心がきれいな人には普通のファンタジーに見えるはず。

下川原 有人

第1話

 小さな会社でネット通販の配送物を配達する業務についている杉田一輝はいつも疲れていた。

 山の様に配達物を積んだ軽ワゴンの営業車を運転し、セミが次世代を繋ぐ為に迫真にアピールする真夏の昼下がりを掛け荷物を届ける中、外から見ればあからさまに蛇行している事がわかる。

 休まなければいけないという気持ちはあるが荷台にはまだ大量の小包が残っており、ランチタイムが終わった頃でも昼休憩も取れていない。

 客先に荷物を送る為に何度も停止と発信を繰り返す為に、車内に戻りシートベルトを座席につけたままその上から座り、杉田はシートベルトを着けていなかった。

 そして客先ではエレベーターのないマンションの五階に、2リットルの水入りペットボトルを運び玄関先に置き配していく。それを5回繰り返した。

 そこでの配達を終え、車内に駆け戻る。早く仕事を終わらせなければ次の仕事が溜まっているという尚早に駆られ、順法意識よりも配達物を早く裁かなければという意識が強くなってしまい、不法行為が状態化してしまっていた。

 杉田にとっては警察に捕まったほうがまだ幸せだったかもしれない。上がる息、エアコンの利かない車内、日常繰り返す肉体と精神の疲れ。何も起きないはずがなく。

 杉田の目の前に野生の黒塗りの高級車が飛び出してきた。いや飛び出したのは自分だった。赤い逆三角の標識と地面の白線を見落としていた。

 体がブレーキぺダルを踏みしめるが、杉田はアクセルを全開にしている事に気が付かない。


「うぉおおおおおお」


 杉田はパニックで自分が漏らしている声にも気が付かず、ぶつかるという思いからハンドルを右に。しかし、しかし間に合わない。

 罪の積み重ねが杉田を一気に跳ね返ってくる。黒塗りの高級車に軽ワゴン車がぶつかると、シートベルトを着けていなかった杉田はフロントガラスを突き破って射出された。

 事故を起こした責任を会社や親族に負い被せて、杉田一輝24歳の生涯はあっけなく幕を閉じたのだった。


   × × ×


 杉田の魂は三途の川を渡り、そして鬼に身ぐるみをはがされ鎖につながれて閻魔大王の目の前に立たされる。

 閻魔の圧力というのは、自分を追い立てた上司の迫力なんぞ粗末なものだったと感じさせる。

 閻魔は杉田の魂を一瞥してから閻魔帳を開けて見て、その罪を裁量にかける。


「自らの仕事に追われ、休む事も出来ずにその疲労によって自身の死に至ったという点は情状酌量の余地とみなすが、人間社会が定められた法を守らず事故を起こした事は許されるべきではない。杉田一輝よ何か言うことはあるか」

「なんの申し開きもございません」


 閻魔が判決を言い渡す前に言葉を区切り、杉田は息を飲んだ。

 あっけなく死んだ自分の死よりも強い恐怖に、もう血の通ってない魂が青く染まる。


「判決、地獄行き」

「あぁ……」


 魂に足があるかと言われればないともいえるが、杉田の足は脱力してその場に崩れ落ち後悔が涙のように溢れ出た。

 閻魔は杉田の魂を鎖で繋いだ鬼に一瞥してその場を閉める。


「はい終わりだよ、終わり。閉廷。連れて行きなさい」


 裁きを下された杉田の魂が鬼に鎖を引かれて法廷から連れ出され、そして失意のまま地獄に落ちたのだった。


   × × ×


「ほわぁぁぁぁぁぁ」


 杉田が落ちる。このまま地面にぶつかり潰れたトマトのようになるではないかという恐怖に叫ぶ。

 風を切り重力に従って落ちる。肌で空気を感じて高い場所の薄い空気と温度の冷たさの感覚はまさしく生前の肉体と同じ感覚だった。

 眼界に広がるのは大陸である。東には大きな海、西には赤い砂漠、南に亜熱帯北は大きな川、北には街が存在するほど巨大な中洲の島が存在している。

 杉田のどんどん魂が重力に惹かれるように町が近づいてくる。街の建物は見慣れない建物の形式だ。瓦屋根の長屋でその周囲にある道路は舗装されてないように見える。

 だが、その中でも例外的に大きな建物がある。なんの施設かまではわからないが一見して人の出入りが激しい事だけは分かった。


「ああああああああ」


 ぶつかる恐怖に目を瞑ろうとするが、魂に瞼などなく建物にぶつかる瞬間まで、杉田はずっと見えている。

 声帯どころか生体すらない魂が叫びながら、杉田は屋根に落ちて、何も壊さないまままだ落ちる。

 施設の中を落ちて、一瞬そこがなんの施設か杉田は理解した。色とりどりの絨毯に白い光沢のあるベッド、その真ん中に交接中の若い男女の姿があり、そういう事をする高級な宿屋だと理解した。

 その理解をした直後、杉田の魂は若い女にぶつかる。今度は何の抵抗もできずにそのまま若い身体に吸い込まれた。

 また避けられなかった。杉田の思念は暗闇に眠る事になる。

 そこは暗闇で温かくて何か居心地がよく優しさに包まれていた。塩に揉まれた様に萎れた杉田の魂は安らかに休息を得るのであった。

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