わたしの復讐、手伝ってよ

シーダサマー

第一部

第1話 杠葉ちとせと神楽坂詩

 杠葉ゆずりはちとせがどのような人間かと聞かれれば、おそらくクラスメートの大多数が同じような回答を返すことだろう。およそ彼女と仲が良いとは言えない俺、天ヶ瀬陽太郎あまがせようたろうからしても、きっと抱いている印象は周囲とそう違わないと断定できる。断定できてしまうほどに彼女はクラスの中で明確な立ち位置を確立していたし、誰しもが道しるべとする灯台のような眩い存在感を放っていた。


 一言目には『明るくて可愛い』。

 二言目には『裏表のない女の子』。

 三言目には『巨にゅ――スタイル抜群』。

 彼女を指し示すといえばこんなところだろうか。

 これらは誰と比較するまでもなく、皆が等しく抱く感想であろうと、そう思う。


 肩口にかかるミディアムくらいの栗毛を揺らしながら、人懐っこい笑顔を振りまく彼女のことが嫌いな生徒はほとんど存在しないのではないかとまで思わせる。

 もちろん、全ての生徒が好意的であるとまでは言わない。

 優れた容姿は妬み嫉みを惹起し、分け隔てなく降り注がれる優しい言葉の数々は劣等感を醸成する。

 完璧であればあるほど、水と油が反発するように好きと嫌いの境目は明瞭になっていく。


 ある意味、俺のように教室の隅で凡庸な日々を漫然と過ごしている人間の方がその境界線は曖昧なのだろう。誰にも好かれず誰にも嫌われないというのは風のような存在と言えるかもしれない。触れることなく、でも確かに存在している風のような存在。

 人によってはそれを空気のような人間とも言い換えるが、個人的にはその例えは不適当だと思っている。空気がなければ人間は生きていけないわけで、俺にそこまでの付加価値はない。


 ともかく、高校二年生の一学期にして早くもクラスのアイコン的存在になり得た彼女を、俺は遠巻きに観察していた。だなんて言うと俺が彼女に対して劣情を催しているかのような言い方になってしまうが、誓って言うが断じてそのようなことはない。俺にとってはそいつがアイドルだろうがだろうが、クラスメートである限りにおいては正しくクラスメートとしか思わないし、クラスメートじゃなくなればただの他人だ。それ以上にもそれ以下にも成り得ないのである。

 まあ、その発言の誤謬を正すとすれば、このクラスにと呼べる人間はそもそも俺しかいないといったところか。なんだか叙述トリックのような表現となってしまったが、俺が言いたいのは、ボーっとしていたときにたまたま彼女が視界に映りこんでくることが多かったというただそれだけのことである。クラスの中心的立場として学級委員も務める彼女のことだから、ある意味それは必然であった。


「天ヶ瀬くん! さっきの数学の授業でわからない問題があったんだけどさ、教えてもらえないかな?」

「ん……おう」


 杠葉ちとせはニコニコと人の好さそうな笑顔を浮かべてそう尋ねてくる。


 どうやら彼女としてはそれなりの使命感を抱いて学級委員の職務に臨んでいるようで、教室の端で背中を丸めている俺をなんとかしてクラスに溶け込ませたいなどという、よく言えばお節介、悪く言えば有難迷惑な理想を掲げ、最近では甲斐甲斐しく俺に話しかけてくることもしばしば。


 俺からしてみれば迷惑とまでは言わずとも非常に手に余る感じなのだが、しかし彼女の厚意を邪険にした場合にはクラスから総スカンを喰らうことは間違いない。別にクラスに友だちが出来なくなることについてはさしたる関心も拘りもないのだが、しかし進級までの残り九か月余りをクラスメートに白い眼で見られながら過ごしていけるほどの強靭なメンタルは生憎ながら持ち合わせておらず、結果もにょもにょと中途半端に口ごもりながら受け答えするというのが最近の風物詩となりつつあった。


