第17話 昼食
王族のステルコスに「耳長」と揶揄され、先生にめちゃくちゃ期待されて、上手くいかず、さらには恥をかかされたのだ。
それでも頑張って授業を受けていたが、簡単には立ち直れないようで、ノピーは俯きがちに座っていた。
「ノピー、大丈夫かい?」
「……う、うん」
落ち込むノピーを見て、アスドーラはこう思っていた。
腹痛かな?と。
死に直面したわけでもなし。まさかあの程度でガックリするはずはないと、アスドーラなりの理屈から導いた結論だ。
ノピーは大丈夫だと言う。
ならばと、気になっていた事を尋ねた。
「みんな教室から出ていくんだけど、どうしてかな?」
「……ああ、お昼だと思うよ」
「お昼、お昼ご飯だ!」
そもそもアースドラゴンに欲はない。
空腹や睡魔が襲うこともなければ、子孫を残せと性衝動に駆られることもない。
それはひとえに、アースドラゴンが最強であるから。
だからといって、できないわけではない。
44億年、ずーっと暇してたアースドラゴンが何をしていたかと言えば、ほぼ寝ていたわけで、できるにはできるのだ。
そしてなにより、ここは学校。
そして今は、人間である。
人間として普通の学校生活を送るべく、やはり食事は必要だろう。
とかそれっぽい理屈をこねるアスドーラであったが、結局重要なのは興味だ。
人間が食事をしてるところを見物したいし、料理というものを見て味わってみたかった。
どうしても行きたい!
目を輝かせるアスドーラを前にして、断ることができようか。
お腹空いてないんだ、という言葉を用意していたノピーであったが、言葉を絞り出した。
「……行く?」
「うんッ!」
やって来たのは、教室と同じ一階にある食堂である。
広々とした空間に、生徒たちがわんさか集まり、楽しそうにテーブルを囲んでいる。
そして!
食べているではないか。
食事をしているではないか。
「ほぉぉぉお」
「アスドーラ君、こっち」
「うん!」
ノピーに手招きされて、長い列の最後尾に並ぶ。
「混んでるね。一応売店が3階にあるし、2階には自炊できる場所があるけど、どうする?」
「ここがいいねえ」
「分かった」
それから数分後、ノピーがポケットから革袋を取り出してゴールドを3枚取り出した。
「この箱にお金を入れるんだ。3ゴールドだよ」
「……お金、かかるんだねえ」
「……う、うん。代わりに払っておこうか?」
「ありがとう。あとで返すね」
こんなに人が多い場所で、収納魔法に手を突っ込むのはなあ、と渋っているとノピーが気を利かせてくれた。
カバンは常に身につけておこう。
そう自戒していると、何やらいい香りが漂ってくる。
「アスドーラ君、食べたいものある?」
「……ノピーと同じものがいいなあ」
「お、え?あ、うん。じゃあこのトレーを持って、僕の真似をしてね」
「うんッ!」
手渡されたのは、数か所のくぼみがある銀色のトレーで、ちまちまと前に進むたびにノピーは、何かをよそっている。
「アスドーラ君?」
「……あ、うん」
いい香りなのは間違いない。
けれど見た目が……匂いに反して、よろしくない。
ベチャッ粘質な液体の中に、カラフルな楕円形のつぶつぶがいっぱい入っている。
他には、ドロっと重みのある白っぽい何か。
焦げ茶色の薄くてぶよぶよした板状の何か。
最後は草。
人間はこんな物を食ってるの!?
