第26話 突然の出張

「モニカさん、ちょっと執務室へ、いいですか? 頼みたい業務があります」


「はい」


一応、名前で呼んでくれるんだ。

わーい、超嬉しいよーーー。


しかし、その浮かれ気分は、木っ端みじんに吹き飛ばされた。

執務室にはいると、山のような書類が待っていた。


「わたしは、これから王宮に出仕しなければなりません。

しばらく留守にしますから、ここにある書類の書き写しと、住民台帳をお願いします」


留守にするとは聞いていなかった。

前もって教えてくれればいいのに。

それにしても、侯爵には人間の心がないのか。

こんな業務量、絶対に無理じゃないですかぁ。

ブラックだ。


「カルロが来ても、会うのは自由です。ただし、業務を優先してください」


それって、カルロに会うなと遠回しに言っていません?

ずばりストレートに言えばいいものを、なんでこじれた言い方するのよ。

それじゃ、カルロにもわたしにも伝わりませんよ。


「聞いていますか?」


「はい、ロレンツィオ様」


あ、名前を呼んだら、ちょっと照れた。


「あの、王都へはジョバンニも一緒に行くのですか」


「はい、ジョバンニも、わたしと一緒に都へ行きます」


「もし、業務内容でわからないことがあったらどうすればいいのでしょう」


「それは、……無理に書かずに飛ばしてください」


飛ばしていいのか。

急いで処理すべきなのか、そうではないのか、ちょっと意味不明。


ジョバンニが、小声で助け船を出してくれた。


「他の男に聞くなという意味ですよ」


「そうは言っていません! とにかく、浮ついた気持ちではなく、業務に集中してくださいって言っているんです!」


激おこぷんぷん丸、出現。

恐っ……、冷徹侯爵の復活。

この膨大な業務量に集中しろとは、拷問か何かですか。





侯爵は、ジョバンニと共に王都へ行ってしまった。

あれから数日間、平和な日々が続いている。

しばらくの間って、どれくらい留守にするのかしら。


マリアがもの足りなそうに言った。


「侯爵がいないと、ピリピリした空気がなくなって物足りないですね」


「そうよね。こうしているとあのパワハラはいいスパイスだったということね」


スパイスのない日々は退屈だ。



*  



今朝も夜明けの祈りを唱えた後は、畑で農作業に精を出す。

畑の様子を確認すると

先日撒いた種から芽が出ていた。


「やっぱり、ここにいたぁ」


声がして、顔をあげると、農作業用の服に麦わら帽子をかぶっている青年が笑っていた。

新しい使用人かしら。


「おはようございます、新しくここで働いてくれる方ですか」


「お手伝いさせてください!」


麦わら帽子の下で、屈託のない笑顔をのぞかせるその青年は、わたしと同じ目線まで姿勢をおとした。


「どこかでお会いしたかしら」


「僕ですよ。モニカ」


「あ、カルロ様!」


思わず叫んだわたしの口は、カルロ様の手で塞がれた。


「う……」


「しーっ! 大声出さないで。他の使用人が起きてきちゃう。ここに入るのだって大変だったんだから」


「何をしに、この畑へ」


「純粋に農作業を教えてもらいにだよ。下心はない。

わが屋敷の裏にも畑を作って、使用人たちにも教えてやりたい。それだけだ」


「本当…ですか?」


「半分はね。もう半分は、君に会いに来た」


それだけじゃないじゃん。


「また、またぁ、そのような言葉でわたしを誘惑しようとしても無駄ですよ」


「この早朝の作業に間に合うように来るには、わが領地を夜明け前に出なくちゃいけないんだ。

その努力くらい認めてくれないかな」


「別に、頼んでいませんから」


「つれない……」


わたしが歩くと、カルロも後ろを歩く。

その姿は、どこから見ても農民だ。

ここに来るために、わざわざ農作業着を着て夜明け前に馬を走らせてきたと、

想像すると可愛らしく思え、笑いそうになる。


「じゃ、カルロ様、ここを農地に変えたいの。耕してみる?」


「どうやるの?」


「最初にこのスコップで、土を深く掘り起こして行くのよ。ここからあの辺まで出来るかしら」


「よっしゃ!」


カルロ様はやる気満々で、スコップで土を掘り起こし始めた。

貴族のカルロ様はすぐ音を上げて帰るかと思った。

ところが、黙々と作業してわたしが指定した場所まで、あっという間に土を掘り起こした。

さすが、戦闘で鍛えられているだけある。


「できたよ、モニカ。次は?」


「次は、鍬で耕すの」


「スコップで掘り起こしただけじゃダメなの?」


「まだまだ、これは序の口。鍬で、大きな土の塊を砕いて耕すの。

細かい土にすることで、通気性と保水性がいい、やわらかい良い土になるのよ」


「へぇ、そうなんだ。そうやって出来たのがモニカの作った畑なんだね。

そこに、新しい芽が出ていたけど、あれは何?」


「そら豆です」


「お! 僕、そらまめ大好き」


「じゃ、ご自分の土地に畑を作って、そら豆を栽培すればいいわ」


「そうか、いいね、それ」


「茹でそら豆も美味しいけど、採れたてのそら豆をさやごとフライパンで焼くのも美味しいのよ」


「なに、さやごと焼くのか?」


「これに、ビール飲んだら止まりませんって」


「モニカ、ビール飲むんだ」


「修道院ではワインだけでなく、ビールも作っているのよ。男子修道院の方だけどね」


「よし、頑張って耕そう。行くぜ」


カルロ様は張り切って鍬をかついでさっきの場所で、土を耕しはじめた。

素直な方、……畑でわたしを口説くのかと警戒したけれど、本当に下心はないみたい。

ちょっと安心した。

わたしが侯爵以外の男性に関心を持つなんて、ありえないから。

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