曙のプリンシア〜叔父の作った乙女ゲー、インドルートを回避せよ〜

上衣ルイ

序 ザルツ村


昔々の話だ。

ある年の夏の夜、ザルツという小さな村に、夫婦の旅人が訪れた。

夫は渡りの鍛冶師、妻は染物師。二人はザルツ村の人々に、「行く当てもなく、家族はお互いしかいない。どうかこの村に住まわせて欲しい」と頼んだ。

村長を始め、村人達は二人を歓迎した。ザルツ村の鍛冶師が病気で亡くなったばかりで、人手不足に困っていたからだ。

夫婦は人当たりもよく親切だったが、自分たちがどこの生まれで、どうしてこの村に住むことになったのか、決して村人達に語ろうとしなかった。

夫婦揃って、貧民らしからぬ、教養の高さと、高貴さをたたえた立ち振る舞いをしていたので、村人達は「亡国の王族の夫婦なのではないか」と噂さえした。


やがて二人は子宝に恵まれた。

夫婦が村に住み着いて二年が経過した、真夏の嵐の夜のこと。

難産であったらしく、破水の後も、丸三日も赤ん坊は母親の腹の中に居座り続けた。遠くに住む産婆を呼ぼうにも、川が氾濫し道が崩れ、医者も呼べぬ状況。

そんな時、何を思ったか鍛冶師は、村に来る際に持ち運んでいた一振の剣を抱え、夜の森の闇に消えた。

すると、鍛冶師を追いかけた村人達は、森の奥から光の柱が降り注ぐ様を見た。鍛冶師は姿を消し、森の奥には、白く光り輝く結晶に閉じ込められた、彼の剣だけが残された。

嵐は光の柱によって消え失せ、氾濫した川にも結晶で出来た橋が築かれていた。そのため、医者と産婆を呼ぶことが出来、子供は無事に産まれたのだそうだ。

母は我が子を産んだ後、この世を去った。母の亡骸は、剣を閉じ込める結晶のすぐ傍に埋められた。今でもザルツ村の森の奥には、その結晶の剣が眠りについている──


「ねえ、おばあ。その話、何回目?」

「お前達が口をきけるようになって、実に10回は話しているねえ。次はお前が語り手になるのだよ、ライトや」

「嘘だね。だっておばあにとって一年で夏は20回も来るから、実に100回はこの話を聞かされてるってことだ。耳がタルボの実になって腐っちゃうよ」

「まあ!可愛くないボウヤだ、10回も100回も大差ないだろ。ちゃあんと最後までお聞き」

「あるだろッ桁の違いが!それにもう聞かされすぎて、そらで全部言えらあ!」


村のおばあはいつも、夏の「降神祭」が来る度にこの物語を、数少ない村の子供達を集めて、とつとつと語る。

私が生まれ育ったザルツ村の伝説を、この「塩壁の国」ハインバーグ王国で知らぬものはいない。なにせこの物語で生まれた赤子こそ、この世界で度々登場する、太陽の救世主【プリンシア】その人だからだ。