アスドーラは驚愕しつつも、周囲の学生をチラ見する。
「……食べてる、だと?」
ひとり狼狽するアスドーラだったが、ノピーが見つけてくれた席へ座る。
「じゃあ食べようか」
ノピーがそう言ってフォークを手渡すが、アスドーラの心は準備が整っていない。
目の前に置かれた料理とにらめっこしつつ、ノピーが食べ始めるのを待つ。
パクリ。
「……うーん、見た目はアレだけど美味しいね。あれ?食べないの?」
「ううん!食べるよ」
パクリ。
アスドーラはまた驚く。
「スゴイッ!」
パクパクと勢いよく料理をかきこむ。
見た目はアレだ。
しかしスゴイ。
なんせ味がする。香りがする。食感がある。
ゴクリと飲み込むと喉からお腹にポチャンと落ちる、そんな感覚までした気がした。
食べるという行為が愉快であったし、味や香りで楽しくなるという感覚が新鮮であった。
アスドーラが無我夢中で食べまくっていると、向かいの席にいた人や並んでいた人々が、だんだんと減っていることにノピーは気づく。
なんだろうか。
周囲を観察していると、とある生徒がとある生徒へ耳打ちした途端に、慌てた様子で走り去っていく場面を目撃した。
これは何かおかしい。
不安に思い始め、アスドーラに声をかけようとした頃。
さっきまでの喧騒はどこへやら。食堂内は随分と静かになった。
中途半端に手を付けたトレーと、空席になったテーブルがいくつもできるほど、食堂からは人が消えていた。
「……あ」
思わず声が漏れた。
食堂入口にいる、あの男を見てしまったのだ。
「はっ。貧乏人には似合いの場所だなあ」
居丈高にやって来たのはステルコスと取り巻きたちだった。
列の横を歩きながら、トレーによそわれている料理を見て、また笑う。
「ハッハハ。犬のエサか。なるほどなあ。ここは食堂というより餌場か」
誰かが何かを言おうとしたが、取り巻きに威圧されて引っ込んでしまう。
一体なんのためにやってきたのか。
ステルコスたちは、ズカズカと食堂内を練り歩きながら、座っている生徒を睨みつけて嘲笑うだけで、特に何かをする様子もない。
ズカズカと大股開きで歩くステルコスたちは、一歩一歩近づいていた。
「なんか臭えな。クンクン、あーお前か耳長」
最初から見えていたのか、それとも今見つけたのか定かではない。
けれどここに亜人は、ノピーだけ。
標的になるのは必然であった。
ノピーはだんまりを決め込み、俯いていた。
隣ではガツガツと料理をかきこむアスドーラ。
その様子を見てステルコスはニヤリと笑うと、ノピーのトレーを取り上げた。
すると、よそわれた料理を鷲掴みにして、アスドーラのトレーへと叩きつけた。
「ほれ食えワンコロ」
アスドーラはピタリとフォークを止めて、顔を上げる。
「……ああ君は、ステルコス君だねえ。一緒に食べるのかい?」
ギロリとアスドーラを睨みつけて、ステルコスは残った料理をすべて移し入れた。
「お前のだ。食え」
アスドーラはチラリと隣を見て、自分のトレーに視線を落とす。
「聞こえないのか下民。食えと言ってるんだ」
シンと静まり返る食堂。
衣擦れの音すらしないほどの静寂が、時間を止める。
すると俯いていたノピーが、アスドーラの手を掴み言った。
「……も、もう行こう。そ、そそんなの食べなくていいよ」
アスドーラは、ノピーの震える手を見て、黙って頷く。
ノピーに引っ張られ、ステルコスの横を通り過ぎる。
その時、ボソリと不穏な言葉が耳に入った。
「弁えろよ耳長。人間の国だからな」
ノピーは黙ったまま、アスドーラを引っ張り教室へ向かっていった。
それから午後の授業を終えて、本日は終了。
あとは寮に戻るだけなのだが……。
ノピーまだ落ち込んでいる。
早くいつもの調子を取り戻してほしいなと思っているアスドーラであったが、どんな言葉を掛けるべきなのか、経験不足のせいか判断できずにいた。
当たり障りのない会話をする?
例えば天気とか、筆記用具の話とか?
どれを選んでも、復調するとは考えにくい。
であれば、話さないほうがいいのでは。
あれこれ考えていると、ノピーが言った。
「……こ、ここみたいだね」
今ふたりがいるのは、校舎地下にある寮の廊下。
ノピーが立ち止まった部屋の扉には、3つの名札が架かっていた。
「アス・ドーラ」
「ジャック・デラベルク」
「ノピー・ユーノマン」
扉を開けると、そこはとても広々としていた。
壁際にそれぞれ設置された二段ベッド……。
「あ」
「……またお前か」
室内探訪を始めたアスドーラは、入室一歩目で挫折した。
ベッドで仰向けになり、本を読んでいる男がいたからだ。
「うるさくするんじゃねえぞ」
宿でも同室だった赤髪のジャックである。
早速カマされたアスドーラは、妙に悔しくて言い返してやろうとアレコレ考えてみるが、不甲斐ないことに切れ味の悪い言葉しか思い浮かばない。
結局思いついたのは……。
黙ったまま親指を立てることだけだった。
喋りかけてほしくないのならば、関わらないでおこう。
気にしても仕方ないと割り切り、反対側のベッドへ。
近づいてみると、ベッドの下の段に置かれた大量の本を発見した。それから、上段の安全柵には2着の服が架けられている。
アスドーラは、ハンガーをひょいとつまみ上げた。どうやらジャケットやらシャツやらが一纏めにされているようで、ジャケットの胸元には紋章と文字が縫い付けられている。
文字の部分をノピーに見せると、何が書いてあるかを教えてくれた。
「アス・ドーラって書かれてるみたいだ。じゃあこっちは……うんやっぱり僕の制服だね」
襟元に緑色の線が入っている。それ以外の装飾はなく、紺色の制服はとてもシンプルであったがアスドーラは感嘆の息をこぼしていた。
「ほぉぉぉお。みんなこれ着るんだねえ」
「……こっちは教科書みたいだね。あ、アス・ど、ドーラ君のもあるみたいだよ」
「ほぉぉお!教科書だあ」
ずっしりと重くて分厚い本がいくつも。
絵柄も表紙の硬さも大きさも、種々雑多であった。
パラパラとめくるだけで、独特の香りがする。
とあるページには何やら図が描いてあり、とあるページにはびっしりと文字が書いてあり、とあるページには誰かの絵が載っていた。
眺めるだけで、なぜだか頭が良くなっていく気がしたアスドーラは、夢中で本に目を通していた。
「あ、あの、あ、アス・ど、ドーラ君?」
ノピーが声を掛けたのだが、先程から呼び方がおかしい。
アスドーラもそれに気づいた。
「ベロでも噛んだ?アスドーラだよアスドーラ」
「い、いやでも、これにはほら。アス・ドーラって書かれてるよ」
「ふーん。なんで分けるんだろうねえ。僕はアスドーラなんだけどなあ」
「……そ、そうなの!?えーっと、名前だけってこと?家族名はない?」
「ないよ」
「はー。良かった」
胸に手を当てて、大きな息を吐き出したノピー。
一体何が起きているのか。
アスドーラが怪訝な表情を浮かべると、ノピーが答えてくれた。
「アスドーラ、だったら別に普通なんだよ。だけどアス、だけで区切ると、お尻って意味の俗語になっちゃうんだ」
「……え?てことは」
「うん、お尻・ドーラ君になっちゃうね」
「……」
「……」
ポカンと見つめあい、ふたりは沈黙した。
そして次の瞬間には、思わず吹き出していた。
「ブッハハハハ」
本当にしょうもない、どうでもいいことだった。
名前の響きが俗語っぽいというだけで、言いにくそうにしていたノピーもおかしいし、アスの意味を知らずに、言いにくそうにしている理由が、ベロを噛んだと思っていたアスドーラもおかしい。
けれど、ふたりには心底笑えたらしい。
互いに涙を流しながら笑ってると、反対側のベッドから釘を刺される。
「……おい、静かにしろ!」
そう言われても、ツボに入ってしまってどうにもならない。
ふたりは体をくの字に曲げて、飛び出そうな笑い声を手で抑えるのだった。
――――作者より――――
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