第2話 おわりⅡ

17時15分、私たちは家を出た。


いじめの主犯だった人の家から燃やしていくことにした。

本人に遭遇できる確率は低いし、家を訪ねても家族に見られる可能性があるので燃やすのが手っ取り早いと思った。死んで欲しいやつの家族にもまた、死んで欲しいと思うし。


主犯のほとんどが日比谷と同じ小学校で一定の地域にまとまっていたので、かかる労力が少なかった。

卒アルを見て、その場所に向かった。


22時を過ぎた頃の方が家にいる確率が高いと考えたので、私たちは警察にバレないように気をつけて、家出少女になっていた。


21時22分

4月の夜は肌寒かった。

街灯には虫が集っていて気持ちが悪い。


位置情報を得られないように、と2人ともスマホを持っていないので暇を持て余していた。

これから人を殺すというのに現実味はなく、心は平静としていた。


公衆トイレと花壇の間の陰で、私たちは菓子パンを食べている。


「行方不明届出されてたらどうしよう」


「私の母親はいつも遅くに帰ってくるから、私がいないことに気づかないよ。父親はいないし。だから、あんたの両親次第」


アカネは花壇のチューリップを見ながら言った。

頭が垂れたチューリップは、そこにあるだけで寂しさを感じさせる。


「私が10時過ぎに帰るなんてよくあることだから、『ああ、またか』で終わると思う。もう年寄りだから今頃寝てるんじゃない」


学校は嫌いだ。生徒と教師が嫌いだから。

家も嫌いだ。両親が嫌いだから。


私はよく夜を歩き回る。畑ばかりの道も、住宅街も、夜は死に近い気がして落ち着く。


「日比谷のこと、好きだった?」


今度は目を見て訊ねられた。綺麗な顔をしているなと思った。


「好きじゃなかった。よく一緒にいたけど、好きになれなかった」


マーガリンの味が口に広がる。このパンは好きでも嫌いでもなかったけど、今だけは特別美味しく感じた。


「そっか」


アカネは、空になったパンの袋をグシャっと握りしめた。

リュックに詰め込むと腕時計に目をやって「そろそろ行こう」と私を急かした。私もゴミをリュックにしまいこんで、そのまま背負った。


「うん」


自分たちが座っていたところを振り返って、痕跡が残っていないか確認してから、アカネの後ろをついて行った。

人気のない道を選んで、月の下を歩く。


「あんた、両親のこと好き?」


アカネは、電柱に貼られている番地を確認している。


「嫌い」


目的地はすぐそこのようだ。


「じゃあ私と同じだ」


角を曲がると庭が大きな一軒家が見えた。

標識には『山本』と書かれている。


警備システムや防犯カメラがないことを確認すると、アカネが止まった。ポケットからライターを取り出し、着火した。

暗闇にゆらめく赤い火は幻想的だった。


「私は、復讐し終わったら自殺する。あんたはどうするの」


「私も死ぬ」


もともと今日は死ぬ予定だったんだ。今更ためらいなんてない。


「わかった」


それだけ言うと、山本の家にまっすぐ向かった。


リュックの中から灯油が入ったペットボトルを取り出し、庭にまいた。

ライターで火をつけると、たちまち大きな火が生まれた。


「行こう」


火に見惚れている私の手を引いて、アカネは走り出した。

人気のない真っ暗な闇の中を走って、次の目的地へ向かう。


移っていく景色を横目に、私は、山本秀太が苦しんで死ぬことをただただ願った。

すれ違いざまにぶつかってきた回数も覚えている。


階段から落とされた私の倍以上の痛みを味わって死ねばいい。


気がつくと、佐藤の家の前だった。


「ペットボトル、とって」


リュックを私に向けて、アカネは指示した。

ペットボトルを手渡した私の手は震えていなかった。

殺すことに恐怖を感じていないなんて、よっぽどあの人たちのことが嫌いなんだ。そう自覚してしまうと、私は何も悪くないように思えた。


アカネは手際良く、佐藤愛瑠の自宅を燃やした。


大事な本を破られたこと、髪を不揃いに切られたこと、私は死ぬまでずっと忘れない。喪失感や無力さ、凄まじい悔しさを味わって死ねばいい。


火が炎になっていくさまは私の心を感動させた。


何も言わずに私の手を引いて走り出したアカネは、どこか楽しげに見えた。


そんなアカネを見ると私まで楽しくなった。


この時間がずっと続けばいい。


死ぬまでは心地の良いままでいたい。


遠くからサイレンの音が聞こえるまでは、そんな幸せな思考に至っていた。


「パトカーだ!逃げよう!」


私を振り向いたアカネは笑顔だった。

鬼ごっこを楽しむ小学生のような、生き生きとした表情だった。


風を切って走っても長袖の中には熱気がこもって、2人は汗をかいていた。


「どこいくの?」


「日比谷が通ってた小学校!今は廃校になってるから、簡単に入れる!」


アカネは足が速かったから、私は手を引かれているだけで、あっという間に小学校についた。


門を乗り越えて、鍵が壊れた生徒玄関のドアを開けると、簡単に中に入れた。

玄関は下駄箱と木の匂いがして、真っ暗でほとんど何も見えなかった。


ライト付きの腕時計に目を向けると、針は22時47分を指していた。


「暗いね。屋上行こ。電気つけるとバレそうだし、屋上なら月明かりが照らしてくれるでしょ」


アカネはまだ上機嫌だった。


「うん」


アカネについて、後ろを歩く。


あの人たちを殺すことに躊躇いはなかった。

罪悪感とか、そういうものは何もなくて、ただただ殺意があっただけだ。先に私を壊してきたのはあっちなんだから、自業自得なだけだ。


