第5話 バイバイ!

失神せよテネコーペ


ネネが怯えていたので、のたうち回る男を眠らせた。


ふと自分の手のひらに視線を落とした。

ジリジリと熱い何かを感じたからだ。


「……怪我?」


ぱっくりと裂けた皮膚から、真っ赤な液体が溢れ出ていた。

アースドラゴンは初めて痛みを感じる。

元の体なら、絶対に経験しないであろう感覚。


不思議だなあと眺めていると、傷はすーっと閉じていく。そして痛みも引いていく。


ハッとしてネネに視線を送る。

彼女はシーツを目元まで覆い震えていた。

この分なら傷が治る瞬間は見られてないだろう。

そう思ったアスドーラは、安堵に胸を撫でおろし、ネネの側に腰掛けた。


「大丈夫かい?」


声をかけてみるが、反応はない。

けれどそれで良かった。

もともと返事は期待していないから。

だから、自分の正直な気持ちを話してみた。


「……寂しくなったんだ。ネネがいなくなると思うと。だから助けに来たよ」


その言葉を聞いたネネは、目元まで隠していたシーツを下げて、か細い声で一言呟く。


「ありがと」


すると、緊張の糸が切れたのか、滂沱の涙が溢れた。

わんわんと泣きじゃくるネネに、アスドーラは困惑する。

恐怖の元凶は倒れていて、寂しがる必要はもうないのに、どうして泣くのだろうと。

けれど何も聞かず、ただ側に座っていた。




屋敷から出た二人は、満点の星空を眺めてため息をつく。


「綺麗だね」


「……そうかな?ラハールならいつでも見れるよ?」


アスドーラが44億年座してきた北端は、とうの昔に自然環境が変わり天候も破滅的であった。

星空を垣間見る余地はなく、光といえば瞬く雷と融解する岩床だけ。


だからこの夜景はとても新鮮で、とても美しいなと、心底感動していた。


「僕はラハールに向かうけど、ネネは?」


「私も一緒にラハールに行きたいな。1人じゃ怖いもん」


「そうだね。じゃあ行こうか」


「向こうに着いたら、騎士団の詰め所に行ってくれる?」


「なんで?」


「だって、まだ捕まったままの人がいるもん」


「……助けたい?」


「うん、助けたいよ」


「……じゃあ、待ってて!」


そう言うと、アスドーラは駆けた。

けれどすぐさま戻って来る。


「ネネ!場所は覚えてる?」


「フフ。あっちにいると思うよ。音が聞こえる」


「分かった!」


また駆けた。

ネネの指し示した方向へと、木々の間を縫って走る。

暗がりのせいで何度か木にぶつかり、どこかの骨を折りながら木をなぎ倒しながら、あの小屋へと辿り着くことができた。


「……みんな連れてきたんだね」


「うんッ!ラハールに行こう!」


どうやって牢屋から抜け出し、どうやって護衛たちを倒し、どうやって小屋からみんなを助けたのか。

ネネは不思議に思ったけれど、さして興味はなかった。


「やっぱり綺麗だよ」


どこか間の抜けている少年が、空を見上げて星の美しさに感動していたから。


「そうだね。綺麗だね」


見慣れた空が、こんなにも綺麗だと思えているから。



ラハール王国国境の町【ラハール】についた一行は、各々が帰途についた。


「ありがとうな。本当に、ありがとうな」

「命の恩人だ!ありがとう!」


感謝とハグの嵐に見舞われたアスドーラは、引き攣った顔で手を振っていた。

ハグがこんなにも強烈だとは想像もしなかったようで、体は問題なくとも心が疲弊してしまったらしい。


「なにその顔」


「ビックリしたあ。皆抱きついてくるんだもん」


「フフフ。変なの」


アスドーラとネネは、夜の町を歩く。

松明が照らし出す人の営みに、アスドーラは目を輝かせていた。

アレはコレはとネネに質問しては、ほうと頷きまた質問する。

そんなささやかな時間はあっという間に過ぎていく。


「……ここが親戚の家だよ」


「おお。ここは似たような家がいっぱいだねえ」


「うん。お金がない庶民はこれが普通だよ」


「……」


「……フフ。なに?」


「どうやってお別れすればいいんだろう」


アスドーラは44億年間ひとりぼっちだった。

当然ながら、まともな意思疎通を図ったのはノース王国が初めてで、こうして長い時間特定の人と過ごしたことはなかった。


しかも、友だちを作ることだけ考えてきたアスドーラにとって、友だちとの別れは想定外。


さてどうしたものかと、悩んでしまう。


「いつもどうやってお別れしてるの?」


