第22話 あいつは道連れだ!

 国道へ出ても状況は変わらなかった。

田圃や畑の中の暗い一本道を時折対向車がライトを照らして擦れ違って行ったが、何の助けにもならなかった。十分ほど走ったところで、先頭車の合図で、達夫のオートバイはまた一本の脇道へ追いやられた。舗装された細い登り道で、坂を一気に駆け上ると、急に舗装が切れ、土がむき出しになった広い真っ暗な台地が拡がっていた。三台のオートバイは達夫たちのオートバイをその台地の奥まで引っ張って行ってエンジンを切らせ、自分たちもエンジンを止めた。

 其処は海に面した高台に造成中の宅地らしかった。エンジンの音が止まり急に静かになった中で、下の方から海の波音が聞こえ、片隅にブルドーザーの黒い影が見えた。達夫たちが車を停めたのは、造成地が殆ど終る先端で、正面は崖が海に向かって落ち込み、左手は台地よりも一段と高い未造成の雑木林で暗く覆われた丘になっていた。

「おい、降りろ!」

先頭のオートバイから降りた背の高い男が近付いて来て言った。ヘルメットと防風眼鏡は着けた侭だった。他の二台のオートバイは少し離れた場所で、達夫たちが逃げ出せば、直ぐに逃げ道を塞げるように待ち構えていた。

「さっさと降りろ!」

男は達夫の前に立ちはだかるようにして言った。男の身体は肉体労働に従事しているか、運動選手なのか、兎に角、ごつい大きな肉体だった。

達夫が降りた後、雅美が座席から降りようとして少しもたついた。

「早くしろ!」

男は低い声でそう言うと皮の手袋を填めたままの手で、雅子の肩を引っ張った。

「何するのよ!」

雅美が右手で男の手を払い除けた。彼女の手の爪が、勢いで、男の首の辺りを引っ掻いた。男は素早く手袋を脱ぐと激しく雅美の両頬を叩いた。掌が頬を叩く鋭い音が夜気に走って雅美はよろめいた。

「おとなしくしろ。騒げば痛い目を見るだけだぞ」

男はそう言って達夫の方を向いた。

「さっきから、随分と調子良くやっていたな。良い気になるな!」

言葉と一緒に男の拳が達夫の頬を打ち、眼の前が一瞬赤く燃えて、達夫はよろけて膝を着いた。口の中に生暖かい血が流れ、その匂いが口中一杯に拡がった。

「女をちょっと借りるだけだ、文句を言うなよ。お前はおとなしく其処で見て居ろ!」

男はのろのろと立ち上がる達夫を見て勝ち誇ったように言った。

「おとなしくして居りゃ何もしねえが、変な真似を仕上がったら其処の崖からオートバイ諸共海の中へ放り込むからな」

「・・・・・」

「おい、こっちに来るんだ!」

男は雅美の方に向きながら素手で彼女の腕を掴んで引っ張った。雅美は二、三歩よろめくようにして前へ進んだ。彼女が歯を食い縛って必死に堪えているのが見えた。

「さっさと、あっちへ行くんだ!」

男は造成地と丘の間に僅かに残っている草地を指差した。其処には夏草が膝の高さほどに茂っていた。

「早く行け!」

男は雅美の背中を乱暴に突いて押した。雅美はよろめき乍らのろのろと歩いた。男はヘルメットを外して放り投げ、足を外股に踏みしめながら彼女を後ろから追い立てた。

 達夫と男との距離は未だ五米も離れていなかった。達夫は雅美が今、自分から無限の彼方へ遠ざかって行くような気がした。助けてとも叫ばず、歯を食い縛ったままのろのろと自分から離れて行く彼女の背中を見て達夫は瞬時に思った。

あいつは唯の行きずりではない!互いに名前も知り合い、飯も一緒に喰い、此処まで二年もの間、二人で駆けて来た道連れだ・・・

道連れと言う言葉には、二人の人間同士の存在に関わる全ての意味が込められているように達夫には思えた。その考えは一瞬のうちに達夫の脳裏を駆け巡った。達夫の視線は今、永遠に向かって離れて行こうとする雅美の背に固定した。

 彼は暗闇の中で静かに、然し、素早く、すぐ前にある自分のオートバイの工具箱を開け、一番太い鉄のスパナを取り出した。次の瞬間、達夫は音を殺して闇の中を数歩走り、気配で振り向きかけた男のこめかみにそのスパナを力一杯振り下ろした。手が肘辺りまで痺れるほどの手応えが在った。

「逃げろ!マミ!」

達夫は雅美に叫びながら、もう一度、スパナを握り直して、棒立ちになった相手の鼻柱に向かって力一杯振り下ろした。

雅美は一瞬後ろを振り返ったが、次の瞬間、眼の前の丘へ向かって弾かれたように駆け出し、灌木と草の茂った急な斜面を茂みの中へ身を隠すようにして登り始めた。

男は達夫の足元に蹲って倒れ、後ろで見張って居た二人の男がオートバイを下りて駆け寄って来た。一人は達夫を目指し、もう一人は雅美を追おうとした。

達夫は自分の方へ来る男には構わず、雅美を追う男を追って走った。そして、追い着くや否や、鉄のスパナで男の後頭部を殴打した。わぁ~っと頭に手をやって膝間付いた男の肩に更に強烈な一撃を加えて叩きのめした。それから、自分に追い縋った男の顔に振り向きざまにスパナを薙ぐように振り回した。スパナは鈍い音を立てて相手の右のこめかみに当たり、相手が耳の辺りを抑えて怯んだ隙に今度は正面から顔を打ちつけた。

雅美はもう少しで斜面を登り切って上の暗い雑木林の中へ入ろうとしていた。彼女は下を振り向き小さく達夫の名を呼んだ。

「タツっ!」

「下りて来い!今なら逃げられる!」

 達夫は瞬時に考えた。

三人は今、倒れている。直ぐには起きられまい。もし、一人くらい追って来ても、一台だけならどうにでもなる。国道にまで出れば、ホーンを鳴らしてでもライトを点滅してでも通り掛かる自動車に助けを求めることが出来る。逃げるのは今だ・・・

 達夫も雅美ももう遠方まで行く気は失せていた。二人は東京へ帰るべくオートバイに跨った。

 雅美は今、達夫との出会いに運命の糸みたいなものを感じた。

この人は私を二度にも亘って助けてくれた。駅前書店での万引きの折には、普通なら掴まえて店員に引き渡すか警察に突き出すところを、逃がしてくれただけでなく逃亡を手伝って助けてくれた。そして今、一つ間違えば袋叩きに逢って半殺しにされるか、或は、ひょっとして生命を落とすかも知れないのに、一人で死に物狂いに闘って私が輪姦されるのを防いでくれた・・・

 達夫も思っていた。

俺は一時、こいつを放り出そうとした。だが、俺は、別の声が叫びを挙げてその声に動かされた。死ぬほど怖かったが動いた後はもう何も考えなかった。今夜こいつと、こういう出来事に出くわして、こんな風にやり過ごしたことを俺は一生忘れることは無いだろう・・・

オートバイは一路、闇の中を東京の達夫の部屋へと疾走した。

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