第12話 「破瓜をしたら、自信が湧いて来たの」
愈々、バカンスも終わり、今夜限りでホテルを引き払って明日帰ると言う日の朝、麻衣は、睡眠不足の所為か、ベッドでうつらうつらしていたが、ドアを叩く小さなノックの音ではっきりと目覚めた。
ドアを開けると忍が立っていた。
「お疲れみたいね」
忍はゆったりしたガウンのようなワンピースを着ていた。彼女が何処と無くきらきらしているのに麻衣は気づいた。これまで翳のように彼女にこびり付いていた暗いものが消えていた。口の利き方も生き生きとしている。
「ねえ、何か良いことでもあったの?」
「うん。破瓜をしたら自信のようなものが心にも躰にも湧いて来たの」
「えっ?あなた、バージンだったの?」
「そうよ。これまでずう~っと未経験だったの」
「へーえ、そうだったの・・・知らなかったなぁ」
「あたし、二十二歳にもなって未だ処女だってことが惨めで恥ずかしかったし重荷だったの。だから、いつもあなたに引け目があったし、羨ましくも妬ましくもあった」
「それがどうして?・・・」
「あなたが筆下ろしをしてあげた慎一君があたしの破瓜をしてくれたの」
「えっ?あなたも彼と寝たの?」
「拙くてぎこちなくて、おどおどした交わりだったけど、鮮烈で直向きで一途で懸命な行為だったわ。彼の迸る若さと情熱とエネルギーがあたしの躰と心を深奥から突き動かし、揺さ振り上げたの。私は自我を忘れて夢の中を跳んでいた・・・」
忍は思い出したように上気した貌を麻衣に向けた。
「あたし、何と言って良いか・・・」
麻衣は言いようの無い苦衷の顔をした。
自分が筆下ろしをしてやった若い男と寝て破瓜をした忍に対して、麻衣はえぐい女の厭らしさと言いようの無い嫌悪を覚えた。
忍が続けて言った。
「あの子、すっかり元気になったわ。東大受験に失敗したくらいでくよくよしたのは馬鹿みたいだって言っているし・・・」
「当り前じゃないの・・・そんなことが東京からこの橋立まで来なきゃ解らないなんて、どうかしているのよ」
「子供の頃から秀才で、エリートコースをすいすい進んで来たから、勉強が出来れば周囲からちやほやされて大事にされるし、それも重荷だったのよね」
麻衣は馬鹿々々しくなって、ついつい、きつい言い方になった。
「そんなことは精々、幼稚園の頃に言うものよ。一体、幾つになったって言うの?もう二十歳を目前にしているのよ、彼は」
「良いじゃないの。世の中、受験ばかりじゃ無いって気が付いたんだから・・・」
麻衣は舌打ちをするような仕草をした。忍は麻衣が何か言い始める前に胸を反らせて言った。
「あたし、男を知らないなんて自分が頼りなくて物凄く嫌だったし、あなたにも負い目とコンプレックスが在ったんだけど、でも、もう一人前なのよ」
「二十歳前の男の子とたった一度くらいで、何を言っているのよ」
「一度じゃ無いわ。流石にトリプルの日は無かったけど、ダブルは一度や二度じゃ無いの。歳下の子って、歳上の女が良いみたいね」
「知らないわ、馬鹿々々しい・・・」
麻衣は、もう何も言うことは無い、と言う表情で忍の話を聴いていた。
「あの子は女を知って人生の広さを悟ったし、あたしは男に抱かれて自分に自信を持った・・・」
「自信?・・・」
「うん、あたしも女になったんだって覚ったの」
翌日の朝、麻衣が帰り支度を整えてフロントへ降りて行くと既に忍がロビーで待って居た。驚いたことに池田慎一も旅支度で忍の隣に腰掛けていた。
忍がにこやかに言った。
「彼もあたし達と一緒に今から帰るけど、京都駅でサヨナラよ。後腐れは無いことになっているの」
「・・・・・」
「それでお終いよ。だから、彼にとってもあたしにとっても、今日はとても良い旅立ちなのよ」
ホテルの玄関口で突然立ち止まって、麻衣が言った。
「あたし、帰るの、止すわ。あなたたち二人で帰ってよ」
えっ?という表情で振り返った忍が訝し気に訊いた。
「どうしたのよ?・・・急に」
麻衣はそれには答えず、にっこり笑って片手を上げた。
慎一に促された忍は向き直ってドアの方へ歩いて行った。ロビーを出て行く二人の後姿は颯爽としていた。
タクシーに荷物を積み込むのは慎一が担ったし、運転手に行き先を告げたのは忍だった。朝の光の中に並んでタクシーに乗った二人はどう見ても姉と弟であった。
麻衣はさばさばした表情で二人を見送った。
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