不思議な君といっぱいの夏を。

@sock-4723

前編








シャーペンの芯が短くなった。数式を紡ぐのを止めて、夏鈴かりんはペンケースの中をあさる。芯ケースを探しながらふと目を机の上の時計に向けると、針は10時過ぎを指していた。それを見て、夏鈴はふぅと息をついて大きく伸びをした。

夏休みが始まったと思ったのに、気づけばもう8月上旬だ。「高校生活の夏休みって、実質高2が最後だから。勉強以外のことも、楽しんでね」。夏休み前最後のホームルームで、担任から言われた言葉。その言葉を聞いたとき、これから始まる夏休みに、ちょっとだけ期待をしていた。夏鈴は普段はかなり真面目な方だ。定期考査も模試も、学年で上位である。それを維持するためには、夏休みは当然勉強に明け暮れなければならない。それでもやっぱり、青春してみたいと思ってしまう。私だって一応、JKだもん…。でも青春ってどういうことをすればいいのかな?海に行く?遠くに行ってみる?でもそれって、大人になってもできるよね…。

なんて考えても実際は、課題、部活、入試勉強、資格対策、オープンキャンパス。忙しさに目を回していたら、すぐに8月に突入した。私の青春とは────?

って、いやいや、今は数学の勉強をしてるんだ。こんなこと考えてたらいけないや。

夏鈴は雑念を捨てようと、机から身を乗り出し、カーテンをめくって息を長く吐き出した。マンションの4階から見える外の街灯がぽつぽつと、一面の闇を照らしている。どこからか電車の音が聞こえたけど、一瞬で静かな夜の街へと戻った。車さえ通らない。なんにもない、私の街。

ピロン、とスマホが鳴った。通知を見て、企業からのメッセージだと分かると、またため息をつく。友だちもいない私。

───友だち、ねえ…。学校で喋ってくれる友だちならいるけど、親友と呼べるのは2人くらいかな。1人は大好きな女の子の友だち。もう1人は…。

おっと休憩が長すぎた、そろそろ勉強に戻ろう。夏鈴は気分転換にシャーペンを変えて、また数学の世界へ戻っていった。電車の音はもう彼女の耳には届かない。




今日は部活で学校に行く日だ。部活といっても、園芸部で学校中の花に水やりをするだけである。後輩が全然入らなかったので、2年生3人でせっせと当番を回していて、今日は夏鈴の当番だ。

学校に着き、じょうろに水を注ぐ。蛇口から勢いよく水が流れて、たまにこっちに飛びはねてくる。その生ぬるさに、思わず顔をしかめた。なんでわざわざこれだけのために制服に着替えて、電車に20分乗って学校に行かなきゃならないの。もういやになっちゃう。

夏鈴は重いじょうろを抱えて、花壇へと目指した。日差しが全身を焼く。汗が流れて、アスファルトに染みた。

校庭で活動している部活を見ながら歩き、花壇についた。まとわりつくシャツに耐えて、花壇の花に優しく水をやる。こうやって水をやっていると、暑さがうそのように軽くなるから不思議だ。やっぱり花が大好きなんだな、と再確認する。カラカラの薄い土が一瞬で湿って、花が水滴を受け取って、太陽に照らされて輝く。生き返る、という言い方が似合う。夏鈴はなんだか命を救ったヒーローのように感じて、思わず笑みを浮かべた。

じょうろを元に戻し、学校を出る。校庭や体育館から、野球部やらバレー部やらの掛け声と、校舎からは軽音楽部の力強いドラムが校門にまで届く。みんな充実してるなあ。…いや、私も水やりが楽しいから、大丈夫大丈夫…。

無理に自分を慰めてもむなしくなってきて、うつむく。歩いていたら待ち時間が長い信号にひっかかった。ついてない…。とりあえず日焼け止めでも塗り直そうと、かばんに手を伸ばした。

さかいさん、お疲れさま」

「あ、羽水うすいくん。お疲れさま」

声の先に、羽水廉弥うすいれんやが立っていた。まさしく、昨日の夜に思い浮かべた、勝手に親友だと思ってる男の子。

「今から帰り?」

「うん。羽水くんも?」

「うん。送るよ」

「…ありがとう」

相変わらず優しい。けれど話すことは特になく、ただ蝉の鳴き声が耳に入ってくる。

「えっと、羽水くんは部活大変?」

気まずい雰囲気を打ち砕くように、適当に話しかけた。

「ううん、僕は今日は特別。部長に部誌の下書きを出しにきただけで、しばらく行かない」

彼は漫画研究部で、普段は幽霊部員だけど文化祭前は忙しくしている。多分、11月の文化祭へ向けてイラストを描かなきゃいけないのだろう。2人は信号を渡り、駅への階段を登りながらしばらく部活の話をした。

