死んだミミズに手を合わせる
焼おにぎり
死んだミミズに手を合わせる
私が四歳の頃の話。
母によれば、私は幼稚園の園庭で大きなミミズをつかまえて持って帰ってきたと言い、自慢げにバッグの中身をひっくり返したそうだ。ところが、うまく逃げおおせたのだろうか、その中にミミズの姿はなかったらしい。
今にしてみれば、無邪気な幼稚園児の魔の手によって不運なミミズを生まずに済んで良かったと思うのだが、当時の私はミミズに逃げられたことにショックを受け、ぎゃんぎゃん大泣きしたという。その出来事自体はうっすらとした記憶しかないけれど、事実であることに疑いはない。私は今もミミズが好きだからだ。
母は、幼い私に、もう生き物をかばんに入れてはいけないこと、家に生き物を連れてくるなら真剣に飼わなければならないことを教え、ホームセンターで虫かごと黒土、腐葉土を買ってくれた。
母は早々に自分はミミズ嫌いだと幼い我が子に向かって宣言したし、当然、一切手を触れようとしなかったが、それでも私が飼うことに協力してくれたのだから、大した人だと思う。おかげか、私は高校生になった今も庭や公園でミミズを採って飼育を続けているのである。
さて、こうして田舎に住み続けていると、ミミズが夏の道路の上で干からびて死んでいる姿もよく目にする。
うちの近所にある、畑に接地する鄙びた農業用道路。数十年前に舗装されたっきりという見てくれで、ひびや隆起だらけのボロボロのアスファルト道路だが、舗装されていない道に比べれば快適に歩くことができる。私は自宅から市街地までの近道となるその農道をよく通るのだが、幼いころは、夏場になると現れるミミズの死骸を見るのが恐ろしくて仕方なかった。
しっとりとした土の中で生きるはずのミミズたちが、夏の路上で変わり果てた姿となったそれ。乾いて真っ黒になって、元から道路のひび割れの仲間だったかのように死んでいる。車に轢かれたのか、ぺちゃんこになるのもいる。多くの人が気に留めないだろうその姿を、私は無視することができず、その場から動けなくなってしまう。
人間の手のひらの熱ですら、ミミズにとっては高温で、ずっと触れていると弱ってしまうと言われているのに。その人間でも熱いと思うアスファルトは、ミミズにとってどれほどのものなのか。
夏。高校生になって初めての夏休みである。私はやはり近所の農道で、干からびた大量のミミズを前に足を止めていた。もう幼き日とは違って、目にしても恐ろしさは感じない。昨日の夜だか早朝にかけてだか、結構な雨が降ったと思うから、この子たちは自ら路上に出てきて、そしてみな土に帰れなくなってしまったのだろうか。
部活動が正午を回る少し前に終わって、私は帰宅のためにここを通っていた。私の差す日傘の影がミミズたちと重なると、夏の強い日差しが生み出すコントラストのせいで、影だか死体だか見分けがつかないくらいになる。
炎天下にしては長い間、私はそれを眺めていた。その間、人は誰も通らなかった。周囲に農作業をする人もいない。刺すような日光からは殺意すら感じるし、今日は前日の雨のせいかそこら中が蒸しているから、真っ昼間の畑仕事は避けているのかもしれない。ともかく、制服姿でぼうっと地面を凝視している私に対して、なにか声を掛けてくる人や、不審な目を向けてくる人は誰ひとりいなかった。
私は急いでスマホをポケットから取りだして、カメラアプリを起動する。日傘を路上に投げ出して、夢中でミミズたちの死骸を撮影していった。
咄嗟の行動だった。手が動いたのが先か、撮ろうと思ったのが先かすら分からないくらい。額から汗が流れるのを感じたが、この時だけはあまり暑さも気にならなかった。そんなことより、早く切り上げないと、通行人がやって来て私の行動を咎めるのではないかと気が気ではなかった。
我ながら、どうかしている。
