第48話 文化祭二日目⑤
*
『さぁー! 二日間に渡る文化祭のトリを飾るミスターコンテストの時間がやってまいりました! 今年も我が校を代表するイケイケ男子たちがエントリーしてくれています! どうか最後までお楽しみくださいっ!!』
司会を務める男子生徒の声がスピーカーを通して体育館中に響き渡る。
予め準備していたセリフなのだろうけれど、場を盛り上げるためとはいえ随分とハードルをあげてくれるなぁ。
薄暗い舞台袖で、俺は何度目かもわからない溜め息を零す。
分厚いカーテンの隙間から客席を覗き込んでみると、奥の方までぎっしりと人で埋まっていた。煌々とスポットライトに照らされているステージ上とは異なり客席の照明はオフになっていたが、それでも客入りの多さは見て取れた。生徒だけでなく親御さんと思われる人々も入り混じっており、ミスコンに対する注目の高さが伺える。この時間帯は他のイベントもなく、また終盤ということで客足も減っていることから、出し物が暇になった生徒たちがこぞって見に来ているのだろう。
薄暗さもあって流石に月子の顔を見つけることは出来なかったが、それでもこの会場のどこかにいるのは間違いない。「合図を送るからこっちに目線ちょうだいねっ!」なんてことを言っていたが、とても叶えられそうになかった。
『それでは、候補者の皆さんに登場してもらいましょうっ! まずはエントリーNo.1、三年生から唯一の参加になる――』
司会者の紹介に応じて、一人また一人と舞台上に上がっていく。皆一様に、楽しそうに笑顔を振りまいているのが印象的だった。自分に自信があるからこそ、その足取りには余裕が生まれるのだろう。
スポットライトに照らされた彼らの顔は、薄暗い舞台袖からでは眩しくてとても直視できそうにない。
そして気が付けば、俺は舞台袖に一人取り残されていた。
……何で俺の登壇がラストなんですかね。
『――さぁ、最後の挑戦者の紹介です! 昨年度、圧倒的な得票率でミスターの名を戴冠した一条くん――が残念ながら病欠となってしまったため、彼の代わりが務まるのは俺しかいない! と漢気溢れる気概を見せ、代役としてエントリーしてくれた二年生! 代打出場からのシンデレラストーリーを目指します、天ヶ瀬陽太郎くんです!』
俺しかいないなんてことを言った覚えは一つもないが、司会者の心中を思えば、多少脚色を加えた語りになるのも無理からぬことだった。たぶん、俺について話せる情報なんて一切なかっただろうし。代打出場であることをちゃんと前置きしてくれただけでもありがたい。前三人と比べれば華の無さは一目瞭然だが、その前置きがあるだけで観客も見守りモードになってくれるのではないかと淡い期待を寄せる。
俺は重たい脚をなんとか引き摺り、舞台の上に向かう。一歩一歩がまるで泥の中を歩いているかのように重く、それでいて大地を踏みしめているという実感もない。良く言えば夢見心地、悪く言えば悪夢見心地といった感じで、グルグルと回る視界を必死に手繰り寄せながら、先に待っていた他の候補者たちと肩を並べた。
大丈夫だろうか?
髪型とメイクと衣装のおかげで多少は見られる格好になっていると思うけれど、笑われてはいないだろうか?
――そんなことばかりを考えてしまう。
実際には客席からステージまでそこそこ距離もあるので、なんとなくの雰囲気さえ整っていれば問題ないとは思うのだけれど――それでも。
降りしきる小雨のようなまばらな拍手の音が体育館内に木霊し、緊張と羞恥で火照った脳を冷ましていく。
……いや冷ましていくというか、これただ血の気が引いているだけじゃね?