「ネネが初めての友だちだよ。だからお別れはしたことがないんだ」


「……そっか。これから学校に通うんだもんね。お別れできないと困るもんね」


「うん、どうしたらいいかなあ?」


「……笑って、バイバイすればいいんだよ」


「へぇ~。それだけでいいんだあ」


「……一つだけアドバイスしても良い?」


「うん?なに?」


「もっと笑って。そのほうが可愛いもん」


「ほうほう。笑うんだねえ、こうかな」


グッと口角をあげて、目を細めてみせた。

ネネはその顔を見て吹き出す。


「下手っぴ!下手くそだよ!練習しなきゃね」


「難しいねえ、笑うって」


「星を見てたとき、ちゃんと笑ってたよ」


「ええ?そうなんだ、気づかなかった」


「……明日、頑張ってね」


「あっ!そうだった。朝から試験なんだ」


「フフフ。宿に泊まるの?」


「うんッ!お金もちゃんと持ってるんだ」


そう言って、空中に手を伸ばした。

すると伸ばしたはずの手は、収納魔法の中に消え、次に出てきた手には革袋が握られていた。


「スゴい!それって、難しい魔法でしょ!」


「……そうなの?」


「うんうん、人前で使わないほうが良いかも」


「どうして?」


「また拐われるのは嫌でしょ?」


「うん、確かに」


「それとお金も、人前で見せびらかしたらダメだよ」


「拐われる?」


「そうそう」


「……じゃあ」


そろそろ帰るねと言いかけて、アスドーラは口を噤んだ。


「明日早いんでしょ?早く眠ったほうがいいんじゃないの?」


「うん。でもなんだか、寂しいねえ」


「……また会えるよ。私は、暫くここにいるから」


「そうだよねえ」


そしてアスドーラは、ぎこちなく笑って言った。


「バイバイ!」




てくてくと向かう先は、ネネに教えてもらった安い宿。


「こんにちはー」


「あいよ、1人かい?」


「はい!」


「10ゴールドで、相部屋だけどいいかい?」


「お願いします!」


お金を見せびらかさないように、受付台の下で空間魔法に手を突っ込み、適当にコインを掴んだ。


「……多いね。これはしまっときな。階段上がってすぐの部屋だよ」


「はい!ありがとうございます」


金貨をしまって階段を上り、言われた通りすぐの部屋へ。

2段ベッドが2つ、部屋の左右に設えられており、右側の上には人影があった。


「こんにちは。お邪魔します」


一応挨拶をして、左側下段のベッドに潜り込む。


「ふぉぉぉ」


ベッドに横になったアスドーラは、堪えきれずに感嘆の声を漏らした。

岩床で暮らしてきたアスドーラにとってみれば、まるで雲に体を預けているような感覚であった。


アスドーラはチラリと上に目をやる。

ベッドの作法を盗み見るためだ。


赤髪の短髪の彼は、肩から何やら掛けているではないか。


自身の体の下にあるシーツを引っ張って、赤髪くんのように被ってみるとどうだろう。


「ひょお」


太陽の柔らかい日差しに浴したかの如く、温かみと安心を纏っているような気分になった。


ベッドというのはこんなにも心地よいものなのかあ。


思い返せば色々あった1日。

早速友だちもできたし、明日は学校の入学試験だ。


「早く眠らないとなあ」


44億年も1人だったのだ。

独り言は当たり前。

ポツリと呟いてぬくぬくベッドで、微睡みの中に沈んでいきそうになったのだが……。


「なあ、気が散るから黙ってくんね?」


二人しかいない部屋で、語りかける声がする。

アスドーラはベッドから顔を出して、声の主に視線を向けた。


「明日試験なんだわ。集中させてくれや」


苦情を入れたのは、赤髪の少年であった。

鼻、眉、唇には銀色のピアスがついていて、赤髪も相まってなかなかに厳つい相貌が、ギロリと睨んでいるではないか。


アスドーラは素直に謝った。


「うん、ごめんよ。静かに眠るねえ」


なんだか、僕はよく怒られるたちみたいだ。

そう思いながら、今度こそ微睡みに沈んでいった。



翌朝、気持ちの良い朝を迎える。

雷雨もないし、燃えたぎる溶岩もない。

屋根があってフカフカのベッドがあって……。


「あれ?」


赤髪の少年はいないようだ。

外を見ると、まだ暗い。

早起きしたと思ったのに、赤髪の少年はもっと早起きなのだろう。


「スゴイや」


寝る前にも勉強していたみたいだし、本心が溢れた。


さて、今日は入学試験。

さっさと学校に行って、ちゃちゃっと受かって友だちを作ろうではないか!


