第18話 カモミールの花
一面にカモミールの白い花が咲いている。
風に乗って、青りんごのようなフルーティな香りが優しく通り過ぎて行った。
「素敵! このカモミールはどなたが管理してるの?」
「誰も」
「は? 誰も?」
「母が生きていた頃、母が植えて手入れしていました。
母はハーブを育てるのが好きだったんです。
母が亡くなってからは、だれも管理していません。
わたしもここは放置していますが、それでも勝手に毎年花を咲かせています。
手入れをしていないので、かなり荒れていますが」
そうだったんだ。
じゃあ、ここに来るのもカンパニーレ侯爵は久しぶりなのね。
「侯爵、この花を摘んでみませんか? 乾燥させてハーブティーを作りましょう」
「ハーブティーって、摘んで乾燥させるだけでできるんですか?」
「療養院にもハーブ畑がありました。これでもわたし、ハーブについては詳しいんですよ」
「あなたはなんでも出来るんですね」
「あはっ! そんなことありませんよ。仕事できないじゃないですかぁ」
「確かに」
「なんですか、それ。そこは、そんなことありませんって否定するところでしょ」
わたしが笑うと、カンパニーレ侯爵もかすかに笑った。
この笑顔よ。
この笑顔が見たかったのよ。
「旦那様、ハーブに関する本をお持ちしましたー」
庭の入り口でジョバンニが、本を上にあげて叫んでいる。
「頼んでいないのに、ジョバンニは……」
あれ? どうして機嫌悪くなるのかな。
「ジョバンニー! あなたもこっちにいらっしゃいよー!」
「呼ばなくていいです。ジョバンニがいたら楽しいのですか?」
げ、塩? 睨んできた。
「だって、本にどんなことが書かれているか興味ありません?」
「なら、ジョバンニに案内してもらえばいいじゃないですか」
あれあれ? もしかして嫉妬しているのかな?
それはそれで、ちょっぴり胸キュンなんですけど。
「ジョバンニじゃなくて、わたしはカンパニーレ侯爵と一緒に庭に出たかったの。
侯爵がいいって言ってくれなかったら、もともと庭に出るつもりはなかったし、
どこへも行く予定はありませんでした」
「……」
カンパニーレ侯爵の頬が軽く赤くなった。
わたしだって、こんなことを言うのは恥ずかしいんだから、黙らないでね。
「ほらほら、カモミールの花を摘みましょうよ。
摘むのは花が咲いている今しかないのよ」
ジョバンニはすぐそこまで走って来ていたが、侯爵に命令された。
「ジョバンニ、花を摘むかごを持ってきてください。今すぐ」
「はい、旦那様」
かわいそうに、ジョバンニは来た道をまた走って戻った。
「花を摘むときは、軸は取らないように、花だけを摘むのがコツですよ」
「軸はダメなんですか」
「軸はお茶にしたときに、苦味になるんです。苦いのは嫌でしょう」
「いいえ、子供じゃないので平気です」
「でも、実は甘いのが好きですよね。
ライスプディングが好きと言うことは、そうだと思いましたけど」
「あれは、母の味ですから」
ふふ、ほら、子供じゃないの、とわたしは心の中で思った。
だけど、それは言わないことにした。
侯爵はわたしより八歳も年上なのだから。
「こうやって摘むんですか」
「そうそう、上手じゃないですか! 一回で覚えるなんて天才」
「これって、やっているうちに集中してしまいますね」
「でしょ! こうやって摘んでいると嫌なことも忘れちゃいます」
「なるほど、確かに」
二人で黙々とカモミールの花を摘んだ。
「ここにお母さまがカモミールを植えたのなら、いろんなハーブも植えたかったんじゃないかしら」
「そういえば、向こう側にラベンダーもあります」
「やっぱり! まだ探せば、いろんなハーブが隠れているかもしれないわね」
「探しますか」
「そのうちゆっくりと。実はここはハーブ園だったんですね」
「あの旦那様、よろしいでしょうか」
ジョバンニが持ってきた本を見せながら、話していいか問いかけてきた。
「何ですか? ジョバンニ、今は邪魔をしないでください」
「申し訳ございません」
なんだか、ジョバンニがかわいそう。
話しぐらい聞いてあげればいいのに。
「ジョバンニ、わたしが話を聞くわ。どうしたの」
「何でもございません」
主人に忠実に従い、わたしには従わないジョバンニ。
さすが、よくできた執事だわ。
それなら、カンパニーレ侯爵から言わせればいいのね。
「カンパニーレ侯爵、カモミールの花言葉って何かしら。知りませんか?」
「はて……、わたしも知りませんね」
「ここに本があれば調べられるのにね。本当に残念だわ」
「ジョバンニ、確か本を持って来ていましたね。カモミールの花言葉をすぐに調べてください」
「旦那様、喜んで」
成功、成功。
「カモミールの花言葉は、(逆境に耐える)(逆境で生まれる力)(清楚)
(あなたを癒す)(仲直り)、でございます」
ジョバンニは一つ一つの単語をわかりやすく丁寧に読み上げた。
まるで、わたしたちに言い聞かすように。
「だそうです。……なんだかあなたみたいですね」
カンパニーレ侯爵は笑って言った。
「えー? どこがでしょう侯爵。わたしは逆境に弱く、それに清楚じゃないわ」
「どこって、全部です。まるであなたじゃないですか」
「えええええ!! そうなんですか?
常日頃、小さな花でありたいと思ってはいましたが、侯爵にそう言われると…、」
「言われると?…」
「嬉しいです!!」
「そうですか。あなたにそう言われるとわたしも…」
「わたしも…、何でしょう?」
「嬉しいです」
やった! カンパニーレ侯爵のはにかんだ笑顔がとても好き!
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