第43話 文化祭初日⑩

「………………」


 俺の言葉を聞き遂げた杠葉はなぜかフリーズしていた。

 彼女の返事を待ちながらも、俺は高まる胸の鼓動を必死に抑え込む。


 言えた、とうとう言えたんだ――そう、心の中のリトル天ヶ瀬が叫び欣喜雀躍していた。


 俺にとって、それは一世一代の告白に等しいものであった。誰かに対して自分の気持ちを伝えるのがこんなに難しいものだとは。友だちですらこうなのだから、当たり前のように恋人を作ることのできる世間一般の人々は本当に強靭なメンタルを持っているんだなぁ。俺には恋人を作るのはまだまだ早そうだ。


 ともかく、きゃりーぱみゅぱみゅよりも言いづらい言葉を、多少言い淀みはしたものの、最後までしっかりと紡ぐことができたというその事実に、俺は幾許か達成感と、確かな成長を感じる。


「や、きゃりーぱみゅぱみゅが言いづらいのとはちょっと違くない?」

「当たり前みたいに心を読むんじゃない」


 とりあえず普段のテンションで突っ込んでみたらしい杠葉は、俺のクレームも気に留めず、俺からのを受け止め、脳内でなにやら処理作業を行っているようだった。


「……えーと、待って待って。あれれ、わたしの頭が悪いのかな。まったく意味が解らない」

「そんなことねぇよ。杠葉の頭は悪くないよ」

「うるさいよっ、その励ましは今は求めてないんだよっ!」


 杠葉は俺を一喝したのち、まるで突然の強風に煽られたかのようにふらつき、校舎の壁に手を突く。

 彼女の視線が俺を射抜くように再び上がり、不満と戸惑いが入り混じった眼差しがぶつかる。


「……さっぱりわからないよ。あんなもったいぶった前フリから出てきた言葉が友だちになってくださいってどういうことなの?」

「どういうことと聞かれても、言葉の通りとしか」

「………………はぁ」


 杠葉の作り出す沈黙は妙に長く、生暖かく湿った風が校舎の隙間を抜ける音だけが耳に響いた。彼女は頭を左右に振り、気が抜けたように脱力し、校舎の壁に背を預ける。


「……なんか緊張して損した。ハズレなしの福引で高級ポケットティッシュが当たったみたいな気分だよ」

「俺の告白はティッシュ扱いかよ」

「十分でしょ。ていうかを告白だなんて言わないで」


 杠葉はジトリとした目つきをこちらに向け唇を尖らせる。


「どう考えても、今っての告白する流れだったよね? 付き合ってるフリじゃなくて、正式に恋人になって欲しいって、絶対そう言われるって思ったもん。あぁ、わたしって本当に罪な女だなぁなんて、どう応えたものかなぁなんて心の中でシミュレーションしてたのに」

「……それは、なんというか、えぇと」

「自意識過剰って言いたいんでしょ! もうっ!」


 憤慨する杠葉は、肩を怒らせながら俺に背を向けて一歩、二歩と前に進み出ると、くるりとスカートの裾を揺らしながら振り返る。


「そもそもっ! わたしと天ヶ瀬くんはとっくに友だちでしょ? 二人きりで遊びに出かけておいて友だちですらないとか、そんなハナシ聞いたことないんですけどっ?」

「や、通過儀礼は必要というか、ほら、親しき中にも礼儀ありって言うだろ。こういうのはお互いの意思確認が重要だと思ったり思わなかったり……」

「はぁ? 意味わかんないし! なんなの、天ヶ瀬くんは鎌倉時代の人か何かなの? 名乗りを上げないと刀を抜けない系の人種なワケ!?」


 杠葉はあきれ顔で俺を睨みつけ、まるで信じられないものでも見るような目をして声を荒げた。

 俺が奥手であることは否定しないが、現代人が名乗りをあげないことに慣れ過ぎているというのもある意味問題だと思うけどな。


「あのさぁ、前に話を聞いた時から思っていたけれど、天ヶ瀬くんは友だちを契約か何かだと認識してない? その理論ならわたしだって友だちはいないよ。友だちになろうなんて口に出して言ったことなんて一度もないし、自然に仲良くなってきただけだもん。もしかして、今までもそうやっての人たちを自分から遠ざけて来たんじゃない? ちょっとめんどくさいよ、それ」