この村は言ってしまえば、伝承に登場する救世主の生誕地。だが伝承の語り手も少なくなった今、私ことライトと、その愉快な仲間達が、最後の語り手になるのである。


「それじゃあライト、そんなに憎まれ口を叩くなら、続きはお前に語ってもらおうじゃないか。逃げるなんて許さないかんね」

「エーッ!面倒くさ……」

「良いじゃねえかライト、お前の演技力に期待してるぜ!」

「臨場感たっぷりに語ってくれや、吟遊詩人のライト!」

「うるっさいなあ!」


──この世界には、【黄昏の魔女】と呼ばれる存在が度々、歴史上に姿を現す。

彼らはこの世界と人間を憎み、滅ぼそうとする悪意の塊。そんな魔女たちを討ち滅ぼし、平和と安寧を齎す者が【プリンシア】というわけだ。

なにせ千年以上から語り継がれるものの、昨今の世の中ではとんと、この黄昏の魔女もプリンシアも、その姿を片鱗すら見せていない。

もっとも、ハインバーグ王国は、周囲を囲む国々と30年以上も戦争を繰り広げている。やっと七年前、敵諸国から停戦を申し込まれ、束の間の平和が訪れたばかり。

このザルツ村に至っては、戦争とも飢饉とも無縁だ。ここ何十年と平和そのものな、何もない所である。

……私は、この何もない村のことを、結構好きなのだけどね。


「世界が戦や飢饉によって乱れる時、黄昏の魔女とプリンシアは現れる……っていうけどさ、ぜんっぜんそんな話、欠片も聞かないよね」

「やだライトったら、本気にしてるの?あんなお伽噺、昔の人達が作った嘘に決まってるでしょ!」

「ライトはちょっと夢見がちだよなー、素直だし、騙されやすいし。そんなんで、まともな大人になれるのかよう」

「う、うるさいなっ!魔術があるんだから、お伽噺もまるっきり嘘とは限らないだろ!」

「もっと堅実的な夢見ようよ、ライト。たとえば私をお嫁さんにしてくれるとか!」


女友達のナンシィが、ぎゅっと私の腕を掴んだ。柔らかくて、金色の髪からは煎った麦のような良い匂いがする。いつ見ても、そばかすと出っ歯が愛らしい。

私は照れ臭くなって「まだ13だろ、色気が下手くそ」と軽く突っぱねた。ナンシーは怒って私の背中をどつき、友人たちはげらげら笑って「さっさと嫁に貰ってやれ」なんて私を揶揄った。

この時、私も13という年若さだった。多分、あと5年も経てば、体はがっしり大きくなって、髭も生えて、三つ編みしかおしゃれを知らない、出っ歯のナンシィを嫁に貰うのだろうと思っていた。

この小さなザルツ村で、細々と水車小屋や農具を直し、粉挽き屋からちょっと良い小麦を貰う日々を送り、五人くらい子供を作って、何の面白みもない頑固な鍛冶師の老人になり、このザルツ村の土に埋まるのだろう。

そう信じて、やまなかった。──15歳の誕生日の、前日までは。


「ライト。起きて、ライト」


まだ肌寒い冬。自室の藁のベッドですっかり寝こけていると、ナンシィの声がした。不思議に思って、眠い目を擦って起き上がり、暗がりの中でナンシィの顔を見上げた。

私は小さな小屋に一人で暮らしている。鍵なんてものはかけてないから、隣の家に住むナンシィが居ることには、別段疑問には思わない。

でも、その日のナンシィは様子が違っていた。顔がいつも以上に青ざめていて、外は妙に騒がしい。窓の外から様子を見ると、かがり火をたいた大人達が、神妙な顔で広場に集まっていた。

遠目からではよく分からないが、彼らは皆一様に、難しい顔をしていた。ナンシィは寝間着のまま、「来て、ライト」と私の手を無理矢理引っ張った。

寝ぼけ眼のまま、訳も分からず、私は外に連れ出された。外では、村の子供達……私の友人たちもいる……が、神妙な顔をして待っていた。

「どうしたの?」と私が皆の顔を見る。今まで一度も見た事がない、悲しそうな、辛そうな顔をしていた。誰も私の質問には答えず、私を取り囲んで、水車小屋まで連行された。

ただならぬ気配に、私は空恐ろしくなった。大人達のただならぬ気配といい、一体何があるというんだろう?


「なあ、何が起きてるんだ?こんな真冬の深夜にさ。寒いし、眠いよ。誕生日を祝うにはまだ早いぞ。日の出も出てないし」


茶化してみたけど、誰もくすりと笑ってはくれなかった。

私は友人らによって、水車小屋の地下二階に放り込まれた。地下は天然の氷室になっていて、酒や冬越しに用いる食料も、この氷室に保管されている。

当然ながら、この真冬には少し寒すぎる。突然の理不尽に驚いていると、親友であるベアロが、上着を脱いで私に頭から被せると、肩を乱暴につかんで凄んできた。


「良いか。何があっても、ここから、絶対に出るな。出たらお前を八つ裂きにして殺してやるからな」

「そんな!何を言い出すんだベアロ、こんな所にいたら死んでしまう!頼むから、なんでこんな酷いことをするのか説明してくれ!」

「それは出来ない。行くぞ皆」


薄暗い中、子供達が次々と出て行く気配が地下に響く。

最後にナンシィが私に振り返ると、私を強く抱きしめて、「ごめんね、さようなら」とだけ告げた。困惑する間、まだ編んだばかりの頭巾ウィンブルで私の頭をぐるぐる巻きにすると、どんっと乱暴に突き飛ばし、私の元から去った。

