形見

「さて、何から聞きたいのかな」


 閑斗は公園のベンチに腰掛ける。

 御樹に座るように促さなかったのは、知り合ったばかりの女の子を近くに座らせることをためらったせいだろうか。


「姉とは、どうやって知り合ったのですか」


 御樹は立ったままで少し考えてから、そう聞いた。色々と聞きたいことはあったが、まず気になったのはそこだった。


「……まあ、やっぱりそこは気になるよね。さて、どこから話したものかな」


 閑斗は迷ったように視線を宙にさまよわせた。


「あれは、俺が学校に忘れ物を取りに行った時のことだったかな。夜遅かったせいもあって、周りには人気がほとんどなかった。そこで、砕下に襲われたんだ」

「よく、無事でいられましたね」


 御樹はその言葉に驚かされていた。一般人が砕下に襲われたら、大抵の場合は何もできずに殺されてしまう。砕下に襲われて生きているだけでも奇跡的だった。


「いきなり襲われて、何がなんだかわからなかったよ。そもそも目の前の相手が人間じゃない、ってことすらわからなかったから。もう駄目だ、そう思った時、御琴が現れたんだ」


 閑斗はその時の恐怖を思い出したのか、いくらか体を震わせいるようにも見えた。


「そうでしたか」


 御樹は閑斗の心中を思うと、それしか言えなかった。幼少の頃から訓練を受けていた自分でさえ、初めて砕外と戦う時は恐怖で身体が竦んだものだった。その時の恐怖は、想像を絶するものだっただろう。


「そんなに気を使わなくてもいいよ。現に、俺はこうして生きているわけだしね」


 御樹の様子を見てか、閑斗が気を使うように言う。


「でも、それまで普通に生きていた人が、砕下に襲われるなんて非日常に巻き込まれるなんて、理不尽以外の何物でもありません」

「そうかもしれないね。でも、交通事故で死んでしまう人だっているし、殺人事件に巻き込まれる人もいる。そういった人達も、理不尽だと思って死んでいったと思うよ。人は、死んでしまう時は死んでしまうからね」

「ですが……」


 まるで悟りきったような閑斗に、御樹はかける言葉が見つからずにいた。まだ高校生なのにここまで言い切れるような人間はそういないだろう。


「話が逸れちゃったね。御琴が現れて、砕下をあっという間に倒してしまったんだ。その時の姿はとても綺麗で、思わず見惚れてしまうほどだったよ。一歩間違ったら命の危機だったっていうのに、呑気なものだと言われそうだけど」


 そこで、閑斗はどこか懐かしそうに笑みを浮かべた。


「そんな出会いだったのですね。何というか、偶然に偶然が重なって、ちょっと出来過ぎているとも感じますけど」


 これが少し気取ったようなラブロマンスだったら、運命の出会いとでもいったところだろうか。

 だが、閑斗が体験したのはそんな生温いものではない。

 それこそ命をかけたやり取りだ。今こうして、閑斗が生きていることが奇跡と言っていいだろう。


「そう言われたら、そうだね。思えば、俺はあの時からずっと御琴に惹かれていたんだろうね。その時は、意識していなかったけど。それくらい、あの時の御琴は綺麗だったから」

「綺麗、でしたか」


 閑斗が思いがけないことを言うので、御樹は思わずそう聞き返していた。

 強かった、とか、心強かった、とかなら理解できるが綺麗だった、という感想が出るとは思いもしなかった。


「戦いっていうのは、どう取り繕っても野蛮であることに変わりはない。でも、御琴の戦い方はそういったものを感じさせなかった。まるで舞い踊っているかのようだったよ」

「高宮の家は、ずっと昔から鎮魂のための舞を継承してきました。その裏で、砕下と戦うための手法として、舞を取り入れてもきました。舞い踊る舞踊でもあり、戦うための武踊ともいえますね」


