても僕の手には入らず、時には憎たらしく、けれども美しい。

 一度として嫌悪したことはない。

 一般的な感性でいえば、星に例えられるかもしれない。

 星が好きな人はいるけれど、殊更に嫌いだという人には会ったことがない。

 なぜなら、星は夜になると輝き、いつも決まった並びをして、朝になれば見えなくなる。

 綺麗なだけの存在だからだ。

 ソレがそうではないことは理解している。

 けれど、恋は盲目というだろう。他人から見て汚く見えるんだろうと想像できても、僕は嫌いになれなかった。

 僕の人生でそれだけが夜空に輝いていたから。


 だからこそ、この世界にそれを汚してしまう存在があることが許せなかった。

 僕が生まれる何百年も前から、僕が好きなものは不完全の状態だった。

 存在を捻じ曲げられていた。

 だから僕は、全部壊してやろうと思ったんだ。



   ◇◇◇



「――なよ」

「……んっ」

「起きなって、お兄ちゃん!」

「ぐはっ!」

 ドンッと家全体に振動が伝わる。

 老朽化した柱がミチミチと嫌な音をたてて、天井から埃が大量に降り注いだ。

 そんな最悪の目覚めにアキラは、お腹めがけて十字に重なってきたミクリを睨みつける。

「いいだろ、村の仕事で任された分は全部昨日までに終わらせてんだから」

「だーめっ。寝ることは大事なことなの! 旅でも不規則な睡眠は許さないんだから」

「勘弁してくれ」

 ため息を吐きながら起き上がる。

 今日が楽しみでよく眠れなかったのは確かだ。けれど、ようやく村のしがらみから抜け出せるのに、家では妹が厳しいとなると、心を休めるところはないなとアキラは嫌な想像が頭に浮かんだ。

