第49話 撤退と追撃
同刻 同戦場から北へ数km 魔王軍総大将バルダッシュ
「…酷クヤラレテシマッタ。アドラブル様ニ合ワセル顔ガ無イナ。」
側近や直前まで共に戦っていた兵を引き連れ、途中うろうろしている部隊を吸収しながら北へ…魔王国本国の方角へ撤退していた。
最終局面で一兵でも多く逃がすべく最後尾で戦っていたが、勢いが違い過ぎて長くはもたなかった。それでも千以上の兵を逃がせたと思うが、それでもまだ二万程度の兵が戦場に残っていた。これ以上は粘っても、逃がせる兵よりもこの場で戦う兵が犠牲になる数の方が多くなるとみて撤退した。その判断自体は間違っていないと思うが、早い話が残りの兵士に関しては見捨てたという訳だ。
今、追撃があまり無いのは、その見捨てた兵達が帝国軍に蹂躙されている時間だからだ。その犠牲の上に撤退が出来ているのだ。輜重兵を除く戦闘に参加した総兵数5万以上のうち魔王国に帰れるのは2万程度だろうか。半分以上がやられてしまった。
ゴブリン兵は補充が容易いとはいえど、3万も一気に失うのは流石に痛手のはずだ。
―――フーッ
バルダッシュは痺れる右手をぶんぶんと軽く振りながら溜め息をついた。
早く死んでお詫びしたいくらいだが、少なくともこの敗残兵を魔王国本国まで連れて帰らねばならん。その責任まで放擲する訳にはいかんのだ。
痺れている右手は、最後どこからか急に飛んできた白い魔法を打ち払ったら、それ自体は大したことはなかったのだが手が痺れてしまった。もう一時間以上経っているのだが、いまだに痺れが取れない。
あたりの敗残兵を吸収しながら撤退する…付き従う兵達の数はおよそ三千くらいまで増えただろうか。最初の戦場――魔王軍と帝国軍が最初に対峙していた場所のあたりまで戻ってきた。
魔王軍の後ろ半分…まぁ、実際には半分もいないだろうが。その影すら見えないので、そちらは軍監殿がいたから軍をまとめて早々に撤退してくれたのかもしれない。挟撃された時に援護してくれていればという気持ちが無いわけではないが、これ以上の犠牲を増やす前に退いてくれたのはありがたいと思うべきだろう。
そんな時、右手側――東の方から兵が出現したとの報告が来る。
方角的に…恐らくこの合戦前まで領都を包囲していたラダウェル伯爵の軍か。このタイミングでここに現れるとは、戦場の結果次第では勝ち馬に乗ろうと予め近くに兵を伏せていたのだろう、汚いヤツめ。この戦場で戦っていた時は、伯爵領から側面を攻撃される可能性も考えてそれに対する兵の備えもしていたが、もうその兵も退却済でいないようだ。
ラダウェル伯爵の兵なら一千強…多くとも二千には届かないはずだ。こちらの方が数は多いが、こちらの士気は最低レベルでとても戦えるような状況ではない。ここは打ち捨てられたとはいえ今朝まで魔王軍の陣地として機能していたので、ここで物資を補給して本国へ撤退しようと思っていたのだが、その時間もあまり無いか。
「急ゲ、最低限ノ物資ダケ持ッテ撤退スルゾ。」
まだまだこれから先も長い撤退行になるのはわかってはいるはずだったが、魔王軍の陣地に着き一旦緊張の糸が切れた兵達は動きが鈍かった。出発まで思ったより時間がかかってしまった。北に逃げる我らと東から迫り来る伯爵軍。このままでは横から食いつかれる形で追いつかれてしまうだろう。
「マズイ…ナ。」
私の側近たちはそれなりに戦闘力もあるが、兵達を脱出させる戦いで多少無理をさせたので疲労は隠せない。それでも普通には戦えるだろうが、出色の出来という訳にはいかなそうだ。そして何よりまだ私の右手の痺れが取れない。これでは満足に戦えない。
―――報告!南、後方からも土煙が見えます。