幼い頃はなるべく視界に入れたくないと思っていた、夏の農道に散らばる死骸。それを15歳の私は目に焼き付けるように眺め、それだけに飽き足らず、画像として持ち帰ろうとしている。
この行為に後ろめたい気持ちがあるのは確かだった。それでも撮らずにはいられなかったのだ。しかし、そんな動機がどこから来たものなのか、自分自身のことだというのに説明がつかない。
私は足元の日傘を引っ掴むと、逃げるようにその場を後にした。
自宅の門を通り、重たいドアを開けて家の中に入る。たった今小走りで抜けてきた夏の田舎道とは別世界であるかのように、薄暗い玄関の空気はひんやりとしていた。
ドアを背に立って、スニーカーのままスマートフォンの画面を点灯し、フォトギャラリーを確認する。そこに真っ黒なミミズたちの死骸の写真が並んでいることを認めてから、私は安堵してスマホを持つ手を下げた。やり遂げたという感覚があった。誰にも見咎められず、これを持ち帰ってきたのだと。
「ただいま、ママ」
リビングへ顔を出すと、テレビを見ながらダイニングチェアに座ってくつろいでいた母が振り向いた。リビングは玄関よりも更に冷えており、顔に当たる冷気が心地よい。
「おかえり。お昼用意するから、先にシャワーでも浴びておいで」
「はーい」
私は努めて明るく返し、踵を返す。その背中越しに、母の「今日もそうめんだけどいいよね」という声がして、私は「もちろん!」と振り返ってから、早足で着替えを取りに向かった。
この母のそうめんが、私の夏の楽しみのひとつである。涼し気なガラス鉢に盛られる、氷で締められた冷たい麺。つゆは少し薄めに作るのが、我が家の味だ。薬味として乗せるのは、刻んだしその葉や、輪切りにしたすだち。すりごまに天かす、少量のおろし生姜。お好みで納豆。
簡単にシャワーを済ませて戻ると、二食分のそうめん鉢がテーブルに並んでいた。すだちの爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。
「今日は一段と美味しそう」
私が言うと、「昨日と同じだよ」と素っ気ない返事をしながら、母は自分のそうめんの上で白いパックを逆さにして、中身の納豆をどかっと落とした。
母はいつもと変わらない。違うとすれば私の方か。今日になって、私は他人においそれと言えないものを抱えてしまった。
「いただきます」
私はそうめん鉢に手を合わせた。ツルツルとした麺を口に含む。程よく冷たく、やはりいつに増して美味しく感じる。日差しの下で疲弊した体に、さっぱりとした食事がありがたかった。
ただ、あの散乱する死骸を目にしてきたばかりで好物を味わうことのできる自分に、どこか他人事みたいな心が囁いてくる。
我ながら、どうかしている。と。
『本日は全国的に暑い日となっています。屋内では冷房を活用し、不要不急の外出は控えるなど、熱中症に警戒してください──』
テレビからの呼びかけに視線を向ける。画面には、ビルの立ち並ぶ風景の中で、酷暑に顔をしかめながら行き交う人々の映像が映し出されていた。
「こんなに暑いと、どうにかなりそうだわ」
母の呟きに、私は「ほんとにね」と当たり障りない相槌を打って、そうめんをすすることに集中する。そして完食し、空になったガラス鉢に向かって再度手を合わせた。
「ご馳走様でした」
二階に上がり、自室のミミズの様子を見に行く。
土の中に潜っているようで、ミミズの姿は確認出来なかったが、虫かごの蓋を開けて土に触れてみると、ひんやりと湿っていた。外は過酷でも、うちの中の環境は良さそうだ。
ふと脳裏に、太陽にゆらめく熱いアスファルト道路と、その上でぐったりと横たわるミミズの光景が浮かぶ。
私はまたもスマホを手に取り、撮ってきた写真を眺めてしまっていた。なんでこんなものを撮ったのだろう。上手く説明するための言葉をずっと探しているが、まとまらない。間違いなく自分の意思で起こした行動のくせに、自分の心のどこを見てもはっきりとした答えが書いていないように思える。
