第8話 脱走の疑い
さっきからとても気まずい。
食堂のテーブルに、カンパニーレ侯爵と二人、向かい合って座っている。
カンパニーレ侯爵は、不思議な生き物でも見るような目つきでわたしを眺めていた。
不思議な生き物に見えるのは当然だった。
なぜなら、わたしはドレスではなく農作業用の服を着ていたのだから。
朝食は果物に黒パン、ワインという質素なものだったが、わたしはそれに不満を持っていない。
なにもしゃべらずに、黙々と食事するのも、黙食に慣れていたわたしにとっては普段通りで、不満ではない。
粗食や黙食に不満はないけど、怖いのはカンパニーレ侯爵の冷たい視線だ。
食事を済ませ、カンパニーレ侯爵はナプキンで口を拭うと、やっと話しかけてきた。
「その服装はどうしたのですか」
「はい、早朝に目が覚めたので、お屋敷の外を散策しようとしまして、トマトを見つけました。
それで収穫しようとしました」
「使用人から聞きましたが、朝早く庭にいて、地面を這いつくばっていたと」
「はい、トマトの実を見つけようと、腹ばいになって下の方を探しておりました」
「それは、本当ですか? ここから脱走しようとしたのではありませんか?」
「脱走? そう見えたんですかね」
「ゆうべも、部屋から笑い声が聞こえてきたと言って、使用人たちは怯えています。
そのような奇行はいかがなものかと思います」
「怯えるほど気持ち悪かったのでしょうか。それは、配慮が足りませんでした。
恐がらせてしまい申し訳ございません」
「その農婦のような服は持ってきたのですか」
「はい、修道院では農作業も神に捧げる労働でしたから、寄宿舎を出るときの私物として持ってきました。
いけなかったでしょうか……」
「いや、そのような女性は今までいなかったので驚いているだけです」
「よかった。嫌われたのかと思いました」
一瞬、ホッとして笑顔になった。
「嫌ってはいませんが、褒めてもいません。
今までの生活とここは違います。早く慣れてください」
「はい、すみません。浮かれていました」
「早くここでやるべき仕事を身に着けてください。
そして、食事の前にはこの場にふさわしい服装に着替えてください」
怒られた。
確かに、ここに早く慣れて、ここの仕事を身につけなければ……、
って、ここの仕事って何だ?
「あの、質問してもよろしいでしょうか」
「何ですか」
恐っ! 聞いてみただけなのにすでに怒っているのはどうして?
「あの、カンパニーレ侯爵はいつもお忙しそうにしてらっしゃいますが、
ここで何をされているんですか?」
ド直球である。
「質問の意図するところがわかりません」
え? ド直球すぎて伝わらないと。
「んー、どんなお仕事をされているのかと」
「仕事のことなら、仕事と言ってください。
しかし、あなたに今それを言ったところで、仕事内容が理解できるんですか? 仕事が早く片付くんですか?」
そんなにピリピリしなくてもいいじゃない。
「わたしは、まだ戦力外ですものね」
「まさか、いつかはスタートメンバーになれるとでも思っているなら、それは大きな間違いです。
将来、夫人になる者には夫人らしい仕事があるでしょう。
あなたには何も期待していません」
そう言って、カンパニーレ侯爵は席を立ち食堂を出て行った。
ゆうべ、わたしの部屋で言ったセリフと同じことを言って。
*
部屋に戻って、マリアに着替えを手伝ってもらいながら、思わず愚痴がでてしまう。
「ちょっと聞いてよ、マリア。なんで、なんで畑に這いつくばっているところを見て、
脱走していると思うのよ」
「過去に何人もの婚約者がそうやって脱走したんじゃないでしょうか」
「さもありなん」
「それにしても……カンパニーレ侯爵は冷酷ですよね」
「『あなたには何も期待していません』って言われたの、二回目よ」
「よほど今までの婚約者がハズレだったんじゃないですか?」
「っていうか、カンパニーレ侯爵っていつも、ああなのかしら」
「まあ、まあ、見た目があれですもの、普段から女性がほっとかなかったのでしょうね」
「でも、何人も脱走して行ったなんて、なんだかミステリー小説みたいじゃない? マリア」
わたしの発言に感化されて、マリアはミステリー小説のように想像の翼を広げる。
「そして、死体が見つかった。
事件解決のために、探偵シスター・モニカは謎のカンパニーレ邸に捜査に入るのだった」
わたしもミステリー小説の登場人物のように、セリフを作ってみた。
「証言A『わたし侯爵がシャツに返り血が付いているのを見てしまいました』」
マリアはさらに盛り上げて来る。
「『それは、重要な目撃証言ですわ』。そして、シスター・モニカは、侯爵に詰め寄った。
『連続婚約者失踪事件の犯人は、あなたですね!』」
「キャー、怖―い! 連続婚約者失踪事件って、それっぽーい!」
「でも、これ事実だったら……、お嬢様、どうします?」
ハッとした。
想像しすぎて、とんでもない事実にたどり着いてしまったかもしれない。
だとすると、失踪したのではなく、婚約者たちは……
「消された」
キャーーーーーー!
恐ろしくなって二人で抱き合って悲鳴をあげた。
コン、コン、
誰かがドアをノックする。
再び、
キャーーーーーー!
「モニカお嬢様、どうかされましたか? わたくしです。ジョバンニです。お部屋に入りますよ」
わたしたちの悲鳴を聞いて、心配して駆けつけたジョバンニがドアを開けて入って来た。
「な、に、しているですか?」
あ、着替えの途中のペチコート姿を見られた。
「失礼いたしました!」
ジョバンニは真っ赤になって、あわてて部屋を出てドアを閉めた。
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