南か。さっきまで戦って伏兵に遭った方角なので帝国軍本体からの追撃部隊という事になるな。そちらはまだ距離がありそうだからしばらくは追いつかれないだろうが…。伯爵軍は寡兵ゆえに被害が大きくなるようなら、諦めて退いてくれるかもしれないとの淡い期待があったが、南からくる帝国軍本体からの追撃軍が伯爵軍の援軍のような立ち位置になるから、多少の被害を受けても伯爵軍は退いてくれなくなってしまったかもしれないな。
「グヌヌ…。コノ兵達ダケデモ本国ニ帰シタイガ…。」
数十分後、魔王軍残存部隊と伯爵軍の戦いの幕が上がった。
それが戦いと言えれば…だが。伯爵軍は帝国軍本体と比べれば練度は落ちるが、疲労が全くないといっていい状態だ。バルダッシュは少しでも被害を抑えるべく最後尾で戦った。普段であれば、利き手である右手で武器(今は槍)を扱えたのだが、まだ痺れが取れないため慣れない左手をメインに右手は添えるだけといった形で戦った。それでも流石の強さを見せたが、味方が劣勢なこの戦場では十分な働きではなかった。
魔王軍は全体的に疲労は大きく士気が低いという最悪な状況のため、味方の兵士は一方的にやられていった。それを少しでも防ぐべくバルダッシュは最後尾で奮闘していたが、味方はそれに応えられるだけの余力が無かった。そんなところで更に…
―――後方の砂煙が大きくなって…あっ、騎兵らしき部隊が先行してこちらに向かってきています!
それを聞くや否や一瞬にして心が冷えた。これ以上ない最悪な報告だ。
まず第一に主力であるゴブリンは小柄なため、蹴散らされ踏み潰されかねない騎兵との相性が悪かった。そして我が軍は撤退中であり、機動力のある騎兵にその頭を押さえられる――進行方向に先回りされる恐れがあった。騎兵の数は少なそう――数十騎程度だが、普段であれば多少の不利はあれど数十程度であれば普通に数で抑え込めたが、この士気では難しそうに見える。しかも廻り込まれる可能性が見えてしまった魔王軍の士気は更に落ちた。
騎兵がせめてこの最後尾を攻撃してくれれば、前だけでも逃げられるのだが…逃げれる希望があれば皆の足も動く。
「コッチダ…コッチニ来イ。」
が、無情にも騎兵はこちらをちらちらと見つつも馬蹄を音高く響かせながら横を通り過ぎていく。進行方向の頭を押さえに来たようだ、騎兵隊の指揮官は愚かではなかったか。まずい…非常にまずいが、正直どうしようもない。ここもかろうじて支えているような状況で、前の騎兵を排除するためにここを放置できないだろう。いや、無理やりにでも行くべきだろうか。
―――グッ
そんな時だった。
元々劣勢で多対一を利き腕が使えない状態で捌いていたのだが、余計な事を考えていたせいか、受けが甘くなり右腕に傷を負ってしまった。元々右腕は痺れていて使えなかったとはいえ、全く使えていなかった訳ではなかったので、いよいよ苦しくなってしまった。そして、手傷により動きも鈍くなる。それを見た人族の兵士達は益々士気が上がり、大賞首をとらんと意気高く殺到してきた。側近達は私の危機を察したのか身を挺して守ろうとしている。しかし、彼らにも元々そこまで余裕があった訳ではない。そのような事をすれば、側近達の命が代償になるのは明らかで、側近達が次々と倒れていく。彼らは『お逃げください』と言ってくれるが、どこに逃げよというのか。
「…ココマデカ。」
バルダッシュは最早どうしようもない事が…手の打ちようがない事がわかってしまった。
―――アドラブル様、数万ノ兵ノ命ヲムザムザト散ラシ、ソノ上マタ、ココニ数千ノ兵ノ命ヲ散ラス事ヲオ詫ビ申シ上ゲマス。コノ上ハ…
バルダッシュは小さく独り言を零すと、後はもう一人でも多くの帝国兵を道連れにせんと、後先考えずに残りの力を全て槍に込めて振るった。
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