襲撃の朝、母の忠告(2/2)

「ダ、ダメよ。マミコはダメ! そこいらの獣どもとは訳が違うの。あいつは獰猛よ。たっくんが姿を現した瞬間……、ガブッとイカれるわ!」


――幼なじみをトラか、なにかと思ってるの


 鬼気迫る表情で訴えてくるから身構えそうになるが、マミコさんは背の高い、優しいお姉さんである。


「母さんが清く正しい人だって、確証を得るために行くんだ!」

「それでも、ダメ! マミコは鬼畜なの、畜生なの! あんな極悪非道で、冷酷な人間はいない!」

「大丈夫だよ! この前、家に来た時は優しかったよ」

「……何故、私が知らない所でマミコがたっくんと会っているの?」


 急激に温度が下がった。

 冷たい声が背筋にゾクゾクした感覚を走らせる。


――あっ、そういえば秘密にして欲しいって、言われてたな……


 あの日、起きた他の出来事が衝撃的すぎて、すっかり忘れていた。


「スンスン、私の知ってる女の匂いがするわ」


 来たのはおとといだから、匂いはないはず。

 母さんは何を感じ取っているのか、再び虚ろになっている。


「その話題は横に置いて。母さんは女の人に対して、警戒しすぎ。みんな、母さんの言うような怖い人たちじゃないよ」


 テレビやネットのニュースでは、女性から男性への犯罪行為の話題が、絶えず流れている。

 しかし、自分は1ヶ月過ごしてきて、危険な目には一度も遭っていない。

 そういう目に遭いたいわけではないけど、母さんが口を酸っぱくして言っている、「女の人とは1人で会わない」「外に1人で出歩かない」という教えが、いまいち理解できていない状態だ。


「たっくん、わかってない。わかってないよ、この可愛い息子は」


 「やれやれ」と海外映画のようなオーバーリアクションで肩をすくめて、鼻で笑っている。


「今、男性は1万人に1人しかいないの。生の男が見れるだけですごいんだから。それに、こんな可愛い男の子が目の前に居たら、女の子はみんな、色欲の獣になっちゃうよ!」


 ガオーっと獣のポーズをしている。


「マミコさんは大丈夫だったよ?」

「あやつはムッツリだから、今は本性を隠しているの!」

「はぁ……」

「何度も会えば、いつしか本性を現す。だから、あんな悪魔の所には行かずに、聖人のママを信じて、いってらっしゃいのチューを捧げるのよ!」

「やっぱ、悪魔に嘘の証明をしてもらおう」

「だああああ!」


 力強く引き留められる。


――ぜ、全力で踏ん張ってるのにビクともしない!


 どれだけ必死なのかがわかる、嫌な伝わり方だ。


 このままでは、埒が明かない。

 マミコさんに援護をしてもらって、いってらっしゃいのチューを封印する算段が崩れた。


――とりあえず、今日はこのまましない方向に持っていって。後日、作戦を練ろう


「もう行かないから、離れてください」

「ほんとに? 1人で外に出ちゃダメだよ、危ないから!」


 先ほどの主張に戻るが、母さんは嘘をついたことがないらしい。

 それは絶対に、そして確実に、嘘である。

 俺は何度も騙された。


 そこを突いて、本日の休戦への交渉材料にしよう。


「では、私の質問に答えてくれたら、あなたの言うことを信じます」

「えっ! 一生信じてくれるの」


 なんか、違った解釈が生まれていそうだが気にしない。


「俺が病院で目覚めたときに開口一番、自分は恋人だと偽ったよね?」

「歴とした事実を述べたまでですね」


 真剣な面持ち。

 自分を強く信じ、発言に一切の偽りがない、そんな固い意志を感じられる。


「でも俺たち親子だよね?」


 含みを持たせて尋ねる。


「たっくん、かの偉人はこんな格言を残しているわ」


 肩に手を置かれ、静かに見つめ合う。

 大事なものを託すように、大切な心を語るように。

 気迫のこもった瞳が、その想いを俺の胸に刻み込もうとしている。

 そして、色艶の良い唇が言葉を紡ぐ。


「息子だけど愛さえあれば関係ないよねって」

「関係あるよ!」

「細かいことは良いではないか~。くるしゅうない、ちこうよれ」

「なあああ」

「もう~。ママ、お仕事に遅刻しちゃうんだけど!」

「なんで、俺が怒られてるの!」


 抱きつかれ、文句を言われる。

 

 やはり、消極的ではダメなようだ。

 ここは心を鬼にして、しっかりと伝えなければ。

 お見送りはするけど、チューは嫌だとか。

 夜中にベッドに忍び込むのは迷惑だとか。

 他にも色々あるが、この問答を終わらせるためにはっきり言うんだ。


「俺、母さんとのスキンシップが嫌なんだ! 恥ずかしいんだ!」

「はっ!」

「もう……、やめてくれよ」


 人にはっきりものを言ったのが初めての経験で、自分でもビックリするくらい、大きな声が出てしまった。


――慣れないことはしないほうがいいな


 心の内で反省をして、次のプランを立てる。

 

――母さんは冗談だと思って、ふざけてくるだろうから、そこを控えてくれるように伝えて


 頭の中では無数の対策と計画が打ち立てられ、目指すゴールを明確にする。

 そこには、予定調和と確定した要素しかない。


――勝ったな

 