 閑斗が思いの外本質を見ていることに驚きつつも、御樹は簡単に高宮の戦い方を説明する。

 孝蔵がいたら「部外者に余計なことを言うな!」と激怒しそうなところだが、御樹は閑斗を部外者と一括りにできなかった。


「だから、こんな物を使って戦っていたわけだね」


 閑斗はそう言うと、懐から一本の扇子を取り出した。それは派手な見た目ではなく、一見すると何の変哲もない扇子にも見える。だが、細部までしっかりと作り込まれており、見る人が見れば逸品だとすぐにわかるだろう。


 そして、御樹はその扇子に見覚えがった。


「それは、姉の扇子、ですよね。どうして、宮瀬さんがそれを」


 御琴が持っているのを見たことがあったし、実際にそれを使って舞をしているのを見たこともあった。


「形見、かな。俺がこんな物を持っていても、分不相応だと思うし、使い方すらわからないのにね」


 閑斗は扇子を広げると、無地のそれを眺めていた。


「だけど、これは私が生きた証でもあるから、あなたに受け取ってほしい。そう言われたら、何も返せなかった。然るべき人が使うべきじゃないか、とも言ったけど、そんな人もいないから、って言われて、結局なすがままに受け取ってしまった」


 そう言うと、扇子を静かに閉じた。


「そう、でした、か」


 御樹は今の表情を閑斗に見られたくなくて、できるだけ自然に顔を逸らしていた。

 別に御琴の扇子が欲しかったわけではなかった。ただ、御琴が自分を認めてくれていなかったのか、と思うと胸が締め付けられる思いだった。

 もちろん、御樹が御琴の扇子を持っていたところで「お前には不要だ」と取り上げられてしまうのが落ちだろう。


「どうしたのかな」


 御樹の様子がおかしいと思ったのか、閑斗が気遣うように言う。


「いえ、大切な人を失った悲しみというのは、そう簡単に癒せるものではないですから。でも、いつまでも姉に囚われているのは、姉も望んでいないと思います」


 それを聞いて、御樹は取り繕うようにありきたりな慰めを口にする。

 わたし、嫌な子ですね。

 そして、そんな自分に嫌悪感を抱いてしまう。


「そうだね、それは、わかっているつもりだけど」


 御樹の真意に気付くことはなく、閑斗はそっと目を伏せた。


「今日は、ありがとうございました」


 御樹は閑斗に頭を下げる。御樹の心情的これ以上話を続けるのは難しいし、閑斗にとっては酷なことだと感じていた。


「そうかい。俺もそうしてくれると助かるよ」


 閑斗は弱弱しいながらも、笑顔でそう言った。


「いえ、わたしも辛いことを思い出させるようなことをして……」


 そこで、御樹の言葉が止まった。

 どうして、こんな時に砕下が。今のわたしで、対処できるのでしょうか。

 砕下の気配を感じて、御樹は緊張を隠せなかった。


「どうしたんだい」


 御樹の様子があからさまに変わったのを見て、閑斗も只事でないと感じていた。


「砕下が、近くにいます。宮瀬さんは、すぐに逃げてください」

「御樹ちゃんは、どうするのかな」


 御樹は砕外の名前を出したら閑斗は動揺するかと思っていたが、意外にも閑斗は落ち着いている。

 下手に慌てられるよりは良いが、それにしては落ち着き過ぎているようにも感じられた。


「わたしは、砕下を倒します。それが、わたしの使命でもありますから。でも、宮瀬さんにはそういった義務はありません。だから、逃げて下さい」

「今から逃げて、間に合うかな」

「それは……」


 閑斗に言われて、御樹はすぐに答えられなかった。砕下をの気配はかなり近くから感じられて、閑斗が逃げたら鉢合わせする可能性も否定できない。


「なら、御樹ちゃんに護ってもらうよ。その方が、下手に逃げるよりは安全みたいだからね」

「えっ……」


 閑斗が寄せる謎の信頼に、御樹は戸惑っていた。御琴の妹ならそれなりにやれる、とでも思っているのだろうか。


「わたしは……はい、わかりました」


 御樹はわたしは姉ほど強くはない、といいかけてその言葉を飲み込んだ。そんなことを言っていられる状況ではないし、ここまできたらやるしかない。


「うまそうな女がいるな。オレはついているようだ」


 そして、そんなことを言いながら砕下が姿を現した。

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