第27話 突撃、明日の昼ご飯!


「あっ、この牛コマ肉安い! ちょっと贅沢だけど、折角だから今日くらいは牛肉使ったレシピにしてみよっかな。玉ねぎとにんじんとあわせてプルコギとかどうかな? 肉じゃがもいいけど、あれって半分くらい汁物みたいなところあるし、あったかくてなんぼって感じだから今回は違うかなーって思うんだよね。ね、天ヶ瀬くんはどう思う?」


 買い物カートを押す俺の隣に寄り添うようにして歩く杠葉が、白くライトアップされた精肉コーナーの陳列棚を覗き込みながらそう問いかけてくる。

 肉を明るく照らすライトのせいか、それとも輝かんばかりの杠葉の笑顔のせいか、俺にはその光景が眩しすぎて、そちらをまともに見ることも出来ずにいた。俺はそんな感情を誤魔化すように、ただ曖昧に笑い、適当に首肯する。


 そんな俺の生返事を不満に思ったか、杠葉はカートの縁に手をかけ、軽く身を乗り出すようにしてこちらを覗き込んでくる。


「もぅ! ちゃんと聞いてる? そういう何でもいいみたいなスタンスが一番困るんだからねっ!」


 杠葉は諫めるような口調ではあったが、そこに怒気は感じなかった。言葉に表すならば「まったくもう」という感じだ。俺も月子に対して似たような経緯で全く同じ感情を抱いた経験があるから、その気持ちはよくわかる。うん、申し訳ない。

 平身低頭して許しを乞いながら、俺はこの魔訶不思議なシチュエーションについて思いを馳せる。


 どうして俺が杠葉と並び、カップルよろしく買い物に興じているかと言うと、話は数時間ほど前に遡る。



「あのさぁ、そろそろ一条本人にわたしの魅力をアピールしていきたいと思うのですよ!」


 杠葉ちとせが、がらんとした空き教室の中心で高らかに謳う。


 文化祭まであと二週間そこそこという金曜日の昼休みのことである。

 教室からこっそりと抜け出した俺たちはいつもの教室に集まっていた。前回は偶然が重なって一条たちと遭遇してしまったわけで、今後もこの教室を使い続けることの是非についてはひと悶着あったものの、この学校にこれ以上人気のない場所は存在せず、また同じ教室で落ち合う運びとなったのである。廊下の足音には気を配り、有事にはすぐに隠れられるよう荷物もまとめている。そこらへんは抜かりない。音楽の授業でもなければ普通はこんな僻地に能動的に人が上がってくることなんてないだろ、と思ってしまうのは正常性バイアスというやつなのだろうか。まぁ、いずれにせよ隠れてしまえばいいだけだ。


 ポツポツと天から降り注ぐ雫が風に煽られ小気味よく窓を打つ。懸念されていた梅雨入りであった。

 それを恵みの雨だと感じる人々も世の中には存在するのだろうが、少なくとも当校に在籍する大多数の生徒にとってはそうでないことは、午前中のクラスの喧騒からして明白であった。

 こんなことを言ってしまうと天邪鬼にとられてしまうかもしれないが、個人的に雨は好きだ。水滴が草葉や地面を打つ音を聞いていると心が落ち着く感じがする。以前、この話を月子にしたところ「それ、陽ちゃんは雨で大事な用事が潰れた経験がないからそう思うだけじゃないの」と手厳しいツッコミを受けたため、それ以来あまり人には言わないようにしている。

 ……まぁ、言う相手がいないだけなのだけれど。

 強いて自己弁護させてもらうとすれば、俺にだって雨で楽しみにしていた予定が潰れた経験くらいはある。小学校の遠足とか、家族で動物園に出かける用事とか。但しこれを聞いた月子からは「ほらね」と素気無く返されたため、やはり俺は誰にもこの話をするまいと心に決めたのだ。


 ちなみに杠葉にさり気なく雨の話題を振ったところ「今降ってても当日降るとは限らないでしょ? じゃあ今から落ち込んでても仕方ないじゃない。むしろこれで当日だけ晴れてくれたらなんだかお得な気分にならない?」とポジティブ百パーセントの回答が返ってきた。杠葉、お前の爪の垢を煎じて全校生徒に飲ませるべきだと思うぞ。


「わたしと別れるのが惜しいって思わせるのが復讐の肝だからね。いやね、もちろん今のわたしも十分に素晴らしいんだけどさっ! でもやっぱり一回り二回り大きくならないと、もう一度あいつの心を奪うのは難しいと思うんだよ!」

「はぁ」


 目の前の一人元気玉みたいな女は身体を無駄にくねくねとさせながら、いつだかのチャットと同じようなことを言う。

 うん、自信があるのは、まぁ自信がないよりはいいことなんじゃないかと思う。

 問題は何をやるつもりなのかってところだろう。


「ふぅん、まぁ好きにやればいいと思うけどよ。なんだ、あいつの前ですっぽんぽんにでもなってナイスバデエとやらを見せつけるつもりか? 悪いこと言わんからやめとけ」

「はぁ!? そんなことやるわけないでしょ! ていうかそれどういう意味よ!」


 心外だとばかりにキレて机をばしんと叩く杠葉。

 純粋に、別れる予定のやつの前で脱ぐのはやめとけと言っただけのつもりだったが、どうやら杠葉はそうは取らなかったらしい。

 俺は言い訳をするが、


「だったらナイスバデエなんて言い方しないでしょ! キミが何を考えているのか、言葉の端々にそこはかとなく滲み出てるんだよっ!」


 と、怒られるばかりであった。俺は平謝りで怒りのボルテージを抑えにかかる。


 ちなみに、シェイプアップ目的でボルダリングに足を運んでからおよそ一週間が経過しているが、杠葉の見た目に主だった変化は見られない。というか、そもそも太ったという本人の談すらイマイチピンとこないくらいだ。確かに杠葉はお世辞にも細身であるとは言い難い体型ではあるが、しかしながら決して太っているわけではない。年頃の女の子らしく丸みを帯びた程よい肉付きと言える部類だと思うし、個人的にはこれくらいの肉感の方が好きな男子は多いと思うんだけどな。なぜ女子は皆、神楽坂のようなほっそりした身体付きに憧れるのだろうか。男と女の価値観の差のせいで人類としては相当な損失をしているんじゃないかとすら思うよ。


 そんな俺の考えを見透かしでもしたか、杠葉は釘を刺すようにわざとらしい咳払いを挟むと、気を取り直して明るい表情で続ける。


「今週末――というかもう明日の話なんだけど、文化祭の準備で実行委員全員が学校に集まる予定があってさ。なんかね、朝から少なくともお昼過ぎまで色々と作業しないといけないみたい」

「ふぅん」


 本番は目前に迫っている。最後の追い込みということで、貴重な土日を費消してでもやらないといけないことが多々あるのだろう。試験前にも関わらず、いやはや頭の下がる思いだ。

 当然ながら一条たちも来るんだよな?


「もちろんだよ。面倒くさそうな顔してたけど、全員が集まるイベントをすっぽかすことはないと思うね。あいつがちゃんと来るなら雄樹くんたちもついて来ると思うし」


 杠葉はどこか呆れたようにそう言った。

 相変わらず一条がイニシアティブを握っているらしい。彼らは一条が右を向けと言えば右を向くのだろうし、止まれと言われればその場で足踏みするんだろうな。さながら親鳥に付き従う雛のようだ。


「そこでね、わたし、みんなにお弁当を作っていこうと思うんだよ。土曜日だから購買とかもやってないし、みんなお昼ご飯には困ると思うんだ。そこでわたしがゴージャスかつビューティフルなお弁当を振る舞ったら、私の株が一層上がると思わない?」

「ふぅん、いいんじゃないか?」


 株が本当に上がるかはわからないが、少なくとも杠葉が真剣に料理を勉強しているのは間違いない。作りすぎて太ってしまうくらいなのだから、その努力は認めるべきだろう。

 あの日のお弁当以降、彼女の手料理を実食したことはないが、電話やチャットでの細かいアドバイスは続けている。忙しいだろうに、杠葉から飛んでくる質問の内容自体も少しずつレベルが上がってきているから本当に大したものだ。ぶっちゃけ、ネットで検索した方が早くて正確なのにと思わないでもないが、顔の見えない誰かの意見より顔の見える人間の実体験の方を重視しているということなのだろう。

 それに、まぁなんだ、俺としても料理に関して頼られるのは嬉しくないと言えば嘘になる。


「何を作るのか知らんが家族にでも味見はしてもらえよ? 別に杠葉を信用してないわけじゃないけれど、自分で作った手料理ってのは二割増くらいで美味しく感じるものだからな。自分を疑うくらいでちょうどいいのさ」