「なんか、こうやって2人で話すの久しぶりだね」

「うん」

「そういえば小学校2年生くらいまでは、廉弥くんって読んでたよね」

「うん。僕は、変わらず“境さん”だけどね」

「だね」

律儀な彼に、夏鈴は笑う。改札を通り、ホームで電車を待った。夏鈴は隣に立つ廉弥を、ちらりと見上げた。

中学校2年生のとき、彼を久しぶりに廊下で見たとき、あまりにも変わりすぎて一瞬分からなかったことを思いだす。まだまだ小学生に見間違われる夏鈴に対して、いつの間にか彼は、幼さは残れど大人びた顔つきに変わっていた。また、背も176センチになり、声も心地よい低音になっていた。それでも、性格は相変わらずだったけど。

そんなことを考えていたらホームにベルが鳴った。


電車の中は下りということもあり、ほとんど人がいなかった。2人で並んで座る。

「涼しいね、中」

「うん」

「…」

その『性格』というのは、控えめということ。廉弥はいつも、誰に対しても穏やかな笑みを浮かべ、最低限の会話しかしないのだ。どんなに仲がいい友だちでも、どんなに苦手なタイプの後輩でも、無口でぼーっとしている。出会ったときからそうだった。今も、夏鈴が喋らない限り口を開くことはない。

降りる1つ前の駅で、赤ちゃんをベビーカーに乗せた女性が乗り込んで来た。赤ちゃんが喃語を発して、手足をバタバタさせている。

「わあ、かわいいね…」

夏鈴は廉弥に向かって笑顔で言ったが、すぐに眉をひそめることになる。

なんと彼は熟睡していたのだ。抱えたかばんに頭を載せて、幸せそうに眠りこけている。

あ、寝るんだ…?え、寝るんだ…?夏鈴が戸惑っていた、そのときだった。

電車が急にスピードを落として、夏鈴は思わず廉弥の肩にぶつかってしまった。その衝撃でさすがに廉弥も目を覚ます。

「あ、ごめん!」

目が合う。半目の彼は不思議そうに夏鈴を見てから、辺りを見回す。そして笑顔で口を開いた。

「あの赤ちゃん、かわいいね」

「…え?…あ、はぁ…?」

さっきのブレーキの件で車掌の謝る声がしたが、夏鈴の耳には届かず、呆然と彼を見ていたら、駅に到着した。



「うわ、あっつーい…」

電車を降りたら、すかさず熱風が押し寄せる。学校周辺はそこそこ都会なのだが、夏鈴たちの街の駅はひまわり畑がお出迎えだ。いわゆる観光スポットである。ただし地元の人たちは当たり前の景色なので、別段びっくりもしない。

「今年もきれいだね、ひまわり」

「うん」

「えーと、…せっかくだしちょっと見ていく?」

「うん」

すんなりうなずく。後ろを、黙ってほたほたと着いてくる廉弥に、夏鈴は内心ため息をついた。適当に誘ってみたけど、帰りたいのか無理していいよって言ってくれたのか、その表情じゃ分からないよ…。

入口のおじさんに1人50円ずつ観覧料を払って、植物のツルで作られた小さなトンネルをくぐる。抜けた瞬間、夏鈴は息をのんだ。

何度も見ているけれど、一面に広がる真っ黄色が、太陽に負けず輝いているのを見て、やはり目を奪われる。

「すごい、きれいだねえ」

「…」

廉弥に興奮して話しかけるが、彼は黙ったまま、ぼんやりとしていた。

「羽水くん…?」

「ん?」

呼びかけられて初めて夏鈴の存在に気づいたように目をしばたたかせる。

「え、どうした、の?」

「いや、そこの雑草ががんばってるなぁって」

「…………はぇ?」

彼が指さした先、ひまわりの茎の側に確かに雑草があった。廉弥がほほえんで言う。

「雑草も精いっぱい生きてるんだね」

「え、あ、そうだね…。アハハ」

なんだこの男は…。


一通りひまわりを見たあと、夏鈴の家に向かうためにひたすら歩き続ける。しかし、夏鈴は頭をかきむしりたい気持ちでいっぱいだった。

(はあ…。羽水くんって何考えてるのか、全然分かんないよ)

優しくて穏やかな性格は、夏鈴も好きだ。しかし、自分の意見をあまり言わないところは、時に短所にもなり得る。事実、『羽水ってロボットなのかよ、まじつまんねえ』と、中学校時代に周りの男子に裏で言われていたくらいだ。確かに、私も羽水くんと話すときはちょっと緊張しちゃうんだよね…、会話が続かないし。話すのが苦手なのかな。でも羽水くん、いつも一緒にいる友だちと喋るときは、楽しそうに会話してるけどなぁ。

いや、人のことを憶測で言っちゃダメだ!

「えーと、羽水くんは何か夏休みの予定ある?」

夏鈴の個人的意見を無理やりかき消すように、適当に質問する。

「?僕は特にないかな」

「だよねえ、勉強ばっかりだもんね。たまには遊びたいな…。やっぱり、青春したーい!」

「…うん、そうだね」

「でも、青春ってなんだろ。何をするのかな?」

「……僕も分かんない」

廉弥が夏鈴をちらっと見て、ぼそりと言った。

そこからまた、沈黙が続く。

ひまわり畑を過ぎると、一本の大きな道路がひたすらに伸びていて、その脇にはたくさんの住宅がひしめいている。この道路をずっと行けば比較的大きいショッピングモールがあるのだが、この街に観光に来たとしてもそれしか行くようなところがない。

やっと家まであと10分くらいのところまで来た。道路を走る車も昼間なのに少なく、ただ2人の少々乱れた息づかいと蝉の鳴き声だけが耳に入る。

「境さん」

突然廉弥が立ち止まって夏鈴を止める。

「な、なに?」

「大丈夫?」

「え?」

「顔、真っ赤だよ」

そうして顔を覗き込む廉弥。急に見つめられて、夏鈴は彼の視線から目をそらす。

「だ、大丈夫だよっ」

「そう…?なら、いいや」

廉弥は無表情でまた歩き出した。ぼーっとしていた夏鈴は、その後を慌てて追いかける。

「羽水くんは大丈夫なの?」

「うん」

表情は変わらない。すたすたと歩くその姿に、まあ大丈夫だろう…と思う。

「この信号を渡って、そこのマンションだったよね」

廉弥が指さす。信号の先には夏鈴のマンションがあった。予想より意外と早く着いた。

「あ、うん。今日はありがとう、一緒に帰ってくれて」

「うん」

何を話せばよいのか分からなくなったところで、信号がいいタイミングで青になる。

「あ…、じゃあ、またね」

夏鈴は手を振った。信号を渡ろうとして、一歩踏み出す──。



「境さん」



突然手を掴まれた。思わず廉弥の方を向く。


「え、?」

廉弥がまっすぐ夏鈴を見る。いつもの無表情で。突然のことに、夏鈴は心臓がひゅうっと縮む感覚を覚えた。2人の目線が交わる。そして廉弥は、ゆっくりと口を開いた。


「明日の夏祭り、一緒に行こう」



「………、え?」

夏鈴は口からそれしか出せなかった。

汗ばんだ彼の手のひらから、熱が伝わってくる。それがますます、夏鈴の胸のざわつきを加速させた。しかし廉弥は感情の読み取れない顔で、じっと夏鈴の答えを待っている。何か言わないと…。

「え、あの、その…。え、あ、うん…いいけど…」

廉弥がぱっと手を離した。

「あ、うん。じゃあ連絡するね」

「…は?」

「あ、信号赤になるよ」

「え、あ、はい、渡ります…、…?」

「気を付けてね」

「あ、はい…」

廉弥がちょっとだけ笑って手を振った。急かされるように、夏鈴は慌てて信号を渡り切り、振り返って手をブンブン振った。そして早足で歩き出す。ちらりと、まだ熱が残る手を見る。少し赤くなっていて、強く握られていたのだと分かった。それを見た瞬間、

「はーっ…」

ため息と一緒に、いろいろな気持ちを吐き出した。

とにかく言えること、それは。

(羽水くんって、ほんと謎!!)







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