意気込みアスドーラは階段を降りて、受付のお婆さんにご挨拶。


「こんにちは!」


「……はい、おはよう。飯は食うのかい?」


「飯、か」


「初等学校の入学試験を受けるんなら、飯を食ってる暇はないだろうけど。こんな時間まで寝てたアンタは、入学希望じゃないんだろう?」


「え?まだ暗いですよ?」


「曇ってるだけさ……まさか入学希望なのかい!?あと5分で試験が始まっちまうよ!さっさと行きな!」


「は、はい!あっ!学校はどこですか!?」


「ったく。恐ろしいね、最近の若いもんは」


そう言いながらも、宿を出てまで道を案内してくれた。


「ほれ、あのバカデカい建物が学校だよ。とりあえずここをまっすぐ行って、左に曲がれば着くからね。ほれ、走りな!」


「はいッ!ありがとうございます!」


アスドーラは、全力で駆けた。

44億年、岩床の上で横になって過ごしていたので、昨日から走り詰めの彼は、ちょっとした高揚感を覚えていた。


ドラゴンの体での移動は専ら飛翔。

歩くことはままあれど、走ることはほぼない。

それがどうだろう。人間の体になって走ってみると、その爽快感は言い表し難いものがあった。


「ひょぉぉぉ!」


飛ぶことに飽きたドラゴンは、走ることに快感を見出したらしい。

奇声を上げなら、お婆さんに言われた道をひた走り、とうとう見えたラハール初等学校の校門。


「こんにちは!」


「おはようございますだ!遅刻ギリギリ、そのまま走れいッ!」


校門横で門番のように佇んでいたのは、ガタイの良いマルハゲのおじさん。

言われた通り、校門を駆け抜ける瞬間、何故かニカッと笑って親指を立てていた。


全く意味がわからなかったアスドーラだったが、悪い気はしなかったようだ。


初めての学校だ。感動に浸りたいのは山々だったが、なんせ遅刻寸前。

とにかく走るのだが、だだっ広い敷地のどこへ行けばいいのか分からない。


このままだと、また迷子になるのでは?

少しだけ焦るアスドーラだったが、またもや番人が待ち受けていた。


「入学希望ならコッチだよー!」


ヒョロっとした体調の悪そうな男性が、手を振っているではないか。

建物を繋ぐ渡り廊下があって、その下を抜けろと指さしている。


その先には何があるのか。建物で見えないけれど、未知に突っ込む冒険心が、心をくすぐる。


「こんにちは!ありがとうございます!」


「ゴホッ、まだおはようございますだと思うよ」


男性の側を駆け抜けて、渡り廊下の下をくぐり抜けると……。


「おおっ!スゴい人だ」


そこには、人人人。

人の群れが、生き物のように蠢いている。


アスドーラは足を止めて、てくてくと人群れの最後尾にちょこんと並ぶ。

あたかも遅刻してないかのように。


すると何やら、聞こえてくる。


「受付をしていない者!直ちにこちらへ来い!さもないと試験は受けられないぞ!」


「受付かあ」


アスドーラはまた駆けた。

声の主のもとへ走り、元気に挨拶をする。


「こんにちは!アスドーラです!」


「……自己紹介は受かってからだ。これに記入してその辺で待機していろ」


手渡された紙を見つめ、アスドーラは固まった。


「何をしている?まさか鉛筆を持ってないなどと抜かさんだろうな!」


しかめっ面の男が、神経質そうに眼鏡を押し上げた。

語気鋭く、アスドーラを威圧するのだが、固まったまま何も返答がない。


「……おい、受付終了時間までそうしているつもりか?」


するとアスドーラは、小さく答えた。


「これ、なんて書いてるんですかねえ?」


「……は?」


「それと、鉛筆は持ってません」


「……は?」


アスドーラの幸先は、途轍もなく悪かった。



※※※


「ネネ!」


「おばさんただいま」


おばに抱かれ、ネネは照れくさそうに顔を埋めた。


「どこで何をしてたんだ?」


心配そうにするおじさんも、ネネが怪我なく無事でいることに安堵していた。

おばさんは泣いていた。ずっと私を抱きしめたまま、良かった、ホントに良かったと。


「それにしても、騎士団が駆けつけてくれて……本当に良かった」


私は2人に嘘をついた。

本当はアスドーラが助けてくれたけど、それを言うと、なんだか困ったことになる気がして。


「うん、良かった……」


アスドーラが助けてくれなかったら。

アスドーラが居なかったら。


アスドーラが……。


隣に居ないことがとても寂しい。


「ネネ?大丈夫よ、もう大丈夫だからね」

「そうだぞ。俺たちがついてる。お父さんたちにも連絡して、こっちに来てもらうからな」


「……ゔん」


また会えるのに、寂しい。


涙はもう枯れたと思ったのに、拭っても拭っても溢れてくる。


アスドーラが居てくれないと……。

私の心は、泣き止んでくれないのかも。

ぽっかり空いた穴は塞がらないのかも。


あなたの傷のようには。






――――作者より――――

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