先ほどまで破裂しそうなほど脈打っていた胸の鼓動が、今は不自然なくらいに小さくなっている。代わりにちょっとでも気を抜けば倒れてしまいそうな危うさを自分自身に感じてしまう。客席が暗く、観客の顔がほとんど見えないのは数少ない救いだった。これなら観客の顔をジャガイモに見立てて心を落ち着ける必要もなさそうだ。
『それでは全員に登壇いただいたところで、最初に一人ずつ自己紹介と意気込みをお願いします! どーぞっ!』
『はい! 三年の高橋です! 去年の忘れ物を取りに来ました! 一条くんが来られなかったのは残念ですが、彼の分までこの舞台を楽しみたいと思いますので応援よろしくお願いします!』
高橋先輩が言い切ると同時に大きな拍手、そして「がんばれ高橋ー!」といった、彼の友だちと思しき生徒たちの声が体育館中に響いていく。うーん、まさしく青春って感じだ。
そんな感じで、司会者からマイクを手渡された参加者が次々に意気込みを述べていく。
さて、俺は何を言ったものか。あまり卑屈なことを言っても白けてしまうし、かと言って調子こいた発言をしてしまえば観客が敵に回ってしまうこともあるので、なかなか塩梅が難しいところだ。
『では最後、天ヶ瀬くん、お願いします!』
『えっと……はい。あの、二年生の天ヶ瀬陽太郎です。天の瀬に立つ太陽の子と書いて、あまがせようたろうと読みます。今日は一条くんの代役として参加させてもらいました。苗字の語源は、高いところだったり、海辺のことだったり、曰くはいくつかあるんですけど、えぇと、とにかく名前だけでも憶えてもらえるように頑張ります。よろしくお願いします』
然程明るくもなければ暗くもない、面白くはないが全く在り来たりというわけでもない、そんな自己紹介と芸人が枕詞で語るような意気込みを述べた。とてもスムーズに話せたとは言えないし、決して成功とも言えないけれど、場を白けさせないという意味ではこんなところだろう。俺のキャパシティ的にはこれが精一杯だ。別に名前を覚えてもらいたいという思いがあるわけでもないし、実際覚えてもらえるとも思っていない。
再びパラパラと響く拍手。先ほどまでと違うのは「頑張れ天ヶ瀬―!」という声援が上がらないこと――。
「陽ちゃあぁぁぁぁんっ! 頑張ってえぇぇぇぇえっ!」
誰よりも大きな叫び声の出処に体育館中の視線が集まる。
スポットライトの届く前席以外は、相変わらず客席の顔ぶれまでは見えない。けれどそれが誰の発した声なのかは見えなくてもわかる。人見知りのくせに、こういうところで変な度胸発揮するから憎めないんだ、あいつは。
――ありがとう、月子。
ちょっとばかし――というか顔から火が噴きそうなくらい恥ずかしいけれど、でも同じくらい元気が出た気がするよ。
お兄ちゃん、頑張ってみます。
『さぁ、観客の皆さんから素敵な声援が届いたところで、ルールの説明に移らさせていただきます!」
司会の生徒は意気揚々と説明を始めた。
事前に知らされていた通り、コンテストは以下の三種目で争われる。
一つ目は 身体能力を競う『腕立て伏せ対決』。定番中の定番という感じだが、まさに体力と男らしさを象徴するシンプルな勝負だ。俺にとっては最もノーチャンスと言っていいだろう。
二つ目は 知識と思考力を試す『早押しクイズ対決』。頭脳明晰な一面を見せつけるチャンスでもある。辛うじて太刀打ちできるとすればここだろう。
そして三つ目、 男としての魅力を最大限にアピールする『告白シチュエーション対決』。ここで各参加者は自分なりの魅力を存分に発揮し、観客の心を掴む必要がある。
各種目の後、審査は事前に選ばれた女子生徒十名による投票で行われる。投票自体は三種目を総合的に判断して行われるため、たとえクイズに全問正解しようと、他で加点されなければ投票は勝ち得ない。さらに、そこに会場の盛り上がり、すなわち拍手の大きさが加点として反映される仕組みだ。ただし、基本的には女子生徒たちの票が勝敗を左右すると言っていいだろう。
『それでは! いよいよコンテスト、第一種目の開始と参りましょうっ!』
司会の生徒が高らかに宣言した。
俺に力を貸してくれた会長と、大きなエールを送ってくれた月子のためにも、やれるだけやってみますか。
*