私がいくら「待ってくれ!」と叫んでも、誰も耳を貸さない。扉に駆け寄った直後、外から鍵をかけられ、私は完全に閉じ込められた。

激しく扉を叩いても、殴っても、扉はびくともしなかった。「出してくれ」と叫んでも、水車小屋がたえずギィコバァコと軋み揺れる音だけが、空しく響いていた。


──どれだけの時間が経っただろう。

ベアロの上着とナンシィのチュニックのお陰で、寒さはしのげたものの、どうしても外の様子が知りたかった。なにより氷室に閉じ込められ続けて、凍え死にそうだ。

私はふと、氷室から脱出する手段を思いついた。水車小屋は製粉機、水車小屋の動力が密集する地下一階、そして氷室となる地下二階に分けられている。動力が設置された地下一階は、水車小屋をずっと稼働させる都合上、凄まじい熱が籠ってしまう。

その熱で動力機器が劣化してしまわぬよう、定期的に氷室の冷気を定期的に排出するための穴があるのだ。

その穴はとても小さいが、私一人ならどうにか体を押し込めて、上に出られるはずだ。氷室の棚を一つ、台座にして、私は天井にある排熱口に跳び上がった。

幸い、私はとても小柄だ。排熱口にどうにか全身が入ったので、臭くて汚い排熱口を、這うようにして上に向かって進んだ。

しばらくすると、地下一階に出た。ここまで来れば、後は地上に上がるだけだ。幸い、一階から地上に上がるドアに鍵はかかっていなかった。


「ナンシィ!ベアロ!皆!」


私は声を張り上げ、水車小屋から飛び出して──ベアロたちが、何故あんなにも外に出ることを拒んだのか、その理由を思い知った。


外の世界は、地獄であった。冬の乾いた空気によって、炎が村じゅうを飲み込んでいた。

家屋も、家畜小屋も、畑も、パン焼き場も、何もかもが崩れ落ちていた。

地面はどこも血の海と化しているか、地面が無惨に抉れている。炎で燻る、炭と化した骸や、四肢が千切れた骸、内臓がぼろりとまろびでたままになっているもの。

色んな知った顔が、無惨な姿で死んでいた。誰も彼もが、死んでいた。

ナンシィは服を八つ裂きにされ、胸から尻にかけて串刺しにされていた。ベアロは首と胴が分かれて、別々に転がって踏み潰されていた。年下の子供たちは、積み上げられて焚き火のように燃やされていた。


「……なに……なん、で、こんな……どうして……!うああアーーーーーーーーーーーーーーッ!」


信じられなかった。信じたくなかった。

何故こんな惨劇が起きてしまったのか。何故みんなは、私ひとりだけを水車小屋に匿ったのか。

朝日が昇り、焦土と化した村を明るく優しく照らす。

春の訪れを告げる、柔らかな日差しに網膜を焼かれ、私は喉が潰れるほど絶叫していた。

恐怖と、困惑と、疑問と、怒りと、憎悪と、果ての無い悲しみに押し潰されそうだった。

私は皆の名前を呼びながら、村じゅうを走り回った。誰でもいい、たった一人でもいい。誰か生き残っていてくれないかと。

雲一つない空の下を、私は力尽きるまで走り回った。誰か、誰か生きててくれないか。村をずっと照らし続けた太陽が西に沈む頃、私は村と森を一周して戻ってきた。

その頃には精魂尽き果てて、頭の中が空っぽになっていた。


ただひとつだけ、分かること。ザルツ村のライトは、15歳の誕生日に──何もかもを、喪った。

孤独と絶望に打ちひしがれて、私は皆の骸の傍で、死んだように眠りについた。

全てが夢でありますようにと願いながら。




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