いや、本当は分かっているのに、自身の悪趣味な嗜好を自覚したくなくて、意識的に目を背けているだけか。
私は軍手とビニール袋、日傘を持って下へ降りた。あのミミズたちを炎天下に放置するのではなく、庭に埋葬して、土に還してやりたいと考えたのである。そこにあるのは愛情や慈悲の心みたいに、綺麗なものなんかじゃない。通常であれば目を背けたくなるような、ミミズの死骸の写真を何枚も撮ったのだという後ろ暗さ。この行動に折り合いを付けるために、自分が取るべきせめてもの行動だと感じたのだ。
ちょっとだけ出掛けてくると母に声を掛けようかと思って、やめた。出掛ける目的を聞かれても都合が悪い。どうしても明日の部活で使うものを買いに行かなきゃならない、などと理由をでっち上げることも考えたが、買い物にしては持ち物がおかしいから、その言い訳は使えない。いっそ何も伝えずに、こっそり行って帰ってくるのが無難なのだ。
こうして、親に言えもしない、後ろめたい行為は積み重なっていってしまうのか。
私はなるべく物音を立てないよう、ゆっくりとした動作で家の外へ出た。照り付ける太陽の下に晒され、思わず眉を顰める。日差しは更に鋭さを増したようだった。何が憎くてこんな容赦ない光を放っているのかと問いたくなる。
日傘で身を守りながら、私はあの農道まで戻ってきた。さすがに遠くからではミミズの姿は目視では分からないが、彼らの位置は記憶の中にある。
ミミズたちの死骸が落ちている場所に近付いたところで、私の目はとある違和感を捉えた。
死んだミミズのうちのひとつに、黒い粒のようなものが集まっていたのである。更に寄ってみると、その粒の正体が蟻であることがわかった。ミミズの死骸を運ぶために群がっているのだ。私が去ってから戻ってくるまでの短い時間で、こんな変化が起きているとは予想外だった。
しばらくの間、せわしなく動く蟻たちと、もう動くことのないミミズの様子をじっと見つめていた。
そうか。
私が身勝手な理由でミミズの死骸を拾い集めて持ち去らなくても、こうして自然を生きる昆虫の働きによって、土壌へと運ばれるのか。
ミミズは死して、他の生物の生きる糧として社会に貢献するのか。
そう考えた途端、自分がこの場に居ることが急に恥ずかしくなった。とんだ自己満足のために戻ってきた私は、蟻の群れからもミミズの死骸からも全く相手にされず、無意味に置かれたオブジェのように立ち尽くしている。
私は何もできず、とぼとぼと帰路についた。当初の目的は果たす気持ちもなくなったし、真夏の空の下をただ出歩いたというだけの、特に何に資することもない時間だった。これこそが不要不急の外出というやつか。外気温も、重たい足も、ぽたりと顎の先から落ちる汗も、折角浴びたシャワーを台無しにしたことも、日差しも、日傘も、指先にぶら下がった空のビニール袋も、どれもこれも不快で不快で仕方がない。
思い返してみれば、幼い日にミミズをかばんに入れ、逃げられ泣き喚いていた頃と変わらず、私はずっと身勝手なのだ。鑑賞するためにミミズの死体の写真を撮ることも、飼うために生きたミミズを捕らえることも、全てが自分のための勝手な都合。
こんな暑い日にわざわざ戻って来たのだし、死んだミミズに手でも合わせて、ミミズを愛する健気な自分でも演じておくべきだったんだろうか。
けれど、私が私自身の恥を受け入れられるようになるまでには、まだ時間がかかりそうだった。
<終>
あとがき
これを書いている途中に、アリがミミズの死体に集まる様子を画像検索しました。とても後悔しました。苦手な方にはおすすめできません。
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