と、まぁ意気込んだまでは良かったのだけれど、どこまで行ってもない袖は振れないわけでして、第一種目の腕立て伏せ対決は当然のようにボロ負けする。一分間の回数を競ったのだが、他の参加者が三十から四十回を優に超えてきたのに対し、俺は十五回が限界であった。
……いや十五回て。
そこらのオジサンとほとんど変わらないであろう成績にほんの少し凹む。
次の第二種目はそこそこ戦うことができた。早押しクイズ形式で出題された十問のうち、数学の問題や文学に関する問題など計四問正答することができた。我ながらアカデミックな一面を見せることができたとは思う。
……まぁ、クイズに素早く答えられることがミスターに繋がるとはあまり思わないけれど。
と、まぁそんな具合で大きな事故もなく、なんとかかんとか第三種目にまでこぎつけたのである。
ここまでの二種目は、そうは言っても観客の目が気になるようなものではなかった。言ってしまえば、ただ腕立て伏せをして、ただクイズに答えただけだ。
しかし第三種目だけは様相が全く異なってくる。
自分の痴態を不特定多数に向けて発信するようなものだ。台本であったとしても愛の言葉を囁くこと自体がこっぱずかしいというのに、それを数十人、数百人に見られるというのだから、正直緊張でゲロを吐きそうだった。
『それでは皆さんお待ちかね、最後の種目に移りましょう! 第三種目は毎年恒例の告白シチュエーション対決でぇぇぇすっ!』
司会の言葉が響き渡ると、会場は瞬く間に熱気を帯び始めた。
先ほどまで頭上のどこかで小さく流れていたポップなミュージックから打って変わり、どこかで聞いたことがあるバラード系のロマンティックな音楽が体育館中に流れ始めると、観客席からは期待と冷やかしが入り混じったざわめきが広がる。
考えてみれば、ここまでの二種目――腕立て伏せや早押しクイズ――は、観客にとっては正直、ただの前座に過ぎないのだろう。まあ、それも無理はない。特に親しくもない同級生の筋力テストや頭脳勝負を見て手に汗握るほど盛り上がれる人はそうそういない。
けれど、この第三種目だけは違う。参加者のことをよく知らなくても、見ているだけで笑えるし、場合によってはキュンキュンできる、いわばエンタメ要素満載の種目だ。
個人的には、告白シチュエーション対決なんてものは、たとえ見ている側であっても共感性羞恥でその場に穴でも掘って隠れたくなるくらいなのだが、しかし世の中にはそういう瞬間を楽しむ人間も一定数いるのが現実である。安全圏から傍観者としてニヤニヤと見守り、参加者の照れた顔に盛り上がる、いわゆる出歯亀趣味の連中だ。そして今、この会場はそんな観客で埋め尽くされていると言っても過言ではない。まったくいい趣味してるぜ。
『栄えあるトップバッターは……天ヶ瀬くんですっ!』
何でこんな時だけ俺がトップバッターなんだよ。
いじめか?
『それではお相手を務める女の子にも登場していただきましょう! ステージの上へどうぞ!』
目で送った俺の無言の抗議をあっさり無視した司会の生徒は、矢印の代わりにマイクを舞台袖に向ける。
くそぅ。まぁこうなったら仕方ない。恥ずかしいのは最初も最後も変わらんだろう。
俺は杠葉に叩き込まれたシナリオとセリフを脳内で反芻しながら、装いの乱れを正すようにシャツの裾をグイと伸ばす。
そう言えば相手役の女子の格好は特に指定されていなかったが、杠葉はどうするのだろう。クラスTシャツか、制服か、はたまた服飾部が私服でも準備してくれているのか。
……うん、その中ならクラスTシャツのままがありがたいな。
制服や私服はガチ感が出て恥ずかしい。
そんな期待と緊張を胸に抱きながら、舞台袖に顔を向け杠葉の登場を待つ。
――が、そうした感情はわずか数秒後には吹き飛ぶことになる。
『……あっ』
司会の生徒が漏らした短い声。それはどう考えてもマイクに乗せるべきではない素の反応だった。体育館のスピーカーを通じて不自然に響き渡る。
だが、その声に対して気に留める人間など一人もいなかった。それどころか、俺も含めて誰一人として、そのことに気づくことすらなかった。
会場全体が息を飲んだかのように、ざわめきすら起こらない。
「――こんにちは、天ヶ瀬くん」
舞台袖から姿を現した神楽坂詩は、静かに笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます