20. 大いなる力

 窓の外に広がる夕焼けの空を見つめながら、マリー院長は静かに語り始めた。


「十数年前だわ」


 院長の声は柔らかいが、その瞳には深い悲しみが宿って見える。


「魔物の大群がこの街に押し寄せてきたの。その時、私も召集されてね、城壁の上から魔法での援護を命令されたわ」


 俺は息を呑んだ。


「それは……知りませんでした」


「あなたがまだ赤ちゃんの頃の話だからね。それで、私は襲い来るオーガやワーウルフにファイヤーボールをポンポン撃ってたわ。魔力が尽きたらポーションでチャージしてまたポンポンと……」


 俺はじっと聞き入った。院長の言葉一つ一つに、当時の熱気と緊張感が蘇ってくるようだった。


「もう大活躍よ。城壁から一方的に撃ちおろすファイヤーボール……、多くの魔物を焼いたわ。もう、私が戦況を支配していたの。司令官はもっと慎重にやれって指示してきたけど、大活躍してるんだからと無視したの。天狗になってたのよね……」


 院長の声に、かすかな後悔の色が混じる。俺は黙って頷いた。


「そして……、特大のファイヤーボールを放とうとした瞬間、矢が飛んできて……、肩に当たったわ。倒れながら放たれた特大の火の玉……どうなったと思う?」


「え? どうなったんですか?」


 院長の涙の光る眼に俺は気おされる。


「街の中の……、木造の住宅密集地に……落ちたわ……」


 部屋の空気が凍りついた。


 俺は言葉を失い、ただ院長の悲しみに満ちた表情を見つめることしかできない。


「多くの人が亡くなって……しまったの……」


 重い沈黙が流れる。


 必死に言葉を探したが、こんな時にかける言葉を俺は知らなかった。


 院長はハンカチで目頭を押さえながら、静かに続ける。


「魔物との戦いには勝ったし、矢を受けたうえでの事故だから不問にされ、表彰され、二つ名ももらったわ……。でも……、調子に乗って多くの人を殺した事実は、私には耐えられなかったのよ」


 その言葉に、俺は胸がキュッと痛んだ。院長の苦しみが、まるで自分のことのように感じられる。


「その事故で身寄りを失った子がここに入るって聞いて、私は魔術師を引退してここで働き始めたの……。せめてもの罪滅ぼしに……」


 長い沈黙が流れた。


 俺は必死に言葉を探し、ようやく口を開く。


「で、でも、院長の活躍があったから街は守られたんですよね?」


 俺の声は上ずってしまっていた。


「そうかもしれないわ。でも、人を殺した後悔って理屈じゃないのよ。心が耐えられないの」


 院長の言葉には重い十字架を背負ってしまった者の重みがあった。


 俺は言葉を失い、静かに首を振る。


「いい、ユータ君?」


 院長の声が真剣さを増す。


「魔法は便利よ、そして強力。でも、『大いなる力は大いなる責任を伴う』のよ。強すぎる力は必ずいつか悲劇を生むわ。それでも魔法を習いたいかしら?」


 院長の鋭い眼差しがユータを捉える。


 俺はその重さに耐えかねて静かにうつむいた。


 これまで「強くなればなるほどいい」と単純に考えてきたが、今、その考えが揺らいでいる。


 鑑定スキルだけでも十分な生活ができるはず。なぜ、もっと強くなりたいのか?


「教えるのは構わないの。あなたには素質があるわ。あなたの中で尋常じゃない魔力が渦巻いているのを感じられるの。でも……、悲劇を受け入れる覚悟はあるかってことなのよ」


 院長の心のこもった言葉が、静かに響く。


 目をつぶり、俺は前世を振り返る。思い返せば俺はそこそこいい大学に合格してしまったことで慢心し、世の中を甘く見てしまった。結果、就活に失敗し、人生転落して無様に死んでいったのだ。


 人は常に向上心を持ち、挑戦をし続けない限りダメな生き物である。『これでいいや』と、思った瞬間、悲劇の種はかれてしまうのだ。


 つまり、行くも悲劇、現状に甘えるのも悲劇なのだ。


 であれば――――。


 前に進む事を止めてはならない。それが俺の結論だった。


 目を開けると、俺は強い決意を込め、答える。


「僕は、やらない後悔よりも、やった上での後悔を選びたいと思います!」


「そう……。覚悟があるなら……いいわよ」


 院長はほほ笑みながらゆっくりとうなずいた。


「忠告を聞かずにすみません。でも、この人生、できること全部やって死にたいのです」


 俺はグッとこぶしを握り、院長の目をまっすぐに見つめた。


 ふぅ……。


 院長は大きく息をつく――――。


「それじゃ、ビシビシしごくわよ!」


 院長の表情が一変し、鋭い眼差しで俺を貫いた。


 その見たこともない院長の激しい視線に気おされ、俺は思わずのけぞってしまう。


「わ、わかりました。お願いします」


 こうして、ユータの新たな挑戦が始まったのだ。夜の孤児院では一室の灯りだけが、遅くまで消えることはなかった。

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