 したり顔で、反応を伺う。

 しかし、そこには予測から外れたものがあった。


 母さんは涙を流して、固まっていたのだ。

 そこには、多くの悲しみが含まれているように見える。


 徐々に顔はうつむき、姿勢は前屈みに、表情は黒髪に隠れた。

 今は、頭のてっぺんしか見えない。


 無言の時間が流れる。

 この静寂は、心地よさとは程遠い。


 何を考えていたのか。

 視線が上がった。


「……ごめんね、わがままだった。たっくんが一番、大変だってわかってるのに」


 明らかに落ち込んでいるようだ。


「たっくんが優しいからママ、調子に乗って、甘えちゃって。……気持ち悪いよね、嫌だよね。こんな、おばさんにくっつかれて、嬉しい男の子なんていないもんね」


 自嘲する。

 身体を離されたことで見えた表情は、痛い笑顔。

 凜とした吊り目が今はだらしなく、困ったように下がっている。


「いや、そんなことは……」

「大丈夫、言わないで」


 口に指を当てられ、二の句が継げない。

 首を振って、黒髪が揺れ、拒絶を示す。

 

 ただ呆然と、なすがままに。


「お仕事行ってくる。戸締まりはしっかりして、おでかけするときは気をつけてね。必ず、護衛官の人に連絡して、一緒にいること。いいわね?」


 パンプスを履き、カバンを手に取る。

 目の前にいるのに、遠く感じてしまう。


「それじゃあ、いってきます」


 母さんが手を振って、ドアを開けようとした時。


「待って!」


 意を決して、後ろから抱きついた。

 ここで行かせては行けない。

 直感的にそう思った。


「は、離して、たっくん。私、お仕事に行くから」


 振り解こうと、腕の中で暴れる。

 こんな時だって言うのに、女性らしい香りに意識が向いてしまう愚かな自分。

 逃がさないように力を込め、耳元に口を近づける。

 気持ち悪い行動だと自覚はしているが、今はそれしかない。


「ごめん、母さん。勘違いするよね」

「……」

「俺、臆病で気弱だから、うまく気持ちが伝えられなくて」


 悲しませたいわけではない。

 ただ自分勝手に作り上げた、世間を気にしているだけ。


 何も変わっていない。

 主体性がない、流されっぱなしの自分。


「……」

「でも、これだけはしっかりと伝えたい」

「……はぁ」

「母さんは嫌いじゃないんだ。その……、スキンシップに慣れてなくて」

「……はぁ、はぁ」

「だから、母さんが悲しむことなんて……!」

「……はぁ、はぁ、はぁ」

「ん?」


 まとまらない考えを言葉にしていると母さんの息が荒くなっている。

 身体はほんのり、暖かくなっている。


 顔を覗くと、頬が朱色に染まっていた。

 凜とした吊り目が、今はだらしなく溶けている。


 身体を戻し、拘束していた腕を解く。

 これで彼女を縛るものはない。


「すぅ……、あの~、正直に答えていただきたいのですが」

「なんでしょう?」

「先ほどの涙は、どういった意味が含まれていたのでしょうか?」

「そうですね。我が息子が、ついに伝説の反抗期へ突入したと感動しておりました」


 髪を払い、乱れた服を直し、佇まいを正す母親。


「では、涙を流した後に落ち込んでいる様子を見せていましたが、あれはどのような意図があったのですか?」


 インタビューを行う記者のような口調で疑問を述べる。


「そうですね。私の息子はすごく優しいので、落ち込んでいる姿を見せれば、チューの1つや2つはしてくれると思いました。だから、やりました」


「では、いってらっしゃいのキスをねだるために、一芝居を打った。ということですね?」


「そうですね、間違いありません。ですが、ハグは予想外でした。息子に抱きつく、という行為は日常的に行っているのですが、抱きつかれるという経験が少なくてですね。いつもと違った良さがあり、つい堪能してしまった次第であります」


――なるほど


「リビング掃除しないと」

「どっせーい!」


 リビングに戻ろうと振り返ったら、母さんにタックルされ、玄関の段差につまずいた。

 受け身が取れず、うつ伏せで倒れる。

 胸とお腹に衝撃が伝わり、じんわりと痛みが昇ってくる。


「危ないよ、急に!」


 抗議を口にすると母さんが馬乗りになって、顔を近づけてきた。


「だって、仕方なかったの! 私にはたっくんしかいない……! あんな娘に取られるくらいなら、私!」

「心配して、損したじゃん!」

「心配してくれたの? ママ、嬉しい!」

「はぁ」


 お気楽な返事を聞いて、緊張と心配の糸が切れた。


 思えば、こんな脳天気な人が母親だから変に悩まず、この世界を受け入れられたのかもしれない。

 楽しいんだ方が勝ち。そんな単純なことを教えて貰った、とても大事な人。

 そういう風に評価しているから、背中を全力で嗅ぐのをやめて欲しい。

 

ーーめっちゃ背中、スースーする!


「わかった、わかったからもう、離れて! 本当に仕事、遅刻しちゃうよ!?」


 母さんは腕時計を見ると急いで、扉を開け放つ。


「次の電車が生命線だ! 息子のチューより、モテない上司の機嫌を取る方が先決だぁ!」

「母さん」


 頬にキスをした。


 一瞬で赤くなる顔。


――恥ずかしいなら、しなければいいのに


 上気した顔を見ると毎回、思ってしまう。


 これは散々、振り回された腹いせと自分のためだ。

 母さんが会社で怒られた日には、我が家で大きなひっつき虫が出現する。

 剥がすのに一日以上かかる、非常にやっかいな奴だ。

 こんなことで仕事が捗れば、それは巡り巡って、自分のためになる。


「いってらっしゃい、気をつけてね」

「……いってきます」


 手を振って、見送る。


――電車、間に合えばいいけど


「さてっ! 掃除でもしながら、新たな作戦でも立てますか」


 袖をまくり、気合いを入れて、リビングへ向かうのだった。

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