 ボロボロになったカーテンを開くと、目に飛び込んでくるのはこの地方では最高峰のクロミナ山脈。

 春先でまだ残っている雪が綺麗だと、柄にもないことを考えた。

 それを自覚した瞬間、アキラは苦笑した。

「どしたの。急にニヤッて、気持ち悪いよ」

「そんなじゃなかっただろ。もっとこう、ニヒルな顔してたよ」

 これから変わる日常に対して、いつもと変わらない妹の態度に安心感を覚える。

「付き合わせて、悪いな」

 何度目になるかわからない謝罪を伝えた。

 今回は本気で口にした。歯切れ悪くなったのはそのせいだ。

「もー」

 ミクリはぷくっと頬を膨らませた。

「お兄ちゃんの選んだことに文句はないって。私がついていくのは未成年だからっていうのもあるけど、お兄ちゃんだからっていうのが前提にあるんだから」

 そんなことを言う妹が、どうしようもなく愛おしくなって頭を撫でる。

 ミクリは目を細めて、されるがままだった。

 しばらく妹でワシャワシャと遊んでいると、ふっとアキラは良い匂いに鼻をくすぐられた。

「おいミクリ、まさか朝ごはん」

「んふふ――うぇ? あっ」

 天国にいるような表情だったミクリは、形容しがたい形相と声で台所まで走っていった。

 記念すべき旅立ちの日の朝ごはんは、苦い味がするだろうなと眉をしかめた。

 起きたらすぐに着替えられるように壁にかけていた装備を手に取る。

 剣を吊り下げ、ちょっとした道具を収められるベルト。軽い金属で作られた胸当て。防刃素材のロングジャケットとパンツ。

 何度か試しに着用したことはあるが、外に着て出かけたことはない新品だ。

 それを身に着けるだけで気分が高揚した。

 鼻歌を歌う勢いでミクリが朝食の準備をしているキッチンの机に座ろうとしたところ、呼び止められた。

「え、お兄ちゃんその恰好で食べるの? 疲れない?」

「……」

 確かに、と思ってしまった。

 どうやら思った何倍も、高ぶっているらしい。

 しかし、素直に認めるのも悔しかった。

「装備に慣れとかないとな」

 これから、下手すると普段着よりも着ている時間が長いであろうものなのだ。

 正当な理由だろうと思っていると、ミクリは少し間をおいて口を開いた。

「そだねー」

「おい、ホントだからな」

「はいはい」

 目の前に皿が置かれた。

 今日でこの家を空けることになるのはわかっていたので、食料も計画的に消費はしていたが、少し余っていたらしい。

 いつもよりもボリュームがある朝食だった。

 アキラは手を合わせてフォークに手を伸ばすが、その内容におかしい部分があることに気づいた。

「おいおい、牛肉はもう無かったと思うんだけど、まさかわざわざ買ったのか?」

「違うよ。それはお隣のアリシアさんから昨日貰ったもの。ついでに言うなら、卵はグンズさんからだね」

「マジかよ。ちゃんとお礼は言ったのか?」

「当たりまえじゃん。むしろ気づいてなかったんなら、お兄ちゃんこそ村を出る前に言いに行きなね。ここ五日間の食事はほとんどが貰いものだったんだから、村の人全員にね」

 ちょっとした衝撃だった。

 確かに前々から、成人を迎えたら旅に出ると伝えていたし、そのために最近は村の仕事を積極的に頑張り、自分がいなくてもまわる様に調整していた。

 それでも少ない若手がいなくなるのだし、少しは嫌な思いをさせているのだろうと思っていたから、村の人々からの厚意など想像していなかった。

「旨いな」

「そだね」

 名残惜しい気持ちが湧いてくる。

 同時に、誰にも正当性を証明できない旅に出る自分に罪悪感を覚える。

 それは紛れもなく、アキラのエゴによるものだから。

 内心が表情に現れていたのか、ミクリが対面から穏やかな声色でいう。

「大丈夫、お兄ちゃんは正しいよ」

「はっ、そうかな」

 自嘲気味に吐いた。

 妹に八つ当たりをしているようで、さらに自己嫌悪が増した。

「そうだよ。私が言うんだから、間違いない。それでも不安なら、今からでも旅に出るのやめる?」

「それは……」

「そうしないとお兄ちゃんが生き苦しいんなら行かないといけない。私もだから」

「そうだったな。妹のためにも行かないとな」

 止まっていた手を動かして、食事を進める。

 そうして口に入れた目玉焼きは、ガリッと音を立てた。

「ぐっ!」

「あははっ! はい真面目な話しゅうりょ~。苦いでしょ、ごめんね~」

 それは完璧に焦げた物を食べさせた兄に謝っているというより、卵をくれた人と食材に対して言っているようだった。


 食事を終え、旅の荷物を持って村を歩く。

 道中、家事をしている人や仕事中の人が声をかけてきた。

 そのたびに、自分たちがどれだけ愛されていたのかを感じた。

 これを逃すとしばらく会えないと思うと、アキラは一人ひとりと長話をしてしまった。もちろん、貰いものについての感謝も伝えた。

 想定よりも遅い時間に目的地に到着する。

 建物の煙突からは煙が上がっており、中からは金属を叩く音が響いてくる。

 戸を引いて中に入ると、頭にタオルを巻いた筋骨隆々の男がムスッとした顔でカウンターに座っていた。

「よっ、コルじい」

「こんにちはー」

「やっと来たか」

 アキラにコルじいと呼ばれた男は、コルクという腕利きの鍛冶師だ。

 コルクはよっこらせと立ち上がると、奥に向かって声をかけた。

「おい、坊主が来たぞ。例のモン持ってこいっ!」

「へいっ」

 元気な声が返される。

「お弟子さん、頑張ってるんだ」

「さあな。まあ、大きな迷惑はかけられてねぇ」

 コルクはふんっと鼻を鳴らした。

「そんなことより、遅かったじゃねぇか。待ちくたびれて、せっかく作ったもんをまた炉に突っ込んじまうところだった」

「坊主にも、何かに浸る時間は必要ってこと」

「生意気言うんじゃねぇ。あんなもん作らせやがって、俺は造形師じゃなくて鍛冶師なんだ」

「悪かったって」

「あれを俺が作ったなんて、誰にも言うんじゃねぇぞ」

「言わないよ。絶対にね」

 奥からバタバタと騒がしい音とともに、男が現れる。

「お、お待たせしました」

「情けねぇ。その程度の重さでふらつくな」

「す、すみません!」

「いやいや、そういう物を頼んだのは僕だし、許してあげてよ」

「うっわ、そんなに大きいんだ」

 アキラは男からミクリ以上に高さのある大きな布の包みを受け取った。

 普段から鍛えているアキラでも、ずっしりとした重みを感じる。

 けれど、これは普段は持ち歩くものではないので問題はない。

「そんなもん、なにに使うんだ?」

 コルクの問いに、なんと答えたものかと考える。

 頭をひねらせて出てきた答えは、

「――世界滅亡?」

なんとも子供じみた言葉だった。

 これにはコルクも訝しんだ表情を見せる。

「誰にも言わないでね、秘密だよ」

「くだらねぇ。金は受け取ってるんだ、さっさと出ていけ」

 気分を悪くしたというわけではないが、それ以上聞く気はないということらしい。

 コルクは手を振って、二人に出ていくように促す。

 名残惜しくも出ていこうとするアキラとミクリの背中へ声がかかった。

「アキラ君、コルクさんはそれを作るのに納得はしてませんでしたが、いつも以上に真剣に槌を振ってました」

「おいっ、余計なこと言うんじゃねぇ!」

「中には依頼のものとは別に、コルクさんからの餞別も入ってます」

「コルじい……」

「ちっ」

 コルクはバツが悪そうに目をそらした。

 鍛冶バカ、頑固親父。

 周囲から色々と言われているコルクは、ずっとその通りの人物であった。これからも変わらないだろう。

 けれど、初めて見るその優しさは意外にもしっくりきた。

 ミクリは身体を翻してコルクに飛びついた。

「ありがとっ、コルクおじいちゃん!」

「俺はお前のおじいちゃんじゃねぇよ」

「えぇー、いいでしょ?」

 今日は人に甘えてばかりだな、とアキラは村の人の温かさに浸った。


 鍛冶屋を後にしたアキラは、駅まで送ってもらうことになっていた荷馬車の主人に挨拶をしていた。

「えぇ、よろしくお願いします」

「こちらこそ、護衛は頼みますよ」

 いよいよ村を出るときだ。

 十数年間の生活を思い出してみても、嫌な思い出はひとつもなかった。

 確かに辺境の地に開かれた村で、周りにはなにもない。

 けど、親のいない兄妹のことをいつも気にかけて守ってくれていた。

 誕生日にはみんなが「おめでとう」と声をかけてくれた。

 それだけで、アキラには十分だった。

 出発の準備を進めている主人には聞こえないように、アキラはミクリに対して口を開いた。

「覚悟は良いか? もう、村には戻れないかもしれない」

「まー、仕方ないよね。やることがやることだし」

「ついてきてくれるか?」

「逆に聞くけど、お兄ちゃんは私を見殺しにする気? どこまでもついてくよ」

「あぁ……そうだな。じゃあ始めよう」











「世界をひっくり返す旅を」










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