警察に捕まるのは怖かった。

これ以上、私の人生から自由を奪わないでほしかった。

それに、警察に捕まったら、きっともうアカネとは会えなくなる。

初めて自分の味方をしてくれたアカネのことをもっと知りたかった。


階段を上がる音が反響する。

幽霊がいそうな不気味さはあるけど、そんな不確かなものは怖くもなんともない。


「私を助けるっていうのは建前だよね」


アカネは振り向かない。


話していれば分かる。

たった五時間程度の付き合いだけど、私のことを想っているかどうかなんてすぐに分かる。

自分が人にどんな感情を向けられているか、嫌われているか、好かれていないかどうかを人一倍気にして生きてきたから、分かってしまう。


アカネは何も言わない。

タン、タン、という階段を登る音だけが聞こえる。


「日比谷の復讐?」


3階に到着する。屋上はすぐそこだ。


「違うけど」


楽しげな様子を感じさせない、冷静な声色だった。


「じゃあ、なんで殺したの。殺して、楽しそうなの」


「あんたに言ってもわかんないよ」


もし言われたとして、理解できなかったかもしれない。

けれど、言われなければ余計にわからないままだ。


アカネは私を知っているのに、私はアカネを知らない。


私は、アカネを知りたいのに。


屋上へ続く扉の前まで辿り着いた。

鍵はかかって開かないことに気づいたアカネは一歩下がって、勢いをつけて扉を蹴り飛ばした。

バアン、と激しい音が反響して、扉は外れた。


屋上に一歩踏み入れると、涼しい風が身を包んだ。


「山本の家も佐藤の家も見事に炎上してるね」


フェンスの前に立ち、アカネが指差す。


「死んだかな」


私も同じように隣に立つ。

フェンスは錆びていた。蜘蛛の巣も絡まっていて、少し力をかければ壊れそうだった。


「死んだよ」


アカネにそう言われると、安心したような気持ちになった。


涼しい風と、わずかな焦げ臭さを感じながら、私は夜空を見上げた。

星座なんて一つもわからないけど、分からないからこそなんにでも見える気がした。


「星座、分かる?」


「わかんない」


「同じだ」


木が風にざわめく音が聞こえる。


「明日は誰殺す?」


アカネがこちらを見たことで、目と目が合った。


もう笑顔ではなかった。

出会ったときと同じ冷静な黒い目をしていた。


「誰でもいいよ。いっそ、街中に爆弾を仕掛けたい」


「それは分かるかも。みんな死ねばいい」


真剣な声に促されるように、過去を思い起こす。


「私がいじめられた原因って、自己紹介のときに好きな食べ物はピーマンって言ったことだと思うんだよね」


アカネは零れるように笑って、月を見上げた。


「なにそれ。他にも原因はあったんじゃないの?」


「そうかもしれないけど、きっかけは多分あれだった。なんでだろうね」


校外学習のグループ構築の初回、自己紹介で答えた。

みんなが私に向ける目を変えた瞬間を、息が詰まるような冷たい空気を、まだ覚えている。


「知らないけど。きっといじめの原因なんて大抵そんなもんじゃない?」


そうかもしれないと思った。

小学校の頃にいじめられて転校した人も、普通の子どもだった。

異質な部分といえば少しだけ周りよりしゃべるのが遅かったくらいだ。


「日比谷はなんでいじめられてたの?」


「知らない」


食い気味に返ってきた。

教えたくないのだろうなと思ったので、これ以上は訊かないことにした。


静寂があたりを支配して、深い夜を感じる。

腕時計の針は23時9分を示していた。


春の夜がこんなに心地良いなんていままで知らなかった。

星が綺麗で、月が美しくて、風が涼やかで、ずっとこの夜に溺れていたいと思った。


ふと、アカネが校門側のフェンスに向かって歩き出した。


私は、どんどん形がなくなっていく山本たちの家を眺め続けた。


「警察、来た」


アカネの声はいつもと同じだった。


さっきまで感じていた心地良さが、燃えていく家のように崩れていく。

向こうに気づかれないよう身を潜めて確認しにいくと、門の外側に3台のパトカーが止まっていた。


アカネの見間違えではなかった。残酷だと思った。


「どうする?」


アカネはフェンスの向こうを見つめたまま、平静としている。

対して私の心臓は壊れそうなくらい鼓動が強くなっていた。


「もう逃げられない」


アカネの視線が扉の方へ向く。

視線を追って耳を澄ますと、タンタンと階段を上る音が聞こえた。


蹴り壊した扉を避けて、紺色に身を包んだ大人が顔をのぞかせた。


「君たち、ここで何してるの?」


警察官が目の前にいる。


捕まりたくない。


泣き出しそうだった。


音がぼやける。



警察官が一歩近づいてきて、私が一歩下がる。



背後から腕を掴まれた。


フェンスに背中が打ちつけられる。


たいして痛くない。


アカネによる衝撃だと、数秒経って気づいた。



私が少し驚いて、警察官が身構えた。



「アカネ」


アカネに両肩を掴まれながら、向かい合う。


アカネ越しに見えた警察官は動き出そうとしていた。


「私、あんたのこと、嫌いだった」


そう言ったアカネはさっきまでと同じ冷静な表情だった。

黒い瞳は、相変わらず綺麗だなと思った。


肩を突き飛ばされた。


フェンスが軋む音がする。

身体が浮遊感に包まれる。

突き落とされたと気づいたときには、もう助からないと悟った。


味方なんていなかったんだ。

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