「いつもと違う美容院デビューの日」
さくらハウスのリビングは、いつもと違う高揚感に包まれていた。小鳥遊詩音が、初めて高級美容院に行くことを決意したのだ。
詩音は、普段はあまり外見に気を使わない、のんびり屋のイラストレーター。しかし今日は特別だ。彼女は緊張した面持ちで、大きな鏡の前に立っていた。
「やっぱり、私にはちょっと場違いかな……」
詩音は不安そうに呟いた。彼女の姿は、いつもの楽な服装とは打って変わって、少しお洒落をしていた。薄いブルーのワンピースに、白いカーディガン。首元にはさりげなく、自分でデザインしたペンダントをつけている。髪は普段通りの茶色の巻き毛だが、今日は丁寧にブラッシングされていた。
「そんなことないわよ」
月城にこが、詩音の背中を優しく押した。にこは、アパレルショップの店長らしく、完璧なコーディネートで現れていた。クリーム色のブラウスに、ハイウエストのワイドパンツ。首元には、パールのネックレスが輝いている。
「そうだよ、詩音。新しいことにチャレンジするのは素晴らしいことだよ」
鷹宮澪も励ました。彼女は、仕事熱心な広告代理店勤務の性格を反映するように、シンプルでスマートな装いだ。ネイビーのジャケットに、白いシャツ、そしてタイトスカート。
「でも、どんな髪型にすればいいか分からなくて……」
詩音が不安そうに言う。
「大丈夫よ。私たちで考えましょう」
にこが、スマートフォンを取り出した。
「ねえ、詩音の雰囲気に合うのってどんなスタイルかしら?」
三人は、詩音の新しい髪型について熱心に話し合い始めた。にこはファッション誌を参考に、トレンドのスタイルを提案。澪は、詩音の職業や生活スタイルを考慮した実用的な提案をする。そして詩音自身は、自分の理想のイメージを、絵を描きながら説明した。
「やっぱり、あまり手入れが大変じゃないのがいいな」
「でも、せっかくだからイメージチェンジもいいんじゃない?」
「そうね。でも、詩音らしさは残したいわ」
議論は白熱し、時には笑い声も漏れる。三人三様の意見が飛び交う中、詩音の不安は少しずつ期待に変わっていった。
そして、いよいよ美容院に向かう時が来た。
詩音が選んだのは、都内でも評判の高級美容院「Eclat(エクラ)」。ガラス張りの外観に、シックな看板。入り口には、観葉植物が優雅に配置されている。
「わぁ……ここ、本当に私が入っていいところ?」
詩音が、戸惑いの表情を浮かべる。
「もちろんよ。さあ、行きましょう」
にこが、背中を押すように言った。
ドアを開けると、洗練された空間が広がっていた。白を基調とした内装に、ところどころ木目を生かしたアクセント。天井から吊るされた照明が、柔らかな光を放っている。
受付では、黒いユニフォームを着た女性が、優しい笑顔で迎えてくれた。
「小鳥遊様ですね。本日はご来店ありがとうございます」
その丁寧な対応に、詩音は少し緊張が和らいだようだ。
案内された席に座ると、担当の美容師が現れた。30代半ばくらいの女性で、黒いエプロンの上に白いシャツを着ている。髪は、短めのボブスタイルで、洗練された印象だ。
「初めまして、小鳥遊さん。本日担当させていただきます、森田と申します」
美容師の森田さんは、穏やかな口調で詩音に話しかけた。
「は、はい。よろしくお願いします」
詩音は、少し緊張した様子で答えた。
「今日はどのようなイメージでいらっしゃいましたか?」
森田さんの質問に、詩音は準備してきた自作のイラストを見せた。
「こんな感じの……あの、ナチュラルだけど、少しお洒落な感じにしたいんです」
「素敵なイラストですね。小鳥遊さんはイラストレーターなんですか?」
森田さんの言葉に、詩音は少しリラックスした表情を見せた。
「はい、そうなんです」
「わかりました。このイメージを元に、小鳥遊さんの魅力を引き出すスタイルを提案させていただきますね」
森田さんは、詩音の髪質や顔の形を確認しながら、具体的なスタイルの説明を始めた。専門用語を交えながらも、詩音にも分かりやすいように丁寧に説明してくれる。
そして、いよいよカットが始まった。森田さんの手元には、高級そうなハサミが光る。それは、日本の伝統的な刀鍛冶の技術を活かして作られた、特注の美容はさみだった。
「このハサミは、一本一本職人さんが手作りで仕上げているんです。髪に優しく、なめらかな切れ味なんですよ」
森田さんの説明に、詩音は感心した様子で聞き入っている。
カットの後は、シャンプー。ここでも、普段とは違う贅沢な体験が待っていた。
「こちらのシャンプーは、オーガニック認証を受けた天然成分のみを使用しているんです。小鳥遊さんの髪質に合わせてブレンドしますね」
森田さんの丁寧な指の動きに、詩音はうっとりとした表情を浮かべた。
そして、ドライヤーの音が響く。使われているのは、最新型の低音・温風ドライヤー。髪にやさしく、素早く乾かしていく。
「このドライヤーは、髪の水分を適度に保ちながら乾かせるんです。ダメージを最小限に抑えられますよ」
仕上げのスタイリングでは、オーガニックのヘアオイルが使われた。ほのかな花の香りが、サロン内に広がる。
「香りもいいですね」
詩音が、うっとりと言った。
「これは、フランスの契約農家で有機栽培されたラベンダーから抽出したエッセンシャルオイルをブレンドしているんです。リラックス効果もありますよ」
森田さんの説明に、詩音は次第に美容の世界に引き込まれていった。
そして、ついに完成の瞬間。大きな鏡の前で、森田さんがカバーを外す。
「どうでしょうか?」
鏡に映る自分の姿に、詩音は目を見張った。いつもの自分なのに、どこか違う。髪の毛の一本一本が生き生きとして、全体的な印象が明るく、柔らかくなっている。
「わぁ……これ、私?」
詩音の驚きの声に、森田さんは満足そうに微笑んだ。
「とても似合っていますよ。小鳥遊さんの魅力がより引き立っていると思います」
詩音は、鏡の中の自分に見とれながら、新しい自分との出会いに胸を躍らせていた。
会計を済ませ、サロンを出た詩音を、にこと澪が待っていた。
「詩音、素敵!」
「本当に似合ってるよ」
二人の言葉に、詩音は照れくさそうに微笑んだ。
「ありがとう。本当に来てよかった」
三人は、詩音の新しいヘアスタイルについて話しながら、帰り道を歩き始めた。詩音の表情には、新しい自信が宿っていた。
「ねえ、次は私たちも行ってみない?」
にこが提案した。
「そうだね。たまには自分にご褒美も大切だよ」
澪も賛同する。
さくらハウスに戻る道すがら、三人は美容や自己表現について熱心に語り合った。この日の体験は、詩音だけでなく、三人それぞれに新しい気づきをもたらしたようだった。
そして、さくらハウスのドアを開ける時、詩音は少し立ち止まった。
「ねえ、みんな。ありがとう。私一人じゃ、きっと行けなかった」
にこと澪は、優しく微笑んだ。
「私たちはルームメイトだもの。これくらい当たり前よ」
「そうだよ。お互い、刺激し合えるのが私たちの良いところだからね」
三人は笑顔で顔を見合わせた。この「美容院デビューの日」は、単なるヘアスタイルの変更以上の意味を持つ出来事となった。それは、新しい自分との出会いであり、友情の深まりでもあったのだ。
(了)
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