 容赦ない杠葉の言葉が胸に突き刺さる。

 そんなことはない――と否定したくても、なぜだかそれを口にすることは躊躇われた。

 いや、それすらも欺瞞なのだろう。

 結局、俺はこの期に及んで尚、自分自身を信用できていないだけなのだろう。


 杠葉はほんの少し目尻を下げ、真剣な面持ちで続ける。


「天ヶ瀬くんがこれまでどんな人生を歩んできたのか、わたしは知らない。天ヶ瀬くんの価値観がそうなったのにもきっとそれなりの理由があるんだろうね。でもね、一つ覚えておいてほしいのは、天ヶ瀬くんがわたしをどう思っていようと、君の価値観や生き方がどうであろうと、わたしは天ヶ瀬くんのことを『友だち』だと思っているってこと。今回、キミがわたしの味方でいてくれたように、わたしもずっとキミの味方であり続けるよ。困っているときは助けるし、キミがまた訳のわからないことを言い出したら、しっかり手を引っ張ってあげる。だって、それが本当の友だちだと、わたしは思っているから」


 杠葉の優しい言葉が、まるで柔らかな光のようにゆっくりと心に染み込んでくる。その言葉が一つ一つ胸の中の硬く凝り固まったものを溶かしていき、いつの間にか自分を覆っていた壁が崩れ落ちるような感覚を覚える。


 その感謝と温かい気持ちを、俺は自然と口にした。

 今度は、口にすることができた。


「――ありがとう」

「うん、いいよ」


 こうして、何年ぶりかも分からないような、本物の「友だち」が、俺の隣にできたのだった。


 ――俺的にはめでたしめでたし、といった感じなのだが、しかし当の杠葉はどこか釈然としない様子で、憮然とした表情を浮かべていた。


「――なんだか、勢いに任せて喋ったせいで、思ってたのと違うところに着地しちゃったなぁ」

「え、何がだ?」


 ポツリと耳に届けられた言葉にならない言葉を聞き返すが、杠葉はそれに返答することなく、「ま、いっか」とだけ短く口にして続ける。


「知ってる? 勝負というのはね――最後に勝った方が勝ちなんだよ。たとえ三連敗していても最後の一勝ができればそれでいいの。勝ち逃げが正義なの」

「はぁ? 突然何の話だよ。どういうルールの勝負を前提にしてるんだ」

「今はルールとかそんな話はしていないんだよ。重要なのは心の在り方なんだよ」

「前にも似たようなこと言ってなかったか、お前。というか先に三勝したほうが勝ちってルールの場合はどうするんだよ、それ」

「細かいなぁ。その場合はわたしの名に置いて最後の一試合を開催させて、その試合の勝者に四勝分付与するから大丈夫なの!」

「横暴なコミッショナーだなぁ」

「とにかく、わたしはこれからも戦っていくし、最後の最後に勝てるよう頑張るからさっ」


 杠葉は飛び切りの笑顔を浮かべ、力強く宣言する。

 その笑顔はまるで太陽のように眩しく、そして彼女の瞳は澄み切った空のように一切の迷いなく未来を見据えていた。


「これからもわたしの復讐に付き合ってね、彼氏さん!」



 初日が無事(?)終了し、家に帰り着いた俺は、ふと昨日の一条も杠葉と同じように、何かを言い淀んでいたなぁなんてことを思い出す。


 あの時、一条は何を言おうとしていたのだろう?

 今日、杠葉は何を言おうとしたのだろう?


 中途半端に聞いてしまうと、なんだかむずがゆくて気になってしまうのは人間の性なのだろう。


 ベッドに横たわりながら難問に思いを馳せるが、やはり俺には答えを見つけられなかった。

 いや、そもそもとして、今日の一条とのやり取りのどこかでその答えは出ていたのかもしれない。たとえば俺と杠葉の関係性を言及したかった――とか。それに、一条と杠葉、そして俺を取り巻くアレコレはひと段落ついたわけで、これ以上考えても益体はなさそうだ。


 そう結論づけ、俺は目を瞑る。

 しかしそんな想像に反し、前者については意外な形で答えに辿り着くことになる。


 ――物語は文化祭二日目に続く。

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