「……ん、そのことなんだけどね」


 杠葉はほんの少し言いづらそうにしながら、おずおずと切り出す。


「実は今日、お父さんもお母さんも帰ってこないんだよね。結婚記念日のお祝いで、今日から土日にかけて二人で旅行に行っちゃってるんだ」

「そうなのか」


 そういう事情なら仕方ない――というかどうしようもない。

 一抹の不安はあるが、これまでに作り慣れてる料理を作るようであれば事故も起きにくいだろう。


「それで、さ。えと、そのぉ……」


 杠葉はプールの端から端を何度も往復するかのごとく目を泳がせながら、喉奥に引っかかった小石を吐き出すための言葉を探すが上手く見つけることができず、辛うじて紡がれた歯切れの悪い声たちは言葉になることなく虚空へ溶けていく。

 叱られるようなことをしでしかした子ども――という感じではなかった。かと言ってそれがどんな感情に由来する口籠もりなのかは検討がつかず、俺は大人しく杠葉の次の言葉を待つ。


 もじもじと、スカートの裾をぎゅうと握り締め、どこかぎこちない表情の杠葉は生娘のようにか細い声でこう言った。


「――今日、うちに来ない?」



 というわけである。

 いや、何がというわけなんだよ、スーパーで並んで買い物してる理由の説明には何一つなってねぇじゃねぇかというツッコミはごもっともである。

 しかし回想として振り返ることが出来るのはこれくらいだった。杠葉のセリフを受けた俺が固まっていると、そこで昼休みの終了を告げる予鈴が鳴り響きタイムアップ。「また後でチャットするね!」と言い残して先に教室を後にする杠葉。彼女が残したローズの甘い香りが思考をぼやかせ、危うく昼一番の授業に遅刻してしまうところだった。そんな目立ち方は勘弁願いたい。

 まるで空が息を潜めた長いため息のように、空一杯に重く垂れこめた雲からしとしとと降り続く雨をぼんやり眺めていると、いつの間にか放課後になっていた。そうして、杠葉に言われるがままこのスーパーへ赴き、彼女と落ち合ったという流れである。


 まぁ、勘の良い人なら最初から気づいているだろうが、もちろん俺は変な意味で杠葉に誘われたというわけではない。明日、作っていく弁当の味見役、兼指南役として招聘されたわけだった。スーパーに集合したのもその買い出しというわけである。


 無論、彼女の言葉に対して何かを期待していたわけでも、勘違いしていたわけでもない。それだけは言っておく。ただ、それを抜きにしても彼女の纏った雰囲気と発したセリフは俺を呆けさせるには十分であった。あれでこちらはすっかり意識させられてしまった。当の杠葉は平然そのものであり、なんだか俺が一人負けしたような気分になる。もしかしたらそれを意図して発言したのかもしれない。さすが演技派である。俺を動揺させるとはね、こればかりは舌を巻かざるを得ない。


 ちなみに、スーパーまでの道すがら、月子から「今日は夜遊びしないよね!?」などと喧しいチャットが届いていたが、今から買い出しをして調理までするとなると、残念ながら帰り時間はこの間と同じくらいになりそうだ。簡潔に業務連絡だけ返しておく。


 そうして冒頭のシーンに戻るのである。


「……プルコギはいいと思うけどよ、お金は大丈夫なのか? 牛肉は三割引きだとしてもそれなりに高ぇぞ」

「だいじょーぶっ! お父さんから旅行中の食事代としてかなりお小遣いもらったからね! にゃはは、日ごろいい子ちゃんだとこういう時甘やかしてくれるんだぁ」


 得意げに舌を出しながら、ちらりと財布を開けてみせる杠葉。

 パッと見であるが、確かに高校生が持つには不釣り合いな金額が入っているようだった。


「ふぅん、優しいご両親なんだな」

「まー、優しいことは否定しないけどさぁ、年頃の娘をほっぽって二泊三日の旅行行っちゃうのはどうなのって感じ。あの二人、夫婦仲が良すぎるんだよ。いつまで経ってもラブラブしてるからこっちとしては正直目に毒なんだよねぇ……まぁ、ちょっと羨ましくもあるけどさぁ」


 杠葉の表情にわずかに影が差す。両親のことを話す気恥ずかしさだけが理由ではないのだろうと思う。俺はそれ以上かける言葉が思いつかなかった。


 スーパーに流れる陽気な音楽と安売り商品を宣伝する声が耳朶を打つ。

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わたしの復讐、手伝ってよ シーダサマー @sugisama47

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