 とまあ、クラスのはぐれものに対しても分け隔てなく優しく接する杠葉ちとせであるが、そんな彼女にもというものが存在する。無論、人間社会で生きている限り常に他者との比較の連続であり、どんな人間であってもそうした評価がついてまわるわけで、彼女を形容していくのであればそちらも同様に語らなければフェアではないだろう。


 一つ目が『一条健矢いちじょうけんやの彼女』。

 二つ目が『神楽坂詩かぐらざかうたに次ぐクラスで二番目に可愛い女の子』である。


 一条健矢というのは同じクラスの男子生徒である。これまた遠巻きから眺めている限りでは、顔立ちは整っており運動神経もいい、コミュニケーション能力にも優れ友だちも多いタイプのようだった。俗っぽい言い方をすればカースト上位ということになるだろう。

 聞いたところでは一年次から杠葉ちとせと同じクラスだったらしく、運の良いことに(少なくとも大多数のクラスメートはきっとそのように評するだろう)二年連続で彼女と同じ時を過ごす権利を勝ち得たのである。


 実際に付き合いだしたのは三月頃、つまりは春休みであるという噂だが、ともかく陽キャと陽キャ、美男と美女ということで、お似合いカップルと言って差し支えないだろうと、俺はそう客観的に評価する。


 方や、神楽坂詩も同じくクラスメートの女子生徒だ。これまで紹介した二人とは異なり、クラスでの立ち位置はどちらかといえば俺に近いかもしれない。

 などというと俺が彼女に対してシンパシーでも抱いているかのように聞こえかねないが、これまたそんなことはないと否定させてもらおう。むしろ、字面通りの意味に受け取られてしまえばそれは彼女に対する最大限の侮辱となってしまいかねないし、下手に口にしてしまえばそれこそクラスの諸兄から処刑されてしまいかねないレベルの暴言となってしまうことから、謹んで補足させてもらうが、近いというのはあくまでコミュニケーションにおいてのみの話である。


 彼女がクラスメートと話しているところはほとんど見たことがない。たまに話しかけられても、それがどんな話題であろうと口をほとんど開かず、フルフルと首を小さく振るい会話を強制終了させている姿をよく目撃する。実を言えば俺は彼女と一年次から同じクラスだったのだが、入学以来この一年あまりで彼女から聞こえてきた言葉は誇張抜きに合計で百文字にも及ばないと思う。授業中、教師から当てられたときにか細い声で「わかりません」と答えるくらいだ。さすがに教師に対してはフルフル回答はしないんだなぁなどと感想を抱いた記憶がある。どんな問題であろうとも同じような反応しか返ってこないため、教師サイドも途中から当てるのを諦めていたようだった。


 もはや物静かとかそういうレベルを超越している感じはあるが、しかしそんな彼女がクラスで受けている評価は『クラスで最も可愛い女の子』なのであった。近くの席の男子たちが杠葉ゆずりはちとせと神楽坂詩かぐらざかうたのどちらがナンバーワンかという話をしているのをよく小耳に挟む。

 その議論の中では、性格も込みで杠葉ちとせが好きだと評する男子生徒も一定数いる一方で、純粋な容姿だけを考慮すれば神楽坂詩には敵わないというのがほぼ満場一致の意見なのである。


 彼らの言い分もわからなくはない。確かに杠葉ちとせは可愛いと思うが、しかしあくまで身近な同級生という枠組みは超えない。悪く言うつもりは毛頭ないが、各学年に一人か二人はいるであろう顔立ちの整った子という感じである。


 しかし神楽坂詩に関しては、その議論の域を超えているというか、そもそも顔の造形の次元が異なるように思う。幼稚な表現になってしまうが、テレビや雑誌の有名人がそのまま実在しているという感覚に近い。大きな瞳に透き通るように白い肌、背中まで垂らされた漆黒の艶髪は美しい人形を想起させるようだった。

