最終日

城名未宵

第1話 おわり

私は死にたかった。


毎日が憂鬱だ。憂鬱な中呼吸を繰り返して、夜になったら眠って。


明日もこうだ、って考えただけで疲れる。

その思考の中に、「明日こそは何か楽しいことがあるかもしれない」という願望からきた希望が含まれているのだから、翌日月が登ったときに感じる落胆は大きい。


駅の乗車アナウンスすらうるさくなったこの世界を嫌いになりきる前に、私は死ぬことにした。


芸能人が自殺したニュースを見ていると、特集の最後には「1人で悩まないで、誰かに相談を」とアナウンサーが必死に訴えかけ、相談電話の番号や相談チャットのサイト名が映される。


私はちゃんとそこに相談した。

けれど、死にたいという考えを改めることはできなかった。


仕方のないことだと思った。


相談チャットが悪いわけではないし、私も何も悪くない。


痣だらけの腹にも、不揃いになった髪にも、ひどく波打って茶色く染まった教科書にも、誰も気づいてくれなかったのはきっと、この世界の人間みんなが私に構っている暇がないくらい忙しかったからだ。


ただ、死にたいから死ぬだけ。

食べたいときに食べたいものを食べるように、行きたい場所に向かうように、死にたいから死ぬだけだ。

みんなと同じただの予定だ。


両親が仕事に行った4月末の土曜日を、自分の命日にすることにした。


夜に死ぬと、「夜は憂鬱になるから…」と結論づけられそうで癪だと思ったので、夕方に決行することに決めた。死んだ後のことなんてどうでもいい、なんて考えていたけれど、死体を早く誰かに見つけて欲しいという気持ちもあったらしい。


実を言うと、殺されたかった。


自殺をすれば私が弱いみたいに思われると思った。死後の未来を想像すると「どうして相談しなかったの…!」とか、私を責める声が聞こえる気がした。

自殺ではなく他殺であるのなら、誹謗の対象は私以外に向く。


最後くらい私の味方になって欲しかった。


両親が仕事に行ってから、玄関のドアを開けっぱなしにしておいた。


不審者が入ってきて、私のことを殺してくれるかもしれない。

そんな希望を抱いた。


しかし、5時間経っても家に入ってきたのはモンシロチョウだけだった。


諦めて自分で自分を殺すことに決めた。


リビングに血の海を作るのは流石に両親がしばらく生活できなくなって可哀想だと思ったので、自室に移動した。

電気はつけず、カーテンを閉め切った。

夕日の明るさがカーテンを貫通するせいで、部屋は真っ暗にならなかった。


カーテンからのほのかなあかりを頼りに、机に置いてあったカッターを手に取る。


そのまま壁に背を預けてベッドに座り込んだ。


わざわざまとったよそ行きのワンピースは、クローゼットの匂いがする。外からは電車の音が、口の中には歯磨き粉の味が広がる。

相変わらず柔らかいベッドに預けた両足も、カッターを握る右手も、震えてなんていない。


自分に刃物を向けるのは初めてだった。


左手首に、刃が滑る。皮膚と皮膚が離れていく。

熱い痛みが刺すように全身を走って、血管に沿って血が腕の表面を流れる。

俯いて、目を閉じた。


自殺を図った小説の主人公も、こんな気持ちだったのだろうか。

右手首を深く切った主人公は、病院に搬送されて一命を取り留めた。

左手首を切った私は死ねるだろうか。


「復讐しないで死ぬの?」


朦朧とする頭にそんな言葉が響いた。

走馬灯だと思った。


「しない。そんなことをする元気もない」


自嘲気味に言い放った。

殺したい相手は山ほどいる。


近くから人間味ある足音が聞こえた。


力の入らない右手からカッターを取り上げられた。

叩きつけられたような音が聞こえてようやく顔を上げると、カッターが床に落ちていた。


「中学時代の同級生のこと、死ねばいいのにって思わないの?」


視線を上げた先には、見たこともない女の子の姿があった。

ふわふわとした黒髪のボブヘアで、身長は私と同じくらいに見えた。

フリルのついたワンピースがよく似合っていた。


女の子は真顔で、少しだけ不機嫌に見えた。


「思うよ」


私が答えても返事はしばらく返ってこなかった。

その代わりに、左腕を掴まれ、床に落ちていたタオルで傷口を圧迫された。


「離して!ほっといて!」


女の子の力は強くて、腕を振り回しても左腕を掴む両手は私には振り解けなかった。


「あんたに暴力振るってたやつの名前、全員教えて。私、そいつらのこと殺したい」


女の子の表情が真剣だったので、動きを止めてしまった。


「あなた、誰?なんで、私がいじめられてたこと知ってるの」


玄関のドアを開けていたから侵入してきた、ってことは簡単にわかった。


この人は何をしに私の自殺を邪魔してきたのだろう。

私は早く死にたいのに。


そう思う一方、この人が私の人生で初めて私の味方になってくれるかもしれない、そんな淡い期待が壊れた生存欲求に小さなあかりを灯した。


「私はアカネ。あんたの元クラスメイトから聞いた。私が代わりに復讐するから、加害者の名前全員分教えて」


私を助けるために来てくれたのかもしれない。

この人に私のことを教えたクラスメイトは一体誰だろう。

私のことを気にかけてくれていたクラスメイトがいたなんて、嬉しくない。

気にかけていたのに助けてくれなかったなんて、もとから無関心だったっていうよりも酷い。見殺しにしたってことだ。


思い返してみれば、1人だけ、私に、対等に話しかけてきた人がいた。

その人のことは好きじゃなかったけど。


点と点が繋がってしまった気がした。

この人は私のことを助けに来たわけじゃなかった。


「日比谷の遺言でここに来たの?」


いじめが原因で一カ月前に中学の屋上から飛び降りたクラスメイトのことを思い出した。


アカネは目を伏せた。


「違う。あんたの話は聞いていたけど、遺言じゃない。話を聞いて、あんたを助けたいと思った。だから、私はここに来た」


壊れた心は、歪なまま修復されたんだと思う。

真っ直ぐ目を見て微笑んでくれたアカネのことを簡単に好きになってしまった。

人生で初めて、私のために行動してくれる人に出会えた。

嬉しくて、心があたたかくなって、涙が溢れた。


「一緒に復讐してくれる?」


私は死にたかった。

それ以上に、あいつらに死んで欲しかった。


アカネは欲しい言葉をくれた。


「もちろん」


真っ赤に染まったタオルからは、錆びた匂いがした。


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