「田園の夢、都会の現実」

 さくらハウスのベランダに、穏やかな秋の風が吹き込んでいた。鷹宮澪、小鳥遊詩音、月城にこの三人が、それぞれ思い思いの格好でくつろいでいる。


 澪は珍しく、ラフなワンピース姿だ。髪は無造作に束ねられ、手には温かい紅茶の入ったマグカップを持っている。


「ねえ、みんな。最近、ふと思ったんだけど……」


 澪が、遠くを見つめながら切り出した。


「何? 珍しく澪が物思いに耽ってるね」


 詩音が、スケッチブックから顔を上げて言う。彼女は大きめのTシャツにデニムのオーバーオール姿で、髪は後ろで軽くまとめられている。


「そうね。何かあったの?」


 にこも興味深そうに尋ねた。彼女はいつものように優雅な佇まいで、淡いピンクのブラウスにホワイトデニムを合わせている。


「いえ、特に何かあったわけじゃないんだけど……スローライフや田舎暮らしって、憧れるわよね」


 澪の言葉に、二人は少し驚いたような表情を見せた。


「へえ! 澪がそんなこと考えてたなんて」


 詩音が目を丸くする。


「確かに、たまにはそんなことも考えるわね」


 にこも静かに頷いた。


「でも、いざやろうと思うと大変そうよね」


 澪が少し苦笑いを浮かべる。


「うん、そうだね。でも、いつかはやってみたいな」


 詩音が夢見るような表情で言った。


にこは、優雅にお茶を一口すすりながら言った。


「確かに魅力的ね。朝は鳥のさえずりで目覚め、自家菜園で育てた野菜を食べ、のんびりとした時間の流れの中で過ごす……」


 澪が頷きながら続ける。


「そう、そういうのに憧れるの。でも、現実はそう簡単じゃないわよね」


「うん、たしかに」


 詩音が少し考え込むように言った。


「例えば、私たちの仕事はどうなるんだろう。私なんか、クライアントとの打ち合わせとか、資料の受け渡しとか、都会にいないと難しそう」


 澪も同意するように頷いた。


「そうね。私も広告の仕事は、やはり都会でないと……。それに、田舎暮らしって、意外と初期投資がかかるのよ」


「まあ、そうなの?」


 にこが少し驚いた様子で尋ねる。


「ええ。家の改修や、必要な道具の購入、それに車も必須になるでしょうし」


 澪が説明を続ける。


「それに、医療や教育の問題もあるわね」


 にこが付け加えた。


「そうだね。病院が近くにないと不安だし、子育てを考えると学校の問題も…………」


 詩音が少し悩ましげに言う。


 三人は、しばらく黙ってそれぞれの思いに浸った。ベランダの向こうに広がる都会の景色が、彼女たちの現実を物語っているようだった。


 しばらくの沈黙の後、にこが静かに口を開いた。


「でも、完全に田舎暮らしじゃなくても、少しずつスローライフを取り入れることはできるんじゃないかしら?」


 澪と詩音が興味深そうににこを見つめる。


「どういうこと?」


 澪が尋ねた。


「例えば、週末だけ近郊の田舎町に出かけて、農業体験をしてみるとか。あるいは、ベランダでハーブを育ててみるとか」


 にこの提案に、詩音の目が輝いた。


「あ! それいいね。私、ミニトマトとか育ててみたいな」


「私は、ラベンダーやローズマリーなんかを植えてみたいわ」


 澪も興味を示した。


「そうね。それなら、都会に住みながらでも、少しは自然とのつながりを感じられそう」


 詩音が嬉しそうに付け加える。


「それに、朝早く起きて、ゆっくり朝食を取る習慣をつけるのもいいかも。スローライフの第一歩になりそう」


「そうね。私たち、いつも忙しくて朝食も適当になりがちだものね」


 にこが少し反省するように言った。


「あと、休日は電化製品を極力使わない日を作るのはどう?」


 澪が提案する。


「スマホやパソコンから離れて、本を読んだり、お喋りを楽しんだり」


 詩音が目を輝かせながら言った。


「それ、素敵! 私、最近読みたい本がたまってるんだ。そういう日があれば、じっくり読める気がする」


 にこも頷きながら付け加えた。


「そうね。私たち、知らず知らずのうちに、常に情報に囲まれた生活をしているものね。たまには、そこから離れるのも大切かもしれないわ」


 澪は、ふと思いついたように言った。


「あ、それと関連して、『デジタルデトックスデー』なんてどう? 月に一度くらい、完全にネットから離れる日を作るの」


「おお! それいいね。でも、ちょっと怖いかも…………」


 詩音が少し不安そうに言う。


「確かに、最初は落ち着かないかもしれないわね。でも、それこそがスローライフの本質なのかもしれないわ」


 にこが静かに言った。


「忙しさや便利さに慣れすぎた私たちが、もう一度ゆっくりと時間の流れを感じること」


 三人は、互いに顔を見合わせて微笑んだ。


「よし、じゃあ早速始めてみよう!」


 澪が元気よく言った。


「まずは、このベランダをミニ菜園に変身させましょう」


「そうね。明日にでも、園芸店に行ってみましょう」


 にこが賛同する。


「私、インターネットで調べてみるね。初心者でも育てやすい野菜とか」


 詩音が携帯を取り出しかけたが、ハッとして止まった。


「あ、でも今日はデジタルデトックスデーってことで、やめとこうかな」


 三人は、思わず笑い合った。


澪が立ち上がり、部屋の中に向かった。


「ちょっと待ってて」


 彼女は数分後、古びた手帳を持って戻ってきた。


「これ、祖母が使っていた家計簿なの。最近、実家の整理をしていて見つけたんだけど…………」


 澪が手帳を開くと、几帳面な文字で記された日々の出納が並んでいた。


「まあ、素敵ね」


 にこが感心したように覗き込む。


「うん、毎日の支出が丁寧に記されてる。それに、天気や出来事のメモまであるんだ」


 詩音も興味深そうに見ている。


「私たちも、こういう手書きの日記をつけてみるのはどうかしら」


 にこが提案した。


「そうだね。デジタルじゃなくて、アナログの温もりを感じられそう」


 詩音が賛同する。


「それに、書くことで一日を振り返る時間も持てそうね」


 澪も頷いた。


「こうやって、少しずつでも生活にゆとりを持たせていけば、いつか本格的な田舎暮らしにも挑戦できるかもしれないわね」


 にこがしみじみと言った。


「うん、それまでの準備期間だと思えば、今の生活も楽しめそう」


 詩音が明るく言う。


「そうね。今を大切にしながら、未来の夢も持ち続ける。それが私たちにとってのスローライフの始まりかもしれないわ」


 澪がまとめるように言った。


 三人は、夕暮れの空を見上げた。都会の喧騒の中にありながら、彼女たちの心の中に小さな田園が芽生え始めていた。それは、慌ただしい日常の中で、新たな可能性を感じさせる、かすかだが確かな希望の灯りだった。


「さあ、明日からの新しい挑戦が楽しみね」


 にこが優しく微笑んだ。


「うん、きっと素敵な変化が待ってるはず」


 詩音が期待に胸を膨らませる。


「そうね。一緒に、ゆっくりと前に進んでいきましょう」


 澪の言葉に、三人は静かに頷いた。


 ベランダに吹く風が、少し優しくなったように感じられた。さくらハウスの新たな物語が、静かに、しかし確実に始まろうとしていた。

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