 笑顔を浮かべることこそしないものの、しかし逆に無表情がとても様になっていた。

 たとえ無口で無愛想であっても、そのずば抜けた容姿という一点のみで彼女はクラスにおいて強烈な存在感を放っていた。


 さすがにこのレベルが各学年にいるということはないだろう。そんな学校があれば入学者が殺到すること間違いなしである。

 なんなら、売り出し方さえ間違えなければ芸能界でも通用する容姿であるように思う。

 もちろん、芸能界で売れるために必要な容姿以外の要素、すなわちコミュニケーション能力や演技力、プロポーションなどを考えればそれはそう簡単な話ではないのだろうが、そう思わせてしまうほどの凄みが彼女にはあるのだった。


 ――さて。


 ここまで長々と杠葉ゆずりはちとせと神楽坂詩かぐらざかうた、ついでに一条健矢いちじょうけんやについてを事細かに語ってきたわけだが、何も無為に時間を浪費してきたわけではない。彼女たちの事前説明なくしてこの後の展開にはつながり得ないだろうと判断し、貴重な時間を賜った次第である。


 時は五月某日の放課後。

 気温は二十度を優に超え、そろそろブレザーが本格的に邪魔になってくる季節であった。窓が開け放たれた廊下を初夏の風が通り抜けていく。これから梅雨、そして夏が到来することを考えれば陰鬱とした気分になってくる。


 既に校内の人影はまばらになりつつあった。先日、中間考査を終えたばかりということもあって居残りで勉強するような奇特な生徒はおらず、時折、文化系の部活に属していると思われる生徒とすれ違うくらいで、どの教室にも基本的に人は残っていない。

 部活動と呼べるほどの部活動に所属していない俺がなぜ放課後の校内を練り歩いているかというと、理由は至ってシンプル、机の中に忘れた財布を取りに戻ってきたのだ。


 昼休みに購買でパンを買ったあとに呼び出しを喰らったため、とりあえずで机の中に突っ込んだのを帰宅途中にふと思い出したのである。

 大した中身が入っているわけでもなかったのだが、どうにもそのままにしておくのは気持ちが悪く、学校の最寄り駅に到着した辺りで踵を返し、多くの帰宅途中の生徒の波を躱しながら引き返してきたという次第だ。


 この時、財布なんて放っておけば面倒ごとに巻き込まれることもなかったと考えると、まさしく痛恨の極みであった。

 と同時に、これから先、不用心にも財布を机の中に突っ込むようなことは、たとえどれだけ忙しくても金輪際行わないと心に堅く誓う。


 それほどまでに、この後に待ち受けている出来事は、俺の高校生活においてのターニングポイントと呼ぶにふさわしいイベントとなるのであった。


 俺が階段を上がり自分の教室の近くまでたどり着くと、ドアの小窓から教室の中を覗き込む女生徒の姿があった。目を見開いてジッと、まんじりともせず教室の中を覗き込むその姿は、言葉を択ばずにいえば異様ですらあった。


「……なにしてんの、杠葉」


 俺は女生徒――杠葉ちとせに思わず声をかける。コミュニケーションに問題のある俺と言えど、さすがにこれをスルーして教室のドアを開けるほどの図太い神経は持ち合わせていない。

 というか、杠葉の様子を見るに教室内で何か驚くべき出来事が発生していることは容易に想像がつくわけで、事態の確認の意図も込めて訊いてみたという次第である。


 俺が声をかけるまで俺の存在に気づいていなかったのか、そこで初めて杠葉はピクリと肩を揺らすと、錆びついた機械のごとくギギギと首をこちらに傾ける。そこにあったのは普段の杠葉からは想像もつかない無表情であった。

 というより、どんな顔をしたらいいのかわからないといった様相で、彼女は黙ったまま再び教室内へと視線を戻す。


 俺にすら笑顔で接することのできる杠葉にこんな表情をさせるって、いったい何が起こってるんだよ。

 半ば怖いもの見たさの気持ちを抱きながらそっと杠葉の隣に並び、小窓から教室を覗き込むと、確かにそこには驚くべき光景が待ち受けていた。


 ――神楽坂詩と、杠葉ちとせの彼氏であるはずの一条健矢が、制服姿のまま抱き合っていたのである。

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