伏兵
「何だ、お前も戦えるのか」
御樹と自分の間に割って入った閑斗を見て、砕下は意外そうに言った。
「戦える、というと少し語弊があるかもしれないけどね。俺は自分の力で戦うわけじゃないから」
「まさか、宮瀬さんが剣を?」
閑斗がそう言うのを聞いて、御樹は閑斗が高宮の剣を使えるのかと思った。
「いや、俺はこれを使わせてもらうよ」
閑斗は高宮の剣を懐にしまうと、代わりに扇子を取り出した。
お姉ちゃん?
御樹は扇子を左手に構える閑斗が、何故か御琴と被って見えた。御琴と比べればその動作は雑だし、優雅さの欠片もない。
それでも、どこかしら御琴を感じさせる何かがあった。
「さて、やろうか」
そこで、閑斗の雰囲気が一変した。
「お前は……」
「そんな……」
その変わり方に、御樹と砕下は同時に言葉を失っていた。
「どうして、宮瀬さんから砕下の気配が」
やっとことで、御樹はそう口にした。理由は全くわからないが、閑斗から漂う気配は砕下のものと全く同じだった。
「おいおい、人間がオレと同じ力を持っているとか、何の冗談だ」
砕下は信じられない、というような表情になっていた。
「まあ、色々とあったからね。で、どうするのかな。尻尾を撒いて逃げるかい」
「まさか。それに、お前はオレを簡単に逃がすつもりはないだろう」
「そうだね」
閑斗は扇子を持った手をまっすぐに伸ばすと、それを砕下に向けた。
「やれやれ、だな。オレはどうやら運が悪いらしい」
砕下は嘆くように言うが、その表情や態度からして本気ではなさそうだった。
何の前触れもなく閑斗との間合いを詰めると、そのまま拳を繰り出した。
閑斗はそれを広げた扇子で難なく受け止める。
「ちっ」
砕下は舌打ちすると、拳を引き戻した。
「この扇子は、砕下に対して効果があるように作られているからね。触れるだけでも痛いと思うよ」
今度は閑斗の方が砕下との間合いを詰める。
砕下の胴を薙ぎ払うかのように、水平に扇子を振るった。
砕下は大きくのけぞるようにして、扇子の一撃をかわす。
「くっ」
扇子の先端が腹部を掠めたのか、砕下が苦悶の声を上げた。
「君は本当に強いようだね。並の砕下なら、もう終わっているところだけど」
今の一撃で終わったと思ったのか、閑斗は意外そうに言う。
「やはり、オレの同胞を倒していたのはお前だったか。本当に食えない奴だ」
「御琴がいなくなってから、生きる意味が見いだせなくてね。砕下なら俺を殺してくれるかと期待していたんだけど、中々強い相手に巡り合えなかったから、ここまで生き延びてしまったよ」
まるで他人事かのように、閑斗は言った。
「なら、オレがお前を殺してやるよ、と言ってやりたいが。それも難しそうだ」
「君は今までにあった中では、二番目に強いから期待させてもらうよ」
閑斗は油断なく扇子を構え直す。
「期待させてもらう、か。どこまで本気なんだか。それだけの実力がありながら、女を矢面に立たせたわけか。薄情な奴だな」
「御樹ちゃんはこれから砕下と戦っていかなければいけなくなる。だから、俺が出しゃばるのは筋違いだと思っただけだよ」
「それで、女がオレに太刀打ちできないとなって出てきたわけか」
「不本意だけど、ね」
「お前、名前は」
急に、砕下が閑斗にそう聞いてきた。
「名前? 俺の名前なんか聞いてどうするのかな」
「オレは自分が認めた相手には、名前を聞くことにしている」
「人の名前を聞くなら、まず自分から名乗るのが礼儀じゃないかな。もっとも、砕下に名前があるのなら、の話だけど」
閑斗がそう言うと、砕下は大声で笑いだした。
「まさか、砕下相手に礼儀を説く人間がいるとはな。だが、お前の言うことにも一理はある。オレは霧業、という名前だ」
そして、そう名乗った。
「俺は宮瀬閑斗。苗字でも名前でも、好きな方で呼べばいいよ」
霧業に対して、閑斗も名乗り返す。
二人のやり取りを見て、御樹は唇を噛み締めていた。
敵である砕下にすら、わたしは認められないなんて……
今まで何度も自分の無力さに打ちひしがれてきたが、ここまで悔しい思いをしたのは初めてだった。
「さて、オレも本気を出させてもらおうか」
霧業がそう言うと、あたりが徐々に霧に覆われ始めた。
「オレの砕下としての能力は、周囲に霧を発生させること。直接相手を攻撃できるわけでないし、精々が目くらまし程度の効果しかない。つまらん能力だ」
霧業の言葉が終わるか終わらないかのうちに、あたりはすっかり濃い霧に覆われていた。
すぐ側にいるはずの霧業や閑斗の姿すら確認できないほどだった。
「まあ、オレの力で作り出したものだからな。お前からはオレの姿は見えないだろうが、オレはお前の位置を把握できている。さて、この状況でどうするかな」
「宮瀬さん」
状況が一変して、御樹は声を上げていた。
「大丈夫だよ」
だが、閑斗は御樹を安心させるように言った。
「それが強がりかどうか、試してやろう」
霧業が動いたのがわかったのか、閑斗はすぐにそれに反応していた。
御樹には何が起こっているのかはわからなかったが、閑斗と霧業が何回かぶつかり合っているのは理解できた。
「オレの姿が見えているのか」
閑斗が自分の攻撃に完全に反応しているのを見てか、霧業が苛立ったような声を上げていた。
「見えてはいないよ。でも、君が動けば霧にも変化があるからね。その変化から大体察しをつけているだけさ」
「そんな僅かな変化で、か。全く、お前はとんでもないよ」
霧業は心底からそう思っているのか、感嘆の声を上げていた。
「この場は引いた方が良さそうだな」
「そう簡単に、逃がすとでも」
「そうだな、お前がそう簡単に逃がしてくれるとも思えん。だが……」
その言葉で、閑斗は霧業が何を考えているかを察した。
「御樹ちゃん!」
そして、御樹に注意を促すように大声を出した。
それまで蚊帳の外だったこともあって、御樹は自分が狙われる可能性を失念していた。
「遅いな」
霧業は御樹に向けて攻撃を仕掛けたが、御樹にはなす術がなかった。
閑斗は咄嗟に御樹の方に向けて扇子を投げる。
「ぐっ」
霧業は小さな悲鳴を上げた。
「まあ、いい。お前とはもう会いたくないものだ」
その言葉と共に、徐々に霧が晴れていく。
完全に霧が晴れると、その場には切断された霧業